黒いゴミ袋 その③

「────形離さん、馬鹿じゃないんですか」


 時間にすれば数分ほど。腐女子の黒髪に包まれていた佐藤さんが解放されて開口一番に放った言葉は、だった。

 俺、花坂形離はその言葉に正直言って面喰らってしまった。

 佐藤さんがどんな風に俺の過去を垣間見たのかはわからないが、開口一番がそれということはきっと余程俺の過去が不愉快だったのだろう。


「……えっと、すみません」


 だから謝る。謝罪は社会を上手く廻す潤滑油なのだ。現代社会は油まみれの素敵なヌメヌメ社会。


「なんで謝るんですか」


 けど潤滑油でも廻らない歯車頑固者はあるわけで。


「え、それは……なんとなく」


 ぶっちゃけ今の佐藤さんはなんだか少し怖いので。


「……形離さん、馬鹿じゃないんですか」


 またもの罵倒。……困ったな。癖になったらどうしよう。

 などとふざけている場合じゃなく。


「えーっと……」


 なんとも気まずい空気が流れる。

 とはいえ、だ。

 詳しいことはわからないが、佐藤さんは俺の過去を追体験?したのだという。

 それでこの感想は少々、いや実際のところかなり堪えているわけでして。

 かつて俺を救ってくれた鈴木さん達と似た人種である……陽だまりの中の住人のような佐藤さんから、改めてそう俺の人生を結論付けられると心にハンマーをぶち込まれたみたいに凹む。

 ……………………でも、そっか。

 そうだよな。やっぱり呆れて、怒りますよネー。

 俺の過去は、そして今の俺には、『馬鹿』と一言で片付けられる程度の価値しかない。

 大切な命を踏み台にして進んだ先が………………このていたらく。

 ははは、涙を通り越して、笑いがこみ上げてくる。


 ははははは、ははははは、ははははは、ははは……は、あ。……。


 ああ、本当にごめんなさい、鈴木社長、春子さん、英さん、前田さん、立花さん、堂島くん、岡本。

 俺は結局……みなさんに報いる事はできませんでした。

 ゴミ袋に捨てられていた子供は、やはりどこまでいっても────

 不意に、憎らしくも懐かしい、どうしようもない吐き気が身体の奥深くから湧き上がってくる。

 ああ、あの吐き気だ。

 俺は反射的無意識に頭を下げ、そのまま胃袋の中身をぶちまけようと……ようとしたのだが、しかし俺の顔を、佐藤さんは両手でガシっと効果音が出そうな勢いで鷲掴みにした。


「この……バカーーーーーーーー!!!!!」


 目の前で特大の爆発が起こったみたいな罵声が俺の耳にダイレクトする。腕に抱いていたエビもビックリして起きてしまった、というか泣いた。


「うああああああああ、うあああああ」


 そしてさっきまで己の身体に渦巻いていたあの吐き気も、噓みたいに吹き飛んでいた。


「え、はい?え?佐藤、さん?」


 しかし勿論そんなことは知らない佐藤さんは、俺の顔を掴んだまま、尚も声を張り上げる。


「な、に、が、『よくある話』ですか!!! めっちゃめちゃ重くて、二日くらい胃もたれ必須級の激重話じゃないですか! あんなもんそうホイホイ起きてたまりますか! 特殊すぎますよ形離さんの人生は!」

「それは……いやでも、世界中を見渡せば、俺より酷い人生を歩んでいる人はいっぱいいますし……」


 紛争地帯や独裁国家、ついでに難民街にでも行けば、お手軽に地獄を摂取できる。最近は地獄もファストフードが主流なのだ。何ならテイクアウトも受付中。地獄は飛び火するってネ。


「そりゃあいるでしょう! ……でも、でも、ああもう! そうじゃなくて!」


 佐藤さんは今まで見たことないほど取り乱して、両手で頭を一心不乱に搔き乱す。

 それから数秒後。見た目は落ち着いた佐藤さんはゆっくりと口を動かす。


「……いいですか形離さん。確かに世界は広くて、悲劇なんてどこにでもあって、悲劇に底なんてないかもしれないです。形離さんより不幸な人生を歩んでいる人はいっぱいいるかもしれません。

