ヒーロー その②
────遡る事一時間前
わたし、佐藤春香はエビちゃんを抱いて、アメコミヒーローの前歯みたいにキランと輝く太陽の下、遊園地内をぼんやりと歩いていた。
もちろんエビちゃんの尻尾などが他のお客に見えないように、細心の注意は怠らずにではあるが。
「それにしても形離さんには迷惑かけちゃったなぁ。いくら電話口から聞こえた名前が偶々特に好きだったヒーローだったからって、無理矢理ついてくるのは流石に厄介なファンすぎる」
軽く自己嫌悪。だがやはり後悔はしていない。
だって久しぶりにあのヒーローに会えるのだから、テンション上がらない方がおかしい。
オタクとはそういう生き物なのです。公式からの供給に飢えていると、どんな些細なものにでも飛びつくハイエナと化すのだ。
……厄介な生き物だなオタク。
それにしてもこの遊園地の名前……ワクワクパークとかいったか。
最初聞いた時はなんとも安直な名前だと思ったものだ。
正直ここに来る前は、名前のイメージからデパートの屋上にある昔ながらの小さな遊園地程度の規模だろうと勝手に侮っていたほど。
でも実際に来てみると千葉にあるネズミの楽園とまではいかないまでも、それに匹敵する規模の遊園地だった。
目玉のジェットコースターや急流すべりなどは一時間待ちと中々の長蛇の列を形成しているし、園内全体を見てみても家族連れやカップル達で大賑わい。
……ワクワクパークさま、侮ってすみませんでした。
さてそんな目玉なアトラクションたちだが、流石にエビちゃんを抱いて乗るわけにもいかず、こうしてわたしは遊園地の端にある何でもない道でお散歩しながら、形離さんが出演するヒーローショーまでの時間を潰しているというわけだ。
けれどそれが意外に楽しい。
道の所々で春らしく桜が咲いており、ただ歩いているだけでそれなりにワクワクする。こんな細部にも拘るとは、やはりできるヤツだワクワクパーク。
わたしにとって、春は少し特別な季節だ。
わたし、佐藤春香は名前からわかる通り、春生まれである。春が香るような日に産まれたから、春香。
そして自分自身、誕生日という名の欲しいものが何でも買ってもらえる特別デイが春にあるので、必然的に春が一番好きな季節になったのでありまする。
我ながら現金だなぁとか思わないでもないが、自分に嘘をついても仕方ないのでそこは偽らない。
あ、勿論春の代名詞である桜も好きです。一応女の子なので、団子だけじゃなくて花だって愛でますとも。
「花より団子、いや花も団子も総取り、がわたしらしいか」
別にどっちかに絞る必要はない。どっちも好きなら、それでいいじゃないか、にんげんだもの。
「……あい?」
すると腕の中で不思議なものでも見るような目でこちらを見つめる天使がいた。
形離さんの娘であるエビちゃんである。
………………いやマジカワすぎ。なんなの、やっぱ天使なの? 神がこの世に遣わした系女子なの?
控え目に言ってペロペロしたい。ほっぺたちゅっちゅしながら匂いを堪能しつつ白米五杯はおかわり余裕ですハフハフハフ。
「はぁハァはぁはぁ」
鼻息が荒ぶりマックス。正真正銘の不審者がそこにはいた。いてしまった。
「……あぁぶ」
今まで聞いたこともないエビちゃんの低音ボイスで何とか我に返る不審者。
「あ、ははは……」
とりあえず、笑って誤魔化すことにした。ここに不審者なんていなかった、オーケー?
「はは……でもなまえ……名前かぁ。エビちゃんはどんな名前に、それでどんな女の子になりまちゅかねぇ?」
自分の名前の由来を思い出し、ふとこの子の名前もまだ正式に決まっていないのを思い出す。
エビちゃんというのはあくまでも仮の呼称。
形離さんも早く決めたいとは言っていたが、それでも中々決められないらしい。
まぁ、形離さんの名前の由来を知ってしまった自分としては、その気持ちもわからないではないけど。
「ああう?」
いったいなんのはなしだ? とばかりに天使は首を傾げる。
今腕に抱いているこの子も、わたしと同じ春生まれ。
だからもしかしたらこの子もわたしみたいに春に関する名前になって、わたしみたいな花と団子総取り娘になるかもしれない。
はたまた全然違う名前で、そしてわたしなんか目じゃないくらい超絶完璧美少女になるかもしれない。
「どうなるんだろうなぁ」
形離さん曰く『名前はその子の人生にとってのタイトルのようなもの』そして『人から贈られる命の次に大事なもの』それが名前だという。
その考えは個人的には素敵だと思うし、だからこそ、今腕で無邪気に笑っているこの子の名前がどうなるか楽しみで仕方ない。
……いや、名前だけじゃない。楽しみなのは、もっとたくさん、本当にたくさんあるわけで。
「ははっ」
つい、笑みが零れる。
「うう?」
ああ、赤ちゃんって素晴らしい。
だって赤ちゃんには無限の可能性が秘められている。
何にだってなれるし、どんなところにでも行ける未来がある。
人は大人になるにつれ、その可能性を狭めていく。それが大人になるということ。赤ちゃんの頃の無限の可能性を消費し、成りたいモノになる。
それはヒーローのようなカッコイイ将来かもしれないし、はたまたヒロインみたいな癒しと慈愛に溢れた素敵無敵な女の子かもしれない。それとももっと別の可能性かも……。
けれどどんな未来だって、
「楽しみだなぁ……」
