お腹を痛めて産んだ子供 その③

 夢を見ていた。


 自覚的な夢、明晰夢というやつだと頭のどっかが珍しく気の利いた解答を吐き出す。

 それは奇妙な夢だった。夢なんて大抵奇妙なものだが、でもやっぱりこいつは高熱でぶっ倒れた時にみる夢にも負けず劣らぬ、って感じに奇妙さが飛びぬけていた。

 その夢は、自分の口の奥、多分胃の辺りから伸びている糸を延々と手を使って引っ張り、口から吐き出し続ける、そんな内容だった。

 何故そんな事をするのか。それはわからない。もしかしたら吐き出した糸を使ってミートスパゲティでも作りたかったのか、もしくはこの奇妙な糸がどこまで引き出せるか試してみたかったのかもしれない。

 それともこの糸の先、一番奥に眠るナニカを身体の外に出してやりたかったのかもしれない。


 ……でも結局目的はわからなくて。俺の脳みそさんはいつもの性能を取り戻してしまって、鈍くて使いものにならない。


 だから、わかるのは過程だけ。

 俺はただ糸を吐き出し続けるということ。これはそういう夢で、他に選択肢はない。

 ああでも、やっぱり少し不快だ。だって身体の奥から伸びる糸を手で引っ張って吐き出し続けるなんて、俺の身体はどうなってしまったのか。

 そんな疑問が、不快の原因。

 でもそれだけの不快じゃ悪夢と呼ぶには役不足。悪を名乗るなら、もっと趣味全開じゃないと。悪夢はもっと痛くて怖くてキモチよくて、死と隣り合わせどころか一緒にケツ降ってダンスするぐらいでちょうどいい。


 例えばそう────黒い黒い、何でも捨ててしまえる黒いゴミ袋。

 あれなら最高に悪趣味で、死さえも内包して葬ってしまえる────悪夢の具現だ。


 それを鮮明に幻視した時、俺の意識は習慣的に覚醒した。








 死んだ……そう思った。

 そう思っていた。

 だってあの感触は、五年前のスタントマンの撮影の現場で、爆破のミスで死にかけた時に感じたモノと一緒だったから。

 身近に迫る死。抗おうにも手遅れで、できる事はこの命の意味とかを考えるだけの余生しか残されていない刹那の快感と孤独。


「────」


 しかしどういう訳か、自分は今生きていた。

 意識は失っていたようだが、それだけのようで。

 いまだ自身の五感は生きているし、手は握れるし、目を開ければ見厭きた天井が見えるし、鼻腔をくすぐる血の鉄臭さも実感できるし、舌には吐き出した血の味だって残っている。

 今は……朝なのか? 窓から柔らかい日差しが降り注いでいる。


「うああ、あああ」


 そして昨夜聞いた時より勢いはないが、あの……そう、例の幼体の泣き声が未だに聞こえてくる。

 あれから夜が明けたのならば、少なくとも五時間は経っているだろうに、元気なことだ。

 いやそれを言うなら、俺もよく生きていたと言えるだろう。

 どうやら命というヤツは、自分が思っている以上に生き汚いのかもしれない。 

 ……そもそもよく考えたら、五年前の現場の事故の時だって死にかけただけで死にはしなかった。なら今回も死んでいないのはそこまで不思議ではないのかもしれない。

 口にできない違和感は拭えないが、とりあえずはその結論で納得する。


「……はぁ」


 無意識にしていた呼吸を、意識的にしてみる。口から取り入れた酸素が喉を通って肺を押し広げ、横隔膜を圧迫し腹が膨れていく────


「…………あれ?」


 腹が、膨れる。何の支障もなく。いや、それは流石におかしい。だって……そうだ!あの時、俺の腹には大きな穴が……。


「──やっとお目覚めか。よくもまぁこんな五月蠅い中で、吞気に寝ていられたものだ」


 そこへ、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 尊大で、こちらを小馬鹿にした感じの声。なのにどこか惹きつけられる、そんな怪しいどっかの宗教団体の教祖みたいな声の持ち主は…………アイツしかいない。