 ……でも形離さん。悲しいことはやっぱり悲しいことなんですよ。他人の悲劇と見比べて、自分はまだマシだから大丈夫、こんなのは普通のこと、『よくある話』……なんて自己肯定ほど虚しいものはない。そんなのは間違ってる。その人にとって悲しいことなら、素直に悲しんで、泣いて、弱音吐いて、誰かに助けを求めていいんです。

 形離さんの過去は……あなたが思っている以上に、私には悲しいものに見えました。簡単に割り切れるものじゃないと……。

 それなのに……なんであっさり『よくある話』とか言って、ただの過去の一ページにしようとしているんですか。形離さんはもっと……怒っていいし。ふざけんなぁぁぁあって、憤って、泣いて、泣いて。それこそ、そんな簡単に悟らないでください諦めないください


 そうしてやっと彼女は口を閉じた。


「いやでも、自分も大人ですし」


 いつまでもウジウジしていられない。形だけでも、取り繕って生きないと。

 だって世の中そんなに優しくはないのだから。


「そんなの、大人も子供も関係ありません。そりゃあトラウマを乗り越えるのは大事です。生きていく上で、人生辛いことの一つや二つはありますから。……けど乗り越えられてもいないのに、乗り越えた気になって目を背け続けるのは違うとわたしは思う。それは乗り越えるのとは全然別物です」

「それは……」


 図星、だった。


「キレイごと、じゃないですか。幾ら嘆いたって、過去は変わらない、そしてどんなに頑張っても乗り越えられないものはある。でも社会はそんな悲惨な過去を嘆いているだけの役立たずな弱者を助けてはくれない。ただ見捨てていく。目を逸らして、最初からなかったものとして扱う。

 だから自分も、あの過去は何でもない、『よくある話』だったと、思考停止して飲み込むしか、生きていく方法はないんですよ。例えそれが正しくない過去との折り合いの付け方でも、佐藤さんにとやかく言われたくはありません。人間は器用な奴ばかりじゃないし、強い人がいれば、弱い人もいる。

 これも一つの役割分担ですよ。弱い人間が頑張っても、共倒れの未来しかない。世間は格差社会なんて騒いでいますが、俺に言わせればそれがこの社会の真実で、恨むなら弱者に産まれた自分を恨むしかない」


 そう、それだけが俺に赦された贖罪。

 産まれながらに迫害されたどうしようもない弱者である自分への嘆き。

 そしてそんな自分を救い上げてくれた人々を助けることもできず、むざむざ死なせてしまった後悔。

 そしてそして、ただ皆の犠牲を無駄にして生き恥を晒す己への憎悪。

 それら全ての炎のような痛みと怨嗟こそ、それでも生きている自分にとってただ一つの慰めに他ならない。

 乾いたように日々を生きる裏で、いつでも自身を焼く灼熱の痛みこそが自分の救い。

 自己に向ける否定と憐憫だけが、弱者の愉悦にして特効の麻薬だ。


「じゃあどうして……形離さんはその腕に抱く赤ちゃんを育てているんですか?」

「え?」

「弱い人間がどう頑張っても共倒れの未来しかないなら、社会が本当に弱者を見捨てるだけなのなら、どうして自分を弱者と謳う形離さんが、一番に見捨てるべきその赤ちゃんを今なお大切にその腕に抱いているんですか?」

「それはだから……トラウマが原因で……」

「それでも形離さんの言葉を信じるなら、今この場にその赤ちゃんはいません。とっくのむかしに……形離さん共々、最悪の結末に至っていたはずです。でもそうはなっていない。今も形離さんはその子を育てていて、赤ちゃんも元気です。

 気づいていますか? さっきわたしの大声で起きて大泣きしていたエビちゃんですが、今では泣き止んで形離さんの胸に顔をうずめて眠っています。それはわたしとこうして口論している間にも、形離さんは無意識にエビちゃんをあやし、寝かしつけていたからです」


