ヒーロー その①
とある晴れた春の昼下がり。俺、花坂形離は何の因果か、真っ赤なヒーローの衣装に身を包み、遊園地の隅に建てられたプレハブ小屋の控室に独りポツンと座っていた。
いや、因果も原因もわかっている。要は自分の身から出た錆である。
第二回チキチキ子育て教室がなんだかんだと終わり、腐女子もいつの間にか消え、俺も自分の部屋に帰ろうとした矢先、スタントマンの事務所のマネージャーである松本さんから電話があり「わりぃ、明日開催の■■県にある遊園地、『ワクワクパーク』の例のヒーローショー、あれだけは代役が見つからなくてな。すまんが……余裕がありそうなら出演してくれないか。……勿論無理なら無理と断ってくれ」との内容で、そしてその場にいた佐藤さんがそれらの事情を盗み聞きしていて「やはりヒーローショーですか……いつ出発します?わたしも同行します」なんぞのやりとりがあり、こうして俺、エビ、佐藤さん、というスターダストなメンバーで奇妙な冒険、もといお仕事兼旅行が敢行されたのだった。
え、情報が渋滞して追突事故を起こしている? ごめんなさい俺もそう思います。
きゃいきゃいした声が……俺以外誰もいないテーブルとパイプ椅子だけの簡素な控室の外から聞こえる。
今日は日曜日。しかもどうやら本日は開園十周年という記念日らしく、遊園地は大盛況のようだ。
テーブルの上に置いてある真っ赤なヒーローの仮面の目と目が合う。
昔自分がスタントマンとして演じたこともあるそのひと昔前のヒーローの顔に、何とも言えない複雑な感情が呼び起こされる。
あれを演じてから……もう五年も前だが、色々あった。……なんて言葉では足りないほど、今の俺の現状は複雑怪奇なことになったもので。
まさか自分が親になるなど、この仮面を付けていた時の自分は想像もしていなかった。
「でも俺は……親になったんだ。エビの……あの子の親。親子に、家族に」
あえて口に出す事で、それはまるでデータでしかなかった写真を現像するかのように、この世に実体となって存在感を増し、より確かなものになったように感じられた。
……思い出を残すために撮る写真というヤツを、俺は今まで理解できなかった。
思い出を……過去を形で残すことに一体なんの意味があるのだろうかと。
だって過去なんていうものは、俺にとっては取り返しのつかない、それこそ理不尽の象徴のように思っていたから。
それをわざわざ目に見える形で残すなんて、マゾヒスト意外の何ものでもない。
でも今では……それは違うと思える。
そもそも過去自体に意味はなくて。
どんな過去にせよ、そこに意味を見出すのが人間で、だから写真というのは人間のエゴの極みみたいなもの。
写真を撮る。それ自体が幸福で、意味を作り出す。
写真とは、過去の幸福へ至る為の鍵なのだ。
写真に収めたいほどの幸福な瞬間をいつでも呼び覚ます呼び水にして、また誰かとそんな過去の幸福を共有することができるツール。
……まぁグダグダと御託を並べたが、最終的に何が言いたいのかというと、結局俺は我が子の可愛い顔を撮りまくりたいということだけですハイ。
だって我が子が可愛いすぎるからネ。
「カメラ、買うか」
いや流石にそこまでお金に余裕はないぞ俺。そうだスマホ。スマホがあるじゃないか。その為のスマホ。その為だけのスマホ。
奴には無駄にハイクオリティな写真機能が備わっているのだから、あれで撮れば良い。
ああ、こんな事ならもっと前から撮っておけばよかったなぁ……。
「はぁ………………」
無駄に新たな後悔を獲得しつつ、背中をパイプ椅子に預け天井を見上げる。
頭から血が引き、冷静さが脳ミソにご帰還。
「………………………………………………こんなことに悩んでいる場合じゃねぇだろ俺」
そうだ。自分には、もっと頭を働かせなければならないことがある。
「…………名前」
俺は親になった。自分でもそれを認めることができるようになった。
だからこそ、棚上げしていた仕事にもしっかり目を向けるべきだ。
我が子であるあの子に、名前を授ける。
今までエビと仮称で呼んではいたが、あれは決して正式な名前ではない。
あの子を産んだあの日、ちゃんとした、素晴らしい名前を贈ろうと考えて名付けを保留にした。