この子の未来は明るい。だってあの形離さんが親なのだ。ちょっと頼りないところもあるけれど、それを補う優しさと強さがある。
だからエビちゃんの未来は明るいのだ。
「あ、でも形離さんはたぶん、子供の尻に敷かれるのは避けられないだろうなぁ」
だって絶対に形離さん、この子に強く出られないだろうし。
今からでもそんな場面が想像できる。
“ちょっとママ、ゴミ出し忘れてたよ!”“ああ、ごめん、寝坊した”“もう、本当にママはダメなんだから”“いやホントにごめん”“もうそんなんじゃいつまで経っても独り立ちできないよ”“いやそれは本来俺のセリフじゃないか?”“やれやれ、ホント世話が焼けるんだから”“……それも俺が言うべきセリフだな”
ふふ、きっとこんな感じだ。
でもその未来予想図はとっても温かくて、幸せに満ちていて、なんだかいいなぁとわたしは思うわけで。
──そんな風にわたしは、春の香りに誘われるように浮かれていた。
浮かれすぎていて、現実を少し疎かにしてしまっていた。
大馬鹿だ。一体この二十年、何を学んできたのやら。世界はそんなに甘くなく、いつだって容赦ない、残忍で理不尽な悪趣味野郎だってことを骨身に染みてわかっていたはずなのに。
ふと気が付くと目の前に、布ではない異質な質感の金色の服に身を包み、肌はペンキ塗り立てみたいな目に痛いピンク色の変なナニモノかが立っていた。
「うあああああああああああ、うああああああ」
エビちゃんが盛大に泣き出す。
わたしはエビちゃんをあやそうとして、でも目の前のナニカから目線も集中も逸らせなくて、身動きができない。蛇に睨まれた蛙の気分。
気づけば、あれだけ周りにいた人が誰もいない。
「うああああああああ、うああああああああ」
エビちゃんの泣き声で、少し耳が痛い。というかぶっちゃけ意識が飛びそうなくらいの音の暴力。なのにやっぱり異変に気づいて見にくる野次馬の一人も現れない。
『ニンゲン、ソレヲヨコセ』
「……はい?」
するとわたしの脳内に、直接言葉が鳴り響く。
凄いテレパシーってやつだ本当にそういうのあるんだファミチキください。
現実逃避気味な脳の隅っこで、ちょっとテンション上がっちゃうわたし。
『ソレハ、ワタシノダ。カエセ』
顔面が、カニとタコが交尾中みたいなセルフグロエロ注意みたいなヤツは、わたしの腕で今も泣いているエビちゃんを指差し、というか引きはがそうと近づいてくる。
それでようやく気付く。
ああ、こいつが形離さんが言っていた例の宇宙人か。
ちょっと聞いていたよりグロイってか、迫力満点のビジュアルで正直泣きそうだし色々漏れそうだしで最悪なんですけど。
それで?え?なに?エビちゃんを渡せ?ワタシノダ?カエセ?ほうほうなるほどなるほど。
「ふざけんな。とっと失せろこの顔面モザイクビッチ。エビちゃんはお前のモノなんかじゃねぇぞ」
気づいたら、なんか啖呵切ってた。宇宙人に。しかもたぶん秒でわたしを殺せる相手に。
『ナニ?』
そいつは予想外の反応だったのか、一瞬あっけに取られて動きを止める。
は? 何で予想外なわけですかこのドピンク顔面セルフモザイクのエログロビッチが。
当たり前に決まってるだろ。誰がお前みたいなエログロビッチに可愛い赤ちゃんを渡すと思ってんだ。
そんな自分でもびっくりな怒りマックスで、さっきまでの硬直が噓みたいに解けた。それどころか敵対する気概まで沸いている。
こんな自分にも母性があったとは驚きだ。
『……。ニンゲン、死ニタイノカ?』
「死にたくないに決まってるでしょ。でも人間には命より大事なものだってあるってことですよ。覚えとけ宇宙人」
『……メンドウダナ。オマエニハ危害ヲ加エルナト言ワレテイル』
「え?」
わたしに危害を加えるなと言われている? 一体誰がそんな有り難いことを……。
『ダガ、オマエニ興味ガワイタ。……ダカラ持チ帰ッテ実験動物ニスル』
「いや秒で言いつけ破んな! 満足にお使いもできない子供か! というかわたしの人権軽々無視すんな!」
「うああああああ、うあああああああああああああああああああああああああ」
エビちゃんが盛大に泣く。わたしも精一杯大声を上げて抵抗する。ついでに蹴りの一発もくれてやる。
「痛っ」
でもこいつの『バブル全盛期中ですが何か?』みたいな趣味の悪い金色の服のせいか、まるでダメージが通っていない。寧ろ蹴ったわたしが痛い。たぶん足の爪が割れた。
『オロカナ』
宇宙人はそう言うと、銀色のボールペンのようなものを取り出しその先っぽをわたし達に向けた。
するとボールペンの先っぽから光が溢れ、光を浴びた箇所からわたしとエビちゃんの身体がドンドン崩れてペンの先っぽに吸い込まれていく。
え、なにそれヤバい。
「うあああああ、ああ……」
「エビ、ちゃん」
ああ、わたしの腕から、エビちゃんが粒子になって消えていく。どれだけ手を伸ばしても、いやその伸ばした自身の手さえ、崩れて吸い込まれる。
その光景に、わたしの中の感情が爆発する。
悔しい。どうして。泣きたい。身体が。歯がゆい。消える。怖い。逃げたい。戦いたい。情けない。役立たず。どうしたら。嫌だ。死にたくない。誰か。誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か。
「助けて────」
しかしわたしの悲鳴は、やっぱり
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