 勿論俺は気づいてなどいなかった。

 でも現にエビは確かに泣き止んで、俺の腕で幸せそうに眠っていて。


「……この世界は確かに残忍で理不尽でそれに加えて悪趣味です。でも、それにあらがう術がないわけじゃない。

 ────愛です。色んな言い方がありますが、多分一番簡単でわかりやすく言うなら、愛ってやつが、この世界を素晴らしいものに変える力を秘めている」

「アイ? 愛なんてそんなもの……俺に備わっているわけがない」


 何故なら、


「俺には……本来与えられるはずだった、一番初めの愛。親からの『無償の愛』を受け取っていないんですよ。……愛なんてものは、親から受け取って初めて自覚認識できるもの。俺にはそれがなかった。だから、だから愛なんて俺にはわからない。そんな出来損ないが、他人を愛せる……わけが……」


 ない。


「でも今腕で眠っているその子の寝顔を見れば、誰だってこう言いますよ。『その赤ちゃんはたっぷりと愛を注がれていて幸せそうだ』と。だってそれぐらい、今のエビちゃんの寝顔は幸せそうなんですから」


 ない、はずなのに。

 ……ああ、そんな眩しい笑顔で、そんな泣きたくなる言葉を言わないでほしい。

 だって、辛くなってしまうじゃないか。

 ずっと内緒にしていた秘密を、うっかり口に出してしまうぐらいに。


「でも……俺は……この子の『親』と……自ら名乗る勇気もありません」


 それはずっと抱えてきた自分の本音秘密

 いつも俺は……『親』という単語から逃げて、育てる立場の人間であるとか、責任だとかでお茶を濁してばかりいた。

 俺自身の口から、『親』と名乗ったことは一度もない。

 だって、怖かったのだ。

 こんな出来損ないの人間ゴミが、子を持つ『親』になるのが……。

 親からの『無償の愛』を知らない人間である俺が、ちゃんとした『親』になれるわけがないと思っていたから。


「大丈夫ですよ形離さん。大丈夫です」


 なのに佐藤さんはそう言って、俺の手に自分の手を優しく重ねてきた。

 勿論その手の先には赤ちゃんがいて。


「佐藤……さん?」

「形離さんは自分が思っているほど弱くないし、酷い人間じゃありません。だって形離さんは自分が酷い目にあっても、決して誰かに当たったりしなかった。それは凄いことなんです。弱さから他人を苛んでしまう人は……悲しいけど多いです。でも形離さんはそうじゃなかった。弱さを優しさに変えられた。弱さを知っているからこそ、人に優しく寄り添えられる。それだけで、形離さんは充分立派で、胸を張れる人間です。だから……」


 彼女は一度呼吸を挟み、それから俺の瞳の奥、そこに眠るナニカへ向かって、


「だから形離さんは、この子の『親』だと自分を赦してあげてください認めてあげてください


 今、一番欲しかった言葉を、彼女は形にしてくれた。


「………………佐藤さん」


 無条件な肯定ではなく、最後は自分の足で踏み出せと……そんな言葉を。

 その為に必要な勇気を持つための言葉を、くれたのだ。

 それが何より、俺には嬉しかった。

 ああ、彼女は本当に、俺のことを、いや、俺達『家族』を信じてくれているのだ。

 だから言える。

 言えるはずだ。

 言わないといけない。

 胸を張って、あの言葉を、ここで。


「俺が、俺がこの子の……ぉ………………お」


 決して強くはない人間だけれど、過去の悲劇を乗り越えず、抱え続けるしかできない俺だけど、それでもいいと、それが優しさに繋がると教えてくれた彼女のおかげで、俺は今、きっと初めて、本当の意味でこの子を育てる責任を背負うことができる。


 ────俺がこの子を育てる。最後まで責任を持って。


 あの時言った覚悟の言葉。誓いの言葉。それが今、また新たな輝きを放って、俺とこの子の未来を照らす光となるのだと信じて、我が子を抱く腕を少し強くして、俺は、


「俺がこの子の────」


 ………………………………………………………………ああ、でもやっぱり。


「────フフフ、フフフフフフフフフフ」


 とそこへ、聞き慣れた笑い声が聞こえてくる。


「いたのか腐女子」

「いたとも。……というか最初からいただろう」


 腐女子は口をすぼめて、ジト目をこちらに向けてくる。


「そう言えばそうだったな。色々あって忘れてた」


 というかせっかくの感動の場面に水を差さないで欲しい。お帰りはあちらです。

 ……くそ、今マジでいいところだったんだぞ。

 あと、あと少しで、あの言葉を言えたはずなのに。


 ────本当に?