けど本音は違ったのではないだろうか。
きっと俺は……こんな人間が他人に名前を付けるなんていう大それたことを無意識に忌避していたのだ。
だからここまで遅れるに遅れてしまったのだろう。
名前とは本来、生後十四日までに決めるよう法律で定まっている。日本にはそもそもお七夜といった風習があり、生後七日後に名前を決めるといった歴史もあったりする。
あの子が産まれてもう半月は経っているので色々遅すぎではあるが、それでもやるしかない。
だって俺は────あの子の親なのだから。
……と覚悟は決めたのだが。
「これが中々決まらない、よな」
一応候補はそれなりにある。けれど漢字の意味、苗字との相性、それに画数にも意味があるなど、その他色んな要素を吟味していると決められなくなってしまっていた。
「だけど……それよりももっと何か……大切な要素を忘れているような気が……」
それはまるでイチゴのケーキを作ろうとしているのに、イチゴを買い忘れているような、そんな感覚。
致命的である。でも逆にいえば、それにさえ気づく事ができれば自ずと名前は決まる、そんな予感が────
「……うっす。悪かったな形離。赤ちゃんの世話で大変な時に」
すると控え室の扉を開け、肩には大きなバッグ、手にはコンビニの袋を下げた、黒いスーツに身を包んだ不機嫌そうなマネージャーの松本啓介さんが入ってきた。
ふむふむ、今日も彼の厳つい三白眼は絶好調のようで。
松本さんは人が良いのに、纏う雰囲気とあの三白眼のせいで損をしている気がしないでもない。
「おはようございます。松本さん。いえ、元々無理言てったのはこっちですから」
パイプ椅子から立ち上がって、松本さんに挨拶をする。
「……そうか。………………じゃ、早速今日の打ち合わせなんだが……」
そうして合流した松本さんと今日の仕事の細かい段取りの確認がはじまった。
それから時間にして三十分ぐらい経った頃。
「──ま、こんなもんか。あとはここのスタッフと話しつめとけ」
「了解です」
「ん。…………そういえば、例の赤ちゃんは今どこにいる? 確か結局連れてくることにしたんだろ?」
松本さんは話もひと段落といったところでそう言って、コンビニの袋から缶コーヒーを二本取り出し、一本を俺に差し出しながらそんな事を聞いてきた。内心ドキリとする。
「コーヒー、ありがとうございます。えっと子供は佐藤さん……その、知り合いが見ててくれています。たぶん今は遊園地のどこかそこら辺を散歩しているんじゃないかと」
「ん……そうか」
いくら松本さんといえど、エイリアンであるエビと直に会わせるわけにはいかない。街中などで遠目で見るぐらいならいくらでも誤魔化しは効くが、直接紹介するとなるとどうしたってエビの正体はバレてしまう。
そんなワケで今日は申し訳ないが、エビのことは佐藤さんに全面的に任せてしまっている。
缶コーヒーのプルタブを開け、中身を一口飲む。
それはほのかに甘く、意外にも無糖ではなかった。
勝手なイメージではあるが、松本さんはブラック派だと思っていた。
「「…………………………」」
松本さんと俺は、そのままただ黙々と缶コーヒーを飲み続ける。
俺は脳内で「コーヒーってそういえばいつ頃から赤ちゃんは飲んで良いのだろうか?」などと上の空を決め込んでいたのだが……。
しかし不意に松本さんと目線があったかと思うと、松本さんは缶コーヒーをテーブルに置いてまたポツリポツリと話し出す。
「……おまえが活動休止するって言ってから、こうして面と向かって話すのはこれがはじめてか」
「そう、ですね」
やっぱり、そういう話になるよなぁ。
活動休止、そんな話を電話一本で済ますのは、流石に色々問題が出てくる。
現にこうして俺がココにいるのも、元をたどればそれが原因なわけで。
「勘違いするな。別に今更とやかく言うつもりはない。おまえにも色々事情があるのはわかっている。ただ────」
そうして松本さんが次の言葉を話そうとした瞬間、プレハブ小屋の控室に思わぬ来客が現れた。
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