お腹を痛めて産んだ子供 その②
気づけば自分は、街灯の下で仰向けにぶっ倒れていた。視界の端には、さきほど買った酒が一本転がっている。無意識にそれを拾った時、それはまだほんのりとした冷たさを掌に返してきた。
どうやらぶっ倒れてから、それほど時間は経っていないようだ────
「……いや、ていうか、え?」
鈍い頭は、ようやく先程あった
「確か俺、なんか変なピンク色のヤツに襲われて、そいつが持ってたペンみたいなのから何か出てきて、息が出来なくて………………それから?」
それから? ……わからない。ただ自分はどうやらまだ生きていているのは確かで、あの変なピンクはもうこの場にいないのだけはわかる。
それとさっきのお熱いベーゼのお
「助かった……のか?」
そう口にしたものの、自分自身それがどうしようもなく空虚なものに感じられる。だってあの状況から助かるなんて、いくら何でも都合が良すぎる。
俺の人生がそんなにハッピーじゃない事は、もうこれまでの人生で嫌というほど学ばせてもらっていますからネ。
「でもまぁ……現状生きてるなら、それでいいか」
何事も効率的に。わからない事で悩むのは非効率で……色々悲しいだけ。
俺はとりあえず立ち上がり、酒を持って家に帰る。
うへぇ。こんな非常時でも買った酒を大切に持ち帰るなんて、我ながらどうかと思う。
だって酒が大事とかじゃなくて、酒を買ったのに使ったお金を無駄にしたくないだけなんだから。
これでは本末転倒だ。お金は価値あるモノを手にする為の手段であって、お金自体に本来価値は無い。
でもでも、やっぱりお金は大事だよネ。
お金で命は買えないけれど、お金でうっかり命が亡くなる世の中なんだから。
そんなこんなで、よく言えばお気楽、悪く言えば思考停止な感じで、俺は家に帰り着く。
「ただいま……」
おかえり。そしてそのままお布団にサヨナラばっふん。
疲れた。折角買った酒も、今はもう飲む気がしない。さっきから妙に胸焼けがして、食欲も酒欲も皆無。
あんな事があったのだ。流石に普段通りとはいかないか。
自分のそんな小市民さに安堵と滑稽さを感じつつ、布団の柔らかさに身を沈め、目を瞑る。
────────。
────。
──。
「…………………………………………………………………………………………………………」
普段なら、この工程だけで質はともかく眠る事はできる。なのに今日だけは、瞼を閉じる事さえ叶わなかった。
「……はぁ、はぁ、はぁっああ、ぐ、ぁ、ぁ、あ、あ」
痛い、苦しい、吐き気がする。さっきまでただの胸焼けと思っていたそれは、今や別物と化して己を苛む呪いと成った。
胸焼けは腹へと堕ち、とぐろを巻いて胃や臓腑をかき乱す。
今まで体験したどの二日酔いよりも激しい吐き気と苦痛が自身の身体に沸き起こる。
ごめんなさい、ごめんなさい。何が悪いのかもわからず、そして誰に謝っているのかも不確かなまま、うわ言のように自身の罪を懺悔する。
それが救いになると信じているわけじゃない。でもそうしないと、今この瞬間を乗り切る自信がない。
額に汗が滲み、それはいつしか滝のように流れ出ていく。手足は震え、時折ビクンと電撃を走らせたかのような硬直が身体を襲う。それはまるで壊れかけのオモチャみたいで、頭のどっかで笑ってしまう。
ビクビク、アババ。見て見て奥さん、こんな所にあの頃捨てたお人形がありますよ。
または陸に打ち上げられた死にかけの魚か。
「ひ、ひ、ふぅ……。ひ、ひ、ふぅぅぅ、うう、うう! ひ、ひ、ふぅ、ひ、ひ、ふぅ」
最適な呼吸法を身体が勝手に選択する。おお、生命の神秘。
ぐりん、ぐりん。とうとう目玉がスロットみたいに、黒目がゾロ目になるまで回転し出す。この顔面スロットを回すのに必要なコインは呼吸だけ。だから息をし続ける限り、目玉の回転は止まる事はない。
ヤッタネ激アツ! でもでもアレれ? スリーセブンになるには目玉が一つ足りないぞ? だからだから、やっぱり大当たりは永遠に訪れない。
目玉が廻る、輪る、回る、おかしいくらいに回り続ける。
思考が、指向が、至高が、ががが、めい、メイ、明滅するるるる。
おかしい。おかしい。おかしいと思う頭がおかしい。
痛い、痛いいた意。イタイイタイ遺体いたいいたい。
待ってください、このままじゃ死ぬまえに死んでしまう。いや寧ろ早く死にたい死なせて楽にさせてこの苦痛から解放してくださいよお願いしますから!!!
なのになのに終わらない。悪夢は痛みは地獄は悪意は電撃は、廻る廻るメリーゴーランド超えてミキサーのようにそれら全部をシェイクする。
「ひ、ひ、ふぅぅ、ひ、ひ、ふぅぅ、ひ、ひ、ふぅぅ」
空気清浄機ならぬ空気汚染機が、辺り一帯の空気を己で染め上げる。
「ひ、ひ、ふぅぅ、ひ、ひ、ふぅぅ」
切れるレる、はち切れる。いや、ナニカが腹を突き破ってくる。そんなそんな予感と悪寒。
「ひ、ひ────」
血の断絶。意識と神経の向こう側。
それは────遂に────。
「うああああああ! うああああああああ!」
────産まれた。
あかい、あかい、真っ赤な血の海。
腹を裂き、赤い大海原を駆けるのは、産まれたての命。
叫ぶは命の鼓動と躍動。
己の全てを吸収して、それはこの世に誕生した。
「がっぁ……────」
……だからその場に転がるもう一つは、脱け殻となった自分、だった。
さきほどまであれほど解放されたがっていた痛みも最早感じない。
本当に全部、あの命に持っていかれた。
命とか、刺激とか、力とか、運命とか、ついでに俺自身の産まれた意味とか。
でも不思議と自分の全部を根こそぎ奪ったその命を憎いとは全く思わず、ただ、柔らかい笑みを浮かべてしまう。
────だってそれぐらい、ソイツの産声は喜びに満ちていたから。
だからつられて笑ってしまうのは、きっと仕方のないことなのだ。
そうして俺の意識は、命は、そこで途切れた。
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