「………………」


 小さくかぶりを振って、脳に沸いた雑念を振り払う。

 俺のそんな様子を一瞥して、腐女子は腕を組んで話を続ける。


「まったく。このワタシを忘れるとはイイ度胸だ。他のニンゲンだったら、魂の二つか三つは貰っているところだぞ。

 ……まぁいい。それより、あまり弱い者イジメはしないでやってくれないかなサトウサン」


 ねばつくような声音が部屋に充満していく。


「弱い者イジメ、ですか?」

「ああ、そうさ。ワタシがさっき学ばせてあげただろう? ……どうしようもない弱者にはね、希望さえ目を焼く呪いなんだよ。いつだって希望に裏切られ続けてきた弱者はさ、いつしかキラキラ輝くだけの希望を恐れ忌避するようになる。だって当然だろう? 『次こそはきっと救われる……! 今までは駄目だったけど、今度の今度こそ、この希望がワタシを救ってくれるンだ!』そんなものを何回も何回も何回も、それこそ数え切れないほど繰り返していれば心が死ぬのは当然だろう。希望を前にしても、そこへ踏み出す為の足は竦んでしまうものなんだ。……次も裏切られたら。そんな恐怖が弱者をよりダメにする」

「それでもわたしは……形離さん達を信じています」

「フフ……あれだけ骨の髄までこの世界の悪意を叩き込んであげたというのに、未だにそんなことをほざける頑固さだけは褒めてあげよう。けれど……その頑固に巻き込まれるニンゲンからしたらたまったものじゃない」


