サイエンスでフューチャーするベビーなエビデンス その②

 天気は晴れ、曇一つない気持ちの良い青空が春の訪れを祝福するかのように広がっている。

 まさに絶好のお出掛け日和……といってもいつもの独りプラプラ自由気ままな買い物ではないので、心軽やかとはいかないワケでして。

 ……自分の腕の中に赤ちゃんがいる。それだけで外の世界がまるで戦場の如き危険地帯に感じられた。

 横を音もなく走り去る自転車なんて、戦場を駆ける最新鋭ステルス戦車みたいなもの。信号待ちでこちらをジロジロ観察するおばさんは某国の凄腕スパイで、道路を走る車の排気ガスは、地区を汚染する人道無視の血も涙もない殺戮ガス兵器と一緒に感じてしまう。


「────」


 疲れる。

 神経が休まる時がない。というか腕に赤ちゃんを抱いているだけで、こうも世界は違うものなのか。

 何が知らないばかりの世界で頼れるのは自分だけ、だ。知らない世界に放り出されたのは俺も一緒じゃないか。

 世の親の方々は、こんな戦場を毎日歩いているというのか。

 すると道路の向こうから、背中に赤ちゃん、胸にも赤ちゃん、右手には三歳ぐらいの男の子、左手には五歳くらいの女の子と手を繋いだお母さんが悠々と歩いてきた。

 な、なんだこの人……歴戦の戦士、いや化け物か!?

 俺は思わず大先輩なる名も知れぬお母様に敬礼なんぞをしてしまう。


「────」

「ママぁ、あのひとなにしてるのー?」

「シッ! 見ちゃだめ!」

「えー」


 ……どう見ても不審者です本当にありがとうございました。


「俺が事案になってどうする……」


 それからも神経をすり減らしながら、なんとか近場のスーパーに辿り着いたのだった。





 スーパーしのはる。地域密着型のこのスーパーは、品揃えも豊富で主婦の味方だ。

 因みに時々タイムセールなどをやっていて、主婦の方々にとっての真の戦場と化す何とも愉快なテーマパークでもある。

 BGMもタイムセール時には戦士主婦の血をたぎらせる為か、何とデスメタルを流すイカれっぷり。フリーダムすぎる。

 しかしこの辺の主婦の方々が血に飢えた戦闘狂になるのは、そうならざるをえないほどのストレスを日々募らされているのではと邪推してしまう。…………あまり深く考えないようにしよう。今日も世界は平和デス。