「……腐女子、お前か」

「おはよう、形離。相変わらず変わった星の下で生きているようだね」


 身体を起こし視線を上げるとそこには予想通り、長い黒髪を触手のようにくねらせた寝ぐせ頭の、全身黒ずくめ女がこちらをニマニマ顔で見つめていた。


「何の下かは知らないが、お陰様でまた厄介事に巻き込まれたみたいだ……」


 おでこに手を当てつつうんざりしながらそう答えると、目の前のニマニマ顔は片目を瞑って肩をすくめる。


「ふむ。自覚はあるようだね。良い事だ。無自覚に厄介を背負い込んでいては、最早他人からすればそいつ自身が厄介事とそう変わらないからね」


 相変わらず人を喰った言い方をする。一体何を言いたいのかいまいちわかりづらい。おまけに寝起きで頭はスリーブ状態。何がなんだかまるでわからない。


「……とりあえず、腐女子が俺を助けてくれたのか」


 とはいえ状況判断は欠かせない。脳みそさん、ごめんね労働のお時間デスヨ。


「助けた? ああ、お腹の穴の事か。確かにそれはワタシが塞いでおいたよ」


 やはりか。あんな大怪我をこんな短時間で完治させられるのはコイツしかいない。


「それはどうも……ありがとう。……でもなんで助けてくれたんだ? 基本善意で行動とかしない生き物……いや存在だろお前は」

「確かに善意で行動はしないが、借りを返すぐらいはする存在であるとワタシは自分を誇っているよ。ニンゲンと違ってね」

「はいはい、人間は借りも碌に返さないろくでなしですよ。でもそうか、日々お前のお使いを律儀にこなしていた俺の行動は無駄じゃなかったんだな」


 ホント、情けは人の為ならず、だ。人じゃないコイツに使っても、なんか字面的に正しい気がする諺だし。

 さて、目の前の明らかに胡散臭いコイツは俺のアパートの隣、二〇四号室に住む住人、腐女子だ。本名は知らない。ので、俺は勝手に腐女子と呼んでいる。

 ……そして多分、というか絶対コイツは人間じゃない。

 五年前から交流はあるが、その五年間でコイツが人間でない事は色々実体験済みだ。たぶん、悪魔かクトゥルフ神話の邪神かなんかの親戚かそれに類する存在だ。

 何の因果か俺はコイツに気に入られて、時々異神化交流のようなナニカをする羽目になっていたりする。

 因みに趣味はあだ名から察せられる通り、日本のサブカルチャー、その中でもBLが特に大好物。

 何でも生物として間違いに間違った発情行為を娯楽として消費するその文化が非常にツボったとかなんとか。……人外の考えはよくわからない。


「それより形離、昨夜何があったのか詳しく聞かせてもらえないかな?」


 腕を組み、待ってましたとばかりに興味深げにこちらを伺う腐女子。


「いや、俺にも何が何だか。腐女子の方こそ何か知っているんじゃないのか?」


 あんな非日常はコイツの管轄だ。


「知らないね。今回ワタシは何も関わっていないから。でもまぁ………………状況から察するに、ある程度予想はできているが」


 さすが腐女子。怖いほどの観察眼だ。いつもアニメの考察を無駄に語るだけはある。


「なら腐女子の考えている通りだろ」


 これで事件解決。さっさと解説を始めろよ名探偵。


「いやいや、情報が不足している中での予想ほどあてにならないものはない。形離の話もしっかり聞かせてくれ。何より、ワタシが聞きたいんだ。君が何を体験し、何を感じ、どう絶望したのかを、ね」