 そこで腐女子は一度目を瞑り、自身の真っ黒な髪で俺の頬を包むように触れさせる。


「そうだろ形離?」


 そして俺にしなだれかかりながら、俺の瞳にキスするかのように話かける。


「俺……は……」

「無理しなくていい形離。君は恐れただろ? 目の前にぶら下げられた希望に、猜疑の目を向けたはずだ。……だから最後、言葉が詰まった」

「違う俺は……!」

「俺は?……なんだい? 君はなんなんだい形離? 君はそこのエイリアンにとって、なんだというんだい? 違うと言うのなら、今、ここで、堂々とソレを宣言したまえよ!」

「……っ…………」


 言葉が、出ない。

 まるで喉に巨大な骨がつっかえているかのように、たった一言の言葉が喉から出てくれない。

 ……ああ、そうだ。腐女子の言う通りだ。

 俺は希望が怖い。

 この世界は残忍で理不尽でどうしようもなく悪趣味だ。

 こんな世界で……それでも佐藤さんは『愛』があれば何とかなると言う。

 果たしてそれが本当なのかどうか。

 結局今の俺には………………まだよくわからない。

 正直に言えば、そもそも『愛』というのもまだいまいちピンときていなくて。

 膝を屈するように、俺は下を向く。

 そこにはエビがいて、いつの間に起きたのか、俺を見つめるように顔を上げながら静かに抱かれていた。


 ……この腕にある小さな命が大切だということについては……もう異論はない。

 きっとこの子の為なら、俺はなんだってしてしまうだろう。

 これが、愛、というやつ……らしい。


 ……やはり、よくわからない。


 ああ、まったく自分が嫌になる。

 あれだけ佐藤さんに訴えられ、熱弁されても、このていたらく野郎の頭の中は何も変わっていないのだ。

 親からの『無償の愛』を受け取ることなく育ったが故に愛というものを理解できず。

 愛を知らないが故に、己を愛することもできず、己を肯定できない。

 そして皆に誓った夢を叶えたとは到底言えない弱者の自分。

 ヒーローになって、爆発で、この世界の理不尽や悪意を輝きに変える。

 そんな馬鹿みたいな夢は……片鱗さえ掴めていなくて。

 ……そして数少ない希望を夢見れば、いつだって裏切られ続けてきた我が人生。

 自分を信じると書いて、自信という。

 成功体験というやつが、俺の過去にはないのだ。

 俺には己へ向ける愛も、自分を信じるに足る過去もない。

 だから、最後の最後に、躓いてしまう。


 ああ、やっぱりこんなゴミが『親』だなんて、土台無理だったんだ────


「……


「……え?」


 いつものように、怠くとも心地よい諦念の泥繭に包まってしまおうとした矢先のこと。


「まんま。……まぁま」


 その一言は、思いがけないところから告げられた。


「い、今、俺のこと……ママ、って言ったのか?」


 それは己の腕の中の小さな命から発せられた声……いや、言葉、だった。


「フ、ただの偶然だろ」

「い、いいえ腐女子さん。わたしにも確かに聞こえましたよ! ママって!」

「まぁま。……ママ、マンマ!」

「ママって……本当に……そんな……。いやでも、俺が? この、俺が?」


 信じられない。だって、だって俺はお前に……何もしてあげられていないじゃないか。

 それなのに、なんで、俺のことを……ママって、言うんだよ……。

 こんな、こんなろくでなしの俺を。

 そこへそっと寄り添うように、佐藤さんが静かに言葉をかけてくる。


「確かにわたしは頑固者で、周りが見えていないかもしれません。でも、それでも、これだけはわかります。形離さんは頑張っていました。必死にこの子の為を思って。命を削ってこの子をここまで育ててきた。……それをちゃんと、この子も見ていたんです。だから形離さんのことをママと……そう呼ぶんです」

「いやいや二人とも少し待ちたまえ。形離は男だそ。『ママ』は間違っていないかい?」

「……お前が、ソレを言うな。最初にママになるんだよとか言ったのはお前だろ」

「む……」

「ママ。……マんマ! ママ!」


 目の前の小さな命が、手を広げて、精いっぱい、喉を震わせ、口を動かす。

 伝える為に。

 己の意思を、これ以上なく明確に、逃げ場なく伝える為に。


「あ……」


 こんな時、なんて返事をするのが正解、なんだ。

 どういうのが親っぽくて、その、親らしい対応なんだ? 正解は? 正解を教えてほしい。


「ママ! ママ!」


 俺はどうしようもなく弱者で、ろくでなしだ。

 復讐も、夢も、何も叶えられていない。

 自身を信じる過去もなくて、肝心な時にいつも躓く。

 でも……でも、こんなろくでなしでも、何かを花咲かせることはできたのだ。

 だから自然と……人知れず咲いた花に朝焼けを届けるように、口が開いた。


「……俺が、ママ、だよ」

「ママ! ああう、あいうい! あい!」


 まるで俺の返事を待っていたとばかりに、目の前の小さな命は……我が子は喜びを露わにした。

 もう……もう、我慢できなかった。


「はは……は。そっか。………………そっかぁ。俺も少しは、できるやつだったのか」


 俺はいつの間にか、この子の『親』に……『家族』に成ることができていたのだ。


「……俺、やっぱりこの子の……親なんですね」


 こんな関係を、親と言わなかったらなんだって……俺も思うから。


「ママ! ママ!」


 そして今の俺の言葉を喜ぶように、また我が子が笑う。笑ってくれる。花が揺れるように。

 こんなの言葉だけで。


「もちろんです。形離さんとこの子は正真正銘、家族ですよ」


 そんな俺達親子を祝福するかのように、佐藤さんは笑ってそう言ってくれて。


 ────そっか、俺、いつの間にかこの子の親に……『家族』になれていたんだな。


 それは自分がいつの間にか子供から大人になっていた時のような、何とも言えない寂しさと誇らしさが入り混じった不思議な感覚。

 ああ、そうか。そうだったのか。

 これが、愛。

 これが、誰かを愛するということ。

 相手を慈しみ、大切に思う心。

 これこそが、きっと愛なのだ。

 親からの『無償の愛』を受け取る事なく育った自分は、自分さえ愛することもできなくて。

 でも、こんな俺にもやっと、人並みの愛を持つことが……できていたのだ。

 我が子のおかげで。


「ありがとう。……ありがとう。あり、がとう」


 口から漏れるのは、感謝の言葉だけ。

 ……そんな今だから、愛を自覚できたこの瞬間だからこそ、改めて願わずにはいられない。

 例えそれが無意味かもしれなくても。

 どうか、どうかこの腕に抱く小さな命の花の未来に幸福が咲き誇りますように。

 それはこの悪趣味で幸福な世界を生きていく上での、俺にとっての名前のような輝きになってほしいと、そんな祈りを込めながら。

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