サイエンスでフューチャーするベビーなエビデンス その①
赤ちゃんは……眠るのと泣くのが仕事だと誰かが言った。
ふむ。その意見には同意だが、しかしもう少し書き加えるべき事項があるのではないのかと個人的には思う。だから正確に言うならこうだ。
赤ちゃんは、眠るのと泣くのが仕事で、そうして────
天の川銀河の端っこにある太陽系の第三惑星地球にある島国の首都東京のこれまた端っこの街にある築二十年のアパートのそれほど大きくも小さくもない黄金比率である四畳半部屋の一角でのとある朝。
そこで男一人、見た目女性?のナニカ、そして男である自分の腹から産まれたエイリアンの赤ちゃんという世にも奇妙な三人組が一堂に会するその場で、俺は人生最大の決断をした。
子供を育てる。
それは重い、重い、俺にとっては地球より重い決断だった。
しかしそんな重い決断をしたのは良いが………………早速問題は山積みだった。
「まず……何をすればいい?」
「そこからかい?」
子育てなんぞ一度もした事がない俺にとって、まず何がわからないのかさえわからない。
そんな初歩の初歩から躓く始末。
ふむ、やはり早まった決断だっただろうか。
「まぁ、なんだ。ソレに名前でも付けたらどうだろうか?」
「なまえ……」
「これからソレを育てるんだ。なら名前が無いと色々不便だろう」
「言われてみれば……そうだな。でも……」
名前、それはきっと人生で人から贈られる二番目に大切なモノだ。
一番は命。その次が……たぶん名前だ。
名前は言わばその子の人生のタイトルのようなモノ。そのタイトル次第でその子の人生が変わると言っても言い過ぎじゃない。
小説も映画もタイトルがダサければそれだけで評価が下がる。
逆にこれしかないといったタイトルなら、それだけで評価は上がるものなのだ。
人の名前もそう。あまりにも変な名前なら、それだけで虐めの対象になったり、またはコンプレックスにもなりうる恐ろしい可能性を秘めている。けれど逆に名前自体がその子を叱咤し、逆境を跳ねの除け、生きる力になり得る場合もある。
それに名前はきっと……親たちの祈りなのだ。その名前のように生きて欲しいという、その子の幸せを祈った尊いもの。
だから名前は……簡単に、そして安易に決めてはならない。
少なくとも、俺はそう思う。
「いや、名前はもっと時間を掛けて考えてから贈る事にする。名前はそれぐらい、大事なものだから」
「そうかい? 形離が言うならそうすればいいが、しかしとりあえずの呼び方だけでも必要だろう」
「それならエビで」
見た目エビっぽいし。
「……君、名前は大切なものじゃなかったのかい?」
「いや、仮なら別に適当でいいだろう」
そこで時間をかけるのは本末転倒だ。効率的じゃない。
「形離のその極端な割り切り方、いやドライさか。何とも君らしいよ全く」
「どういう意味だ?」
意味深に一人頷き、肩をすくめる腐女子。
「いや気にしないでくれ。ただ君の人生はきっとそうしなければ生きていけないほど、余分がなかったというだけの話なんだから。それよりその……エビくん?は男の子なのかい?」
「あー……」
言われるまで性別さえ確認していない事に気付く。だがそもそも、エイリアンに男女の区別はあるのだろうか?