 パッチリお目目で笑顔百点満点。

 相変わらず、イイ趣味してるよホント。


「……この人でなしが」

「人じゃないが?」


 無敵の返し。……コイツにはレスバでも勝てる気がしない。

 それから俺は腐女子の気が済むまでできるだけ詳細に昨夜の事を説明してやった。

 とはいっても、やっぱりただの被害者Aの目撃談なんてそうそう真実に迫るような内容でもないのだが……。


「なるほどなるほど、やはりそうだったか」


 ……そうだったようです。あっさり解決してしまった。

 やはりこの人外には何でもお見通しのようだ。犯人泣かせにもほどがある。


「……それじゃあ憐れな被害者Aに、事件の真相を解説していただけませんかね」


 真実はいつも一つらしいので。


「……それはいいんだが」


 言いよどむ腐女子。そしてふと視線を俺から別の場所に移す。


「いつまでその五月蠅いのを放置するつもりだい?」

「五月蠅いの?」


 腐女子の視線の先に目を向ければ、そこには俺の腹を割って産まれた生き物が、真っ赤な血の海で今も弱々しくも泣き声を上げていた。

 見た目はエビ……いや、エビの着ぐるみを着た人間の赤ちゃんといった見た目だ。

 毛の生えていない頭に甲殻類っぽい殻がチラっと見えるのとお尻からエビのような尻尾が生えていること以外は普通の人間の赤ちゃんそのまま。

 大きさは尻尾も含めて三十センチぐらいの大きさで何とも頼りない。よくこんなモノが俺の腹を裂いて産まれてくることができたと感心するぐらいだ。

 目なんかまだ光に慣れていないのか、眩しそうに瞼を閉じている。頬っぺたもぷにぷにで、いつまでも触っていたい。いやそれにしても軽いな。体重はいくつだ? たった一晩しか俺の腹の中にいなかったんだ。栄養が足りていないのかもしれない────


「形離?」

「ん? どうした?」

「いや、君がおもむろにソレの顔をいじり出して、それから無言で抱っこしだしたから声を掛けたんだが……」

「……え?」


 驚いた。俺はいつの間にか例の幼体……を自分の腕に抱いてあやしていた。

 ……幼体、いや赤……ちゃんはそれが嬉しかったのか、今はもう泣き声も上げずスヤスヤと寝息を立てている。


「いや、すまん。無意識だった」

「そうか。フフ、やっぱり君は面白いな」

「……ああ、えっと、とりあえず静かになったし、さっきの話の続きを……」

「ん? 君の身に何があったかの話だったかい? 簡単な、且つありきたりな話だよ。君はとある宇宙人に襲われて、エイリアンの苗床にされたのさ」

「……はい?」


 ナニをおっしゃるんですかねこの人外は?


「仮にもスタントマンの君なら知っていると思うんだが。ほら映画とかで見た事ないかい?あらゆる生き物に寄生するエイリアンという化け物を」

「そりゃあ、エイリアンは知っているけど……」


 で、俺がそのエイリアンに寄生させられた……と? いやいや、その話の通りなら、今俺の腕でスヤスヤ寝息を立てているこの赤ちゃんは、そのエイリアンになるわけだが?


「有り得ない……という顔をしているね」

「いやだって、エイリアンってもっと凶暴で、おぞましい生き物じゃないか」


 SFホラー映画界の金字塔舐めんな。


「……さてね。それこそフィクションと現実の違いじゃないかい? 何でも映画通りとはいかないさ。所詮人が創り出した虚構。いくらそれが真に迫っていても、何もかもが本物と同じにはならないさ」

「理屈はあっているが……」


 それを言うなら、そもそも宇宙人やエイリアンがこの世に存在しているのもフィクションに片足どころか頭突っ込んでいるレベルなのだが……。

 いや、腐女子というこの得体の知れない存在を知っていて、それは今更な話か。

 というかもしかしたら案外あの有名映画の監督も、こういう奴らと知り合いだったのかもしれない。

 世間は狭いな。いやある意味広いのか?


