お腹を痛めて産んだ子供 その①

 ────遡る事六時間ほど前


「ありがとうございましたァ」


 ピロリン、ピロリン。

 愉快なファンファーレと共にお客様が退店していく。

 いつも思うが、こんな小さなコンビニエンスストア如きにこのメロディーは大袈裟すぎると思う。もっと厳かな、それか無音でも何も問題は無いだろうに。

 こんな音で出迎えられ、見送られるお客様も大変だが、その音に相応しいサービスを提供する店員の気持ちも考えて欲しい。


「…………はぁ」


 そんな卑屈でどうでもいい事を、二十代も終わりが見え始め青年と名乗るのも厳しい、おっさん一歩手前で何とか踏みとどまっている俺、花坂形離はなさかかたり二十八歳は考えてしまうのだった。


「形離くん上がりの時間だよねぇ。最後にバックヤードのゴミ出しだけお願いできる?」

「かしこまりました」

「お願いねぇ」


 ひらひらと手のひらを振る店長はそのまま品出しへと消えていく。

 俺はバックヤードへと向かい、ゴミ箱に溜まった黒いゴミ袋を新しいのと入れ替え、外にある裏のゴミ捨て場へとヨタヨタと歩いていく。

 バックヤードの扉を開け外に出てみれば、夕陽がダラダラと今日も仕事が終わったとばかりに、針山みたいな東京の街並みへと沈んでいく。

 ふと、針山に串刺しにされる夕陽を憐れに思えばいいのか、それとも夕陽に焼かれる針山を弔えばいいのか、などとおかしな事を考えた。

 本当におかしな妄想だ。疲れているのだろうか。それとも……。


「……くだらない」


 さてさてそんな箸にも棒にも掛からぬ妄想は置いといて、仕事現実に舞い戻ろう。





 そうしてとうとう、ゴミ捨て場へとたどり着いてしまった俺は、中身の見えないゴミ袋をゴミ捨て場へと投げ捨てた。

 ドスンと音を立てて、自分の手を離れたソレは他のゴミ袋達の仲間入りを果たす。


「────」


 吐き気が、した。

 黒いゴミ袋、中身の見えないブラックホール、何でも捨ててしまえる魔法の袋。

 …………そして誰にも知られず腐り果てる■■■■赤ちゃん


 泣き声が、聞こえる。


「クソ」


 首を振り我に返る。 

 溜息一つ。それで思考をリセット、アンド、再起動。

 ピロリン、ピロリン。

 よし、もう大丈夫。

 それにしても、そろそろゴミ捨ての度に気分を害するのは卒業しなければ。ありもしない幻覚に怯えて良いのは、夜中独りでトイレに行けない子供だけの特権なのだから。


 バックヤードで仕事の制服から、制服よりも安い私服へと着替える。上下合わせてなんとおどろきゼロ円ジャスト。主婦もビックリのお値打ち価格。古着屋に持っていけば、ゴミ処理代金を逆に徴収されてしまう事請け合いの襤褸切れだ。


「あ、形離先輩お疲れ様でぇす」

「お疲れ」


 荷物をまとめていると、後輩くんがえっちらおっちらバイトに重役出勤。ホント、ゴクロウサマデス。

 ふと見るとまた彼の髪が桜の如くピンク色に染まっていた咲いていた。それでああ今年も春が来たのかと実感する。

 もはや彼の頭が外と内、両面ピンク一色になるのはこのコンビニでの春の風物詩だ。

 大学のサークルの新歓という名の合コンの為だけに気合いを入れて髪を毎年ピンクに染める彼のその心意気だけは、毎度のことながら称賛すべきだろう。

 まさに発情期真っ盛り。

 彼は良くも悪くも裏表が無い。


「あ、そういえばこの前の撮影はどうでしたっすか形離先輩」


 手鏡片手に枝先、もとい髪先をくりくりいじる後輩くん。


「まぁ、ボチボチ。あ、でも爆発が綺麗で、そこだけは満足だったよ」


 あれは良い爆発だった。八十点はあげていい。


「いやぁスタントマンも大変っすね。爆風の中を走ったりしないといけないんすから」

「それが仕事だから」


 そう、俺の本業は実はスタントマンである。だがスタントマンだけでは食っていけない為、こうしてコンビニでバイトをする毎日。なんと世知辛い世の中の縮図だろうか。

 こんな場所で世を描けるとは、意外と大したヤツじゃないかコンビニエンスストア。


「いやぁオレには無理っすわ。テレビでチヤホヤされるイケメンの為に我が身を差し出す、んな尊い自己犠牲なんて」

「それが仕事だから」

「本当に頑張っているのは形離先輩なのに、世間の目はイケメン俳優に釘付け。誰も形離先輩の顔を覚えてはくれない。あらためて思いますけど、よくスタントマンなんか続けてられますよねぇ」