「どう判断すればいいんだ? というかあるのか、そういう性別的なやつ」
「……とりあえず、ついているか、ついていないかで判断してみるというのは?」
「いいのか、そんな適当で?」
「わからないのなら、わかる範囲で判断を下すしかあるまい」
なるほど。確かにそれは合理的だ。ならそれに習うとしよう。
腕に抱いているエビくんちゃんを両手で持ち上げ、ついているのか確認する。
……。
「女の子だな」
「っち」
こいつ舌打ちしやがった。
「おい」
「……なに、趣味じゃなかったものでね。くそ、男の子なら、これからショタと男親の背徳的ラブロマンスが期待できたものを……」
「この腐れ外道が」
そそくさとエビちゃんを抱いてこの
「まぁ何はともあれ、仮称の名前も決まった。その子の性別も判断できた。これでやっとスタートラインに立ったようなものじゃないかい?」
「そう……だな。じゃあとりあえず……衣食住を揃えるべきか? 住む所はここでいいとして、エビ用の服と食べ物がまず必要だよな」
人間、衣食住が生活の基本にして原則。それさえあればとりあえずは生きていける。
エイリアンでも……そこの原則は大まか同じだろう。それが赤ちゃんでも。たぶん。
「ふむ、堅実に攻めたね。やれやれ、面白くない。もっと突飛な発想を期待していたんだが」
「……本当に自分の本心を隠さないなお前は」
「人間如きに隠さない事による不利益は存在しないからね」
「所詮嘘を吐く価値もない人間ですよ俺は」
嘘は基本自分の為に吐くもの。人間だって蟻んこに嘘を吐くモノ好きはそうそういない。蟻んこにどう思われようと、俺達の生活に支障をきたす事はないのだから。
「でも服と食べ物、か。……金が必要だな」
金。金……か。
「腐女子サマ……」
「却下」
「まだ何も言っていないが……」
「どうせ厚かましくも金を恵んでくれとでも言うつもりだろう」
「よくわかっていらっしゃいますね腐女子サマ」
「安いゴマすりはよしてくれ。全く、最初から金を借りるという選択肢がない所がろくでなしに拍車をかけるね」
「いやいや、返す気がないのに借りると嘘をつくよりは誠実じゃないか」
「……はぁ、こんな親を持ってこの幼体も可哀想に。子は親を選べないとはいえ、理不尽な世の中だよ」
「まぁ、そこは否定しないが」
理不尽でなければ、そもそもここにこの赤ちゃんはいない。
……そう思うと何だか複雑な気分になるな。
「そもそも形離は、スタントマンの仕事で大怪我をした時ようにそれなりに貯金はあるはずだろう。まずその金を使いたまえよ」
片方の眉を皮肉げに吊り上げる腐女子のその言葉に、思わず眩暈を覚える。
「いや、でもそれは……」
それは本当に、もしもの為の貯金なのだ。スタントマンの現場の事故で後遺症の残る怪我をする確率は決して低くない。だからそのもしもの場合に備えて、爪に火を点す覚悟で今までコツコツと貯めてきた。
決して、子育ての為の貯金では────……。
「それは……なんだい? まさかこの状況において、まだ自分の夢を追えるとでも思っていたのかい? フフ……フフフフフフ! おいおい、あまり笑わせないでくれ。その程度の覚悟で、子を育てるなどとのたまったのかい? ならお生憎さま、それは不可能だ。その程度の覚悟なら、さっさとソレをゴミ袋に詰めて捨てた方がいい。それがお互いにとっての幸福だ」
「やめろ!」
耳障りな雑音を無理矢理かき消す。
捨てる捨てる言うな。
ゴミ袋に、大切なモノを、捨てるって、言うな。
それは命だとか……夢、願い、いや結局そのどれもがやっぱり当人にとっては命みたいなモノで、だからそれを簡単に、捨てるなんて、少なくとも俺の前では言わないでくれよ、頼むから。
しかし目の前のヒトデナシに、そんなささやかな人の嘆願など聞き届ける理由も道理もありはしない。
「フフフ、いやいやここらが分水嶺だろう? さっきも言ったように、これは君達二人の幸せの為に言っている事なんだ。ここであやふやなまま流してしまえば、最後に後悔するのは君だけじゃないのは……形離、君が一番身を持って知っているはずだ」
このヒトデナシは、こちらの事情を知っていてなお、いや寧ろ知っているからこそ、ニタニタ顔で正論を叩きつける。
正論ほど、人を痛めつける罵倒を俺は知らない。
「さぁ、形離。結局どちらを捨てるんだい? 己の夢か、その目の前の命か」
黒い、黒いゴミ袋。それは何でも捨てられる魔法の袋。
だから俺は、俺は、おれは────。
暑くもないのに額から汗が伝って、そして床へと落下する。
「……どっちも、捨てない。とりあえず、貯金は崩す。それで当面の金の問題は片付く。スタントマンの仕事も、休業扱いでいいだろ。何も今すぐ捨……選ぶ必要はない」