「……わかった。とりあえずそれで納得する。でもまだ謎が残っている。なんでその宇宙人は、俺にエイリアンなんて寄生させたんだ?」


 犯人はわかっても、動機がわからなければ事件の完全解決とは言い難い。いわゆるホワイダニットというやつだ。

 わお、まるで推理小説みたいじゃないか。


「何故……か。そんなの決まっている」


 自信満々に、いや寧ろわかりきった事を子供に説明する大人のように。


「実験だろう。ニンゲンにエイリアンを寄生させたらどうなるのか。それを知るため、君が選ばれた。それだけだ。

 通り魔みたいなものさ。それとも交通事故かな。……そもそも、下等な生物で遊ぶのに、己の好奇心を満たす以外に理由がいるかい?」


 そんな、なんとも上位存在めいた解答を口ずさむのだった。

 そうだった。これ推理小説じゃなかったわ。


「……はぁ。いい、お前に聞いた俺が愚かだった」


 人外に人らしい動機や理由を聞いたのがそもそもの間違いである。そんな上位者あるあるみたいに言われても、下界の下々にはこれっぽっちも理解できねぇのです。


「ふむ? …………それで、形離はこれからどうするんだい」

「なにが?」

「だからそのエイリアンの処理さ」

「え、いや、そんなの決まって……」


 決まって? いるのか? ……いや決まっていない。


「施設に預ける……とか?」

「それはニンゲン以外も扱っている所なのかい?」


 ニマニマと、答えを知っているのに敢えて俺の口から言わせるコイツはやはり性悪だ。


「いや、基本人間だけだと、思う」

「そうか。なら決まったも同然じゃないか。ほら、さっさとソレをゴミ袋にでも詰めて捨ててしまえばいい」

「ゴミ……袋?」

「ああ。黒い、黒い、中身の見えない黒いゴミ袋に詰めれば、それでこの問題は解決だ。形離はこれまで通り、何事もなかったかのようにこれからの人生を楽しめばイイ」


 その場面を幻視する。今自分の腕でスヤスヤ寝ているこの赤ちゃんを、自分の腕から引きはがし、泣き叫ぶこの子を黒いゴミ袋に詰めて、ゴミ捨て場へと持って歩く自分の姿を。

 そして、そのゴミ袋を投げ捨て、何もかも無かった事にして日常を過ごす己の姿を。


「────」


 吐き気が、した。

 それは、いつものありもしない幻覚より鮮明で、己の深い所をかき乱す。

 ダメ、だ。それだけは、できない。それだけは、誰を差し置いても、自分だけはしてはいけない。だってそれをしたら、俺は、俺も────


「…………無理だ。それだけは絶対に」


 搾り出したその言葉は、笑ってしまうぐらいか弱かった。産まれたての小鹿だってもうちょっと逞しい。


「なら、どうするつもりだい?」

「それ、は……」


 どうするもこうするもない。こんなのは解決策の無い、ただこの世の悪意が具現化したみたいな問題だ。

 できる事は、ただ頭を抱えて、心をすり減らして、結局は最悪でクソッタレな筋書きに流れるしか結末は用意されていない────



「お前がエイリアンのママになるんだよ!!!」



「は?」


 それは、ドロドロに煮詰まった脳ミソを爆発させるには十分すぎる声量と内容だった。


「フフ。中々、面白い案だと思わないかい?」


 よほど自分のアイデアとセリフが面白かったのか、肩を揺らして笑う腐女子。


「……………………ちょっと待ってくれ。意味がわからない」

「だからね形離、君がそのエイリアンのママになるんだよ」

「……お前頭大丈夫か?」


 そもそもなんでママ? あ、俺が産んだからか。いやいやそうじゃなくて。


「考えてもみたまえ。里親や施設に預けることも、……捨てるのも無理なら、最早それしか方法はあるまい。君が育てる。……ワタシは何もおかしな事は言っていないと思うよ」

「でも、俺は、ただの金なし、夢追い、フリーターだぞ?」


 子育て三難苦スターターセット揃い踏みだ。ついでに自分の心にダイレクトアタック。


「知るか。できちゃったものは仕方ない。ちゃんと認知し、責任を果たせ。仮にもお腹を痛めて産んだ子供だろ」

「……う、」


 そのセリフは卑怯だろ。


「待て待て待て」


 こんな事があるのか。交通事故みたいに宇宙人に襲われ、体内にエイリアンを寄生させられ、一晩も経たずに出産アンド認知、そして子育てハイ開始だなんて。

 心の準備とか覚悟、あとお金も、計画も、頼れる相手も、何もナイナイのなかでの子育てなんて、そんなバカな話があるのか……。


「フフフフフフ。オメガバース。男性のみでの出産。まさか本当にこの目で見る事ができるとは……。フフ、腐腐腐腐腐腐腐腐腐」


 腐ってやがる。遅すぎたんだ。色んな意味で。

 いやふざけてる場合じゃなくて。


「…………本当に、それしかないのか」


 こんな俺に、命を育てる事が可能なのか。


「そもそも生き物は、新たな命を産み、育み、己の種族の繁栄に貢献する事にこそ存在意義を見出すんだ。その点で言えば君も生き物の端くれ。なら命を育てる責任も義務も、決して失われているわけではないんだぞ。今まではただ目を逸らして、その命題から逃げていただけの話だ」


 それは少し言い過ぎな気もするが。

 現代社会は人外が思っているより複雑怪奇なのだ。

 ……しかしそうは言っても、ここに実際俺の腹から産まれた命があるわけで。

 ならこれ以上、言い訳をするのも難しい。というか見苦しい。


 いい加減、腹を決めろ。花坂形離。


「…………………………わかった。俺がこの子を、育てる。最後まで責任を持って」


 それは契約に似た、覚悟の一言。

 そしてこの先、何度も後悔し、けれど同時に自分の人生の中で数少ない、胸を張れる決断だった。

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