「……」


 それが、仕事、だから。


「あ、あれか。形離先輩って、根っからの日陰者って奴なんすね!」

「────」


 彼は本当に、良くも悪くも裏表が無い。








 それからバックヤードを後にした自分は、奮発してアルコールの味を脳が直で堪能できる現代の合法ドラッグと名高いお酒とデカくて安いカップ麵を店で買ってから帰路につく。

 駅前、商店街と順番に歩いていき、それから夜の電灯がチラチラとこちらを伺うように光を明滅させる住宅街をトボトボと通り過ぎつつ我が家を目指す。

 はやく休みたいと叫ぶ本能に急かされるように、足を機械の如く稼働させる。

 しかしそこでふとあることを思い出す。


「……そういえば“腐女子”から新刊のお使い頼まれてたな……」


 本屋があるのはさっき通り過ぎた商店街。今更引き返すのは億劫である。

 しかしアイツの頼みをすっぽかすと後が怖い。

 仕方なく引き返して頼まれていたグロデロのBL本を保存用、布教用、使、と三冊買って帰る。

 書店員さんも最早慣れたもので、男子と男子の濃密な包容という名で誤魔化した情事真最中の表紙にさえ眉は一ミクロンたりとも変化しない。うむうむ。書店員とはかくあるべしなり。

 それからは何事もなく愛すべき我が家のアパートへと辿り着き、階段をのぼって二階へ。

 そうして自分の部屋である二〇三号室に入る前にお隣の二〇四号室、腐女子の部屋の扉のドアノブに例のブツを吊り下げておく。

 インターホンは鳴らさない。疲れている時にアイツの相手なんてしていられないのだ。

 ……さて、これで本日のお仕事全て終了。

 いざガンダーラ、ようやく我が家への帰還だ。


 時刻は……多分日をまたいで少し経った頃。

 酔いもまわり、さぁ本番だというところでお酒の残量が底をついてしまった。しかしこのまま眠るのには……今の自分には無理だった。まだまだ酔い足りない。


「仕方ない。買い足しに行くか」


 フラフラと、どこか夢心地で近場の自販機に酒を買う為よっこら出陣。

 夜もどっぷり本番。道を歩けど人子一人いやしない。淋しいものだ。いやむしろこんな時間に一人プラプラ歩いていたらそれこそ問題か。

 だから誰にも会わない事こそが正常なのだ。


 もし出会ったならそれは────


 ふと目線を下にやれば、誰かに踏みつけられたのか、名も知らない蕾が道の真ん中あたりで地べたを舐めるようにへばりついていた。

 その蕾は赤い色をしていて、命の残骸のような血痕を想起させた。


「憐れだな」


 こんな道の真ん中で芽を出したばかりに、誰かに踏みつけられるのだ。

 何度も、何度も、何度も。

 けれど世の中そんなもの。そう上手くことは運ばないのだ。


 産まれを選ぶことなど、誰にもできやしない。


「………………」


 気まぐれに、その今にも枯れそうな蕾を道の端っこに植え直してやる。

 ワォ、まさしく酔っ払いの奇行!

 酔っ払いとは無意味で無駄な行為を平然とやってのけてしまうのです。


「さてさて、酒だ酒」


 先ほどの奇行をなかったことにして、俺は酒を求める亡者に無事舞い戻る。

 それから歩いて数分、自販機に到着。発泡酒を一本買う。

 ポチ、ガコン、ガコン。手には酒、尻ポケットにはまたも軽くなってしまった悲しい財布を収め、もと来た道を引き返す。


 フラフラ、プラプラ。歩く。歩く。


 いつもの道を。


 いつものように。


 惰性の如く。


 それはまるで自分の人生のようで。

 いつだって人は生きている事に自覚的にはなれない。

 だっていつもそんな「俺は生きてるぞ!」なんて気合い入れて生きていたら疲れてしまう。

 誰も彼も、現代人は生きるだけなら本当に簡単な世の中になってしまった。しあわせとか、成功とか、ジンセイのイミとか、そういった事を無視したらの話だけれど。

 ああでも、だからって生きている事に無自覚でいるのなら、いつか手痛い思いをする羽目になっても文句は言えないよなぁ。

 だって命を軽んじるものに、その価値は有り余るってネ。


『ミツケタ』


「────え」


 そうしてこうして、人生の行き止まりデッドエンドに唐突に行き当たってしまうのだ。因果と応報はいつだって仲良しこよし。必然の結果を運んでくる。

 それは最初身長二メートルぐらいのガタイの良い人間のように見えた。

 しかし電灯の明かりが、それが人間ではないと証明する。

 布ではない異質な質感の金色の服に身を包んだソイツの肌は、ペンキ塗装したみたいなピンク一色。

 そして最後にソイツの顔を拝めば、ああ、やっぱりコイツ人間じゃないなと確信できる。

 だってソイツの顔、タコとカニが絶賛交尾中みたいな生物学者もビックリな顔をしていた。

 ピンクは淫乱、はっきりわかんだネ。

 その歩くセルフモザイクビッチは、俺を見ると忘れていた用事でも思い出した気軽さで、銀色のボールペンのようなものの先っぽを俺に向けて歩いてくる。

 それを俺はただボケっと眺めている。


「……はへ」


 人生最大の危機に出るセリフとしては下の下