ゆっくりと吐き出した息が、疲労に滲んで色がついているかと思った。
「それは……随分と甘い選択だね。それでは結局この問題の本質が解決していないのは理解しているかい?」
そんなの、嫌というほどわかっている。
結局俺は半端な覚悟しかないのを自覚した上で、この腕に抱く命を育てると言っているのだから。
だからきっといつか、致命的な行き止まりに行き当たってしまう未来からは、逃れられていない。
「いい。その時はその時だ。きっとその時の俺が、ツケを支払うだけだ」
だから、今は、
「ただそれが、てめえだけで払えるツケになるよう今から準備はする」
この甘い、我儘な覚悟で赦してくれ。
「そうか。ならもう何も言うまい。それなりに楽しいものは見られたし、そしてこれからも見られそうだしね」
髪がミヨン、ミヨンと彼女の心の内を表わすかのように飛び跳ねる。まるで獲物が罠にかかった事を確認する昆虫の触覚みたいな動き。
見ていてゾッとする。髪は女性の命というが、コイツに限っては命を絡めとる触手といったところか。
「じゃあとりあえず当初の予定通り買い物か。……こういう時って、ネットショップで買えばいいのか? 今すぐ必要なオムツとかミルクはスーパーで買えばいいだろうけど、服やベビーカー、あとベビーベッドとかは流石に近場では売ってないだろうし」
エビをこのまま抱えて遠出は……エビの見た目からちょっとした騒ぎになるのは目に見えている。
流石に身体の一部分に甲殻類のような殻や、お尻からエビに似た尻尾を生やした赤ちゃんを裸で抱っこしてる成人男性は、どう考えてもネットの晒し者、アンド警察のご厄介になるだろう。
こんな事で有名にはなりたくない。体の良い社会のサンドバッグとかそんな罰ゲームみたいな処遇を自分から被るのは、一部のモノ好きだけでいい。
ネット社会の恩恵と弊害だ。ネットのお陰で気軽にお買い物はできるが、ネットのせいで気軽に出掛けることもまた難しくなってしまって。
表裏一体。何事も上手くは回らないのデス。世知辛いなぁ。
「ふむ。現物を見ずの購入はモノに不安と不満が残るだろうが、今回の場合は仕方あるまい。まぁそれに……店舗別購入特典も同封されるわけではないだろうしね」
まるで後者が一番重要かのような物言いの腐女子。
いやいや、流石にベビー用品にラノベやゲームのような店舗別購入特典なんて同封されても、そこまで人は赤ちゃんをポンポン産めない生き物だ。
「しかし、ベビーカーやベビーベッドといったもの、そんなに今すぐ必要なのかい? 無いなら無いで、なんとでもなりそうな気がするが」
すると髪の毛ではてなマークを型取りながら腐女子はそう言った。
「……え? イメージでは何かママ、パパが真っ先に買っているイメージなんだけど」
「……これはワタシの予想より色んな意味で大変かもしれないな」
やれやれと首を振る腐女子の態度にそこはかとなく苛立ちを覚えるも、しかし今の自分の発言がかなりマヌケだったのは否めない。
「わかった。自分如きの中途半端なイメージは今ここで捨てるよ」
「そうか。しかし捨てただけでは、中身が空っぽなままなのは変わらないぞ?」
「今の世の中、グローバルで世界と繋がっているんだ。知らない事はググレカスで万事解決よ」
「ほう……」
さてさてポケットから万能お手軽電子機械、スマホ様を取り出し『赤ちゃん 準備』と打ち込む。
するとあっという間に世界と繋がり、俺の知らない知識をこの小さな手のひらの中へと召喚する。
「え~、どれどれ……」
一発目に表示されたのは、なるほど赤ちゃんの為の除菌グッズだった。しかもママパパの商品満足度を赤裸々に語ったコメント付き!他にも色んな除菌グッズが目白押しで…………。
「……広告か」
とりあえず気を取り直して、横で意味深にフフフと笑う腐女子を無視して、二つ目の検索結果にアクセスする。……とあるオモチャ屋の会員登録画面だった。
またも広告である。
「……ま、まぁ次、次……」
それからも色々と検索したが、結果はどうにもこうにも自分の求める情報にたどり着けなかった。
というか広告ばっかだ。
もっとしっかりと探せば求める情報にアクセスできるのかもしれないが、俺のレベルではその前に要らない情報にどうしても行き当たってしまう。
これでは折角のグローバルも意味がない。
なんてことだ。
「フフ、腐腐腐腐腐! 今や世界はグローバルで繋がっている、確かに形離の言う通りそれは正しい。だが、その弊害として、情報全体の価値は著しく下がっているのだよ!」