 さてさて、そんな自分の感想何ぞ今はどうでもいい。さっさと目的のブツを買って部屋に帰らなければ。

 音の鳴らない自動ドアをくぐり、いざ入場。

 しかしここで問題発生。

 目的の物がどこに置いているのかがわからない。

 まず粉ミルクがどこに置いているかがわからなかった。最初牛乳などが置いている所へ向かったが、そこには置いていなかった。

 次は味噌汁などが置いている加食品売り場へ。なんかお湯を使うイメージだからあるだろうと思ったが、しかし無い。

 お次はお菓子売り場へ。お菓子、子供、赤ちゃんという連想ゲームばりの閃きである。だがそこも探すのに時間がかかったわりに、結局置いていなかった。

 それからフラフラスーパー内を彷徨い、やっとの思いで見つけた場所は、ベビー用品と書かれた売り場だった。


 ……そんな売り場があるのを、今日はじめて知った。

 何とも自分が馬鹿らしくなる。灯台下暗し、どころの話じゃない。

 人間は自分の興味の無いものにはとことん無関心という事を、疲れ切った骨と身体が染みるように理解するのだった。


「いや、でもとりあえずこれで目的のものは一つ買えた。あとはオムツを買い足して、あ、それから哺乳瓶もいるか……」


 スリム型から大型、それにもっと小さなサイズまで、意外に哺乳瓶にも種類がある。


「エビは結構飲みそうだし、この大型サイズの哺乳瓶にするか」


 だってエイリアンって、何だか食欲旺盛なイメージだし。それも星を枯らすレベルで。


「次はタオルか」


 それは比較的簡単に見つけられた。というか、ベビー用品売り場のすぐ近くにあった。

 感心する、ちゃんとお店側はお客様の意図を汲んで陳列してくれているのだ。……しかしそれを理解しない馬鹿な客がいるのが、世の無常を感じる。

 なんかホントすみません。お客様は神様と言いますが、俺達にそんな資格も能力もありませんよ店員様。

 するとふと腕のバスタオルがもぞもぞ動き出す。


「あらら、起きちゃったか?」


 バスタオルの間から、エビのむず痒そうに顰めている顔が見えた。


「ちょっと待っててな。もうすぐ終わるから……」


 そう言い終わるやいなや、まるで風船内に閉じ込められていた空気が我慢の限界とばかりに、それは爆発した。


「ぴやあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


「うお!?」


 それは今まで聞いたどんな騒音より鼓膜と精神を揺らす音だった。


 音が、痛い。


 鼓膜が捻じれ、脳が溶けてそのまま鼻から流れ出すかと思うほどの音圧と刺激。身体は痙攣し神経が大嵐の如く波打ち、受容体を削り飲み込む。それらの奔流に踊らされ意識は跡形も無く消し飛ぶが、しかしその奔流によってまた強制的に意識は覚醒する。

 それは最早ただの泣き声と呼ぶにはあまりに人体に有害かつ危険な音のレベルに達していた。というか最早爆弾である。これには爆弾愛好家の俺からも百点満点を与えてもいい。

 勿論そんな騒音が起これば、スーパーのか弱い電球など木っ端微塵に割れてしまう。近所のスーパーに戦場並みの設備を期待する方がどうかしている。

 そして戦場にも負けない騒音の嵐に巻き込まれた憐れな一般人は勿論俺の他にもいるわけで。

 ……しかしてどういう訳か、俺以外の他の一般人は、何故か目をたぎらせてとある売り場へと駆け込んでいく。


「ちょっとどきなさいよ!卵は私のものよ!!」

「肉、買ウ。オマエ、ジャマ」

「ヒャッハー!今日もタイムセールのお時間よー!」


 ……ああ、そうか。この音をいつもの戦闘開始の合図と勘違いしていますねぇこれは。

 ここ『スーパーしのはる』は酔狂な店長の粋な計らいで、タイムセール時にはいつもBGMにデスメタルを流すフリーダム地帯。

 なので主婦の方々は「あら今日も戦闘開始のお時間なのね、オホホホ」みたいな気軽さでこの騒音を聞き流しタイムセール売り場へとなだれ込んでいるようだ。

 いやどんだけ戦場慣れしてんだここら辺の主婦様方は。血の気多すぎませんか?

 俺はこま切れ状態の意識の中、人間スゲーとか思いながら膝をついて首を刈られ待ちの死刑囚みたいに首を垂れる。

 こちとら正真正銘の一般人なんで、この音を優雅に聞き流したりはできねぇのです。

 それでも不思議なもので、そんな極限状態の中でも腕に抱いた赤ちゃんだけは決して離す事だけはしなかった。


「うきゃあああああああ……ああ、ああう」

「────はぁ!?」


 一瞬泣き声の威力が弱まり、正常な精神活動を再開させる余裕が産まれる。


「う、う、うああ……」

「うおおおおおおおおおおおおよしよし! よ~しよし、大丈夫、大丈夫だぞぉ、べろべろばぁあ、あっぷっぷぅ、じゃじゃ馬バババン、バン、バン」


 顔の筋肉を限界まで酷使し、いわゆる変顔を作る。それは文字通り命懸けの芸だった。

 俺は魔王に命乞いする憐れな生贄にも引けを取らない必死さで、エビのご機嫌を取る。

 ……そう連続でアレを至近距離で喰らえば確実に命は無い。こんな事で死ぬのは流石に御免である。


「うう? ……うう、ううあ、あうう、あ、ああいああい」


 泣き顔だったエビは俺の顔変化に興味を映し、目をキョロキョロさせる。それから嬉しそうに笑い出す。


「……ふぅ」


 何とか危機は脱出したらしい。


「うああ、ああ、ああっぶぶぶ、ああうえぁあ、ああ」


 可愛いらしい笑い声。

 それにしても、先程あれだけ泣いていたというのに、もうご機嫌なのは不思議なものだ。エビが特別なのか、それとも赤ちゃんとは皆こういうものなのだろうか。

 泣いて笑って泣いて、また笑って、赤ちゃんも意外に忙しい身の上のようだ。


「……と、今のうちに会計を済ませないと」


 俺は突然照明が割れるし、謎の騒音が流れるしでてんやわんやな店員と、そこに勘違いして突撃する戦士たち。そんなカオスな状態のスーパー内を尻目に、レジでしれっと会計を済ませてその場を後にしたのだった。


 いや、その、今度何かもっと沢山買い物するので、それで赦してください……。

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