腰に手を当て胸を張り、まるで魔王が如き堂々とした振る舞いで腐女子はそう宣言する。
「……腐女子の言う通りだとすると、皆が皆、各々の情報を好き勝手に発信するから、どれが本当に価値ある情報なのか見極めることができなくなったわけか」
「その通り。しかも競争社会の宿命として、金さえ積めばより上位の検索結果として表示される」
「だから真っ先に広告ばっかりが表示されたのか」
ダメじゃないか。今の世の中ではググってもカスはカスのまま。
世界と繋がっても、人は争うことしかできないのか。
というかこの勢いなら、ベビー用品でも店舗別購入特典があっても不思議じゃないぞ。
「……俺は争いたいんじゃなくて、助けを求めているんだが」
「なら考え方を改めて、世界にではなく身近な所で助けを求めればいい」
「身近な所?」
一体どこの事を言っているんだこの魔王サマは。
「お隣の二〇二号室のサトウサン」
「いや身近すぎるだろう!? お前わかってないのか。エビは人様に見られたらまずいって事を」
「だが彼女なら、的確にこちらの求めるアドバイスを聞けると思うのだが……」
「却下だ、却下。流石に佐藤さんにまで迷惑はかけられない」
佐藤さんは俺なんかと違って、普通に良い人だ。
そんな彼女をこんなわけのわからない事態に巻き込む事はできない。
──────断じて
「ああもういい。ここは無難に本屋で子育ての本を買ってくる。ついでにミルクとオムツも買えば、それでとりあえずは何とかなるだろう」
「まぁ形離がそれで良いならワタシは止めはしないさ」
「じゃあちょっと外出るから、エビのこと見ててくれ腐女子」
「だが断る!」
それは日本において最上級の否定形ではございませんか!?
「はぁ!? ちょ、ここはふざける所じゃないぞ」
「いやいや、何故ワタシがその幼体の世話をしなければいけないんだ? そんな義務も責任もワタシにはないだろう」
「ぐ、いや、それはそうだが……」
痛い所を突かれた。
「ワタシはたんに面白そうだから今まで付き合っていただけだ。話がまとまったなら、ワタシは自分の部屋に帰る」
……これだ。コイツに人間らしい期待をかけたら痛い目を見る。コイツと俺に交流が曲りなりにもあるのは、俺の存在がコイツにとって面白いからに他ならない。
コイツは徹頭徹尾、自分の利益の為にしか動かないのだ。
ああ、きっと俺の腹の穴を塞いでくれたのも、本当はその方が面白いと思ったからに違いない。
決して、俺の今までのお使いの借りを返したとかそんな理由ではないのだ。
コイツにとって俺は友人ではなく、虫篭に囚えた愉快な観察対象でしかない。
「このヒトデナシめ」
「人じゃないが?」
「………………」
二の句が継げない。
「フフ。さて、それでは宣言通り、ワタシは自分の部屋に帰らせてもらうとするよ。……もし次に何か困った事があれば、面白そうなら観察しに来るからそのつもりで」
そんな言葉を残し、腐女子は本当に自分の部屋へと帰って行った。
そうして部屋に残されたのは、俺とエビの二人だけ。
自分の部屋なのに、まるで無人島に置き去りにされたかのような不安に襲われる。
「どうする? このままエビ一人を置いて買い物に行くか」
幸いエビはスヤスヤと寝ている。そもそもエビは普通の人間の赤ちゃんではないのだし、少し目を離しても大丈夫なはず……。
けどだからって。
「……産まれたばかりで一人取り残されるのは……寂しいよな」
凡そ生後六時間かそこらの、産まれ灯ったばかりの命。
まだ世界がどんなものかも知らない、いやそれどころか知らないものしかない
この子にとって、頼れるのは俺だけだ。そんな自分が早速この子を一人置いてどこかに行くのは、例えこの子の為でも違う気がする。
「はぁ……しゃあない。チョロっと近場で買い物するだけだし、バスタオルで上手く包んでいれば誰にもバレない……よな」
そうして俺は早速血塗れの床を軽く拭き掃除し、それから新しい服に着替え、次に清潔なバスタオルを取り出し、エビを優しく包み込む。
繊細に、まるで王の宝物を扱うナイトのように。
「さぁ初お出掛けですよお姫様」
おいおい何ですか今のセリフは。自分で言っておいて寒気がする。
だがまぁ子宝とはよく言ったもの。どんな権力者でも、きっと一番大事な宝は子に違いない。
「……」
寝ていたはずのエビが、ふと笑った気がした。それだけで、もうなんでもいいかと思う。この子が笑ってくれるなら、ピエロでもナイトでも、なんにでもなってやるさ。
そうしてエビとの、早すぎる初お出掛けが始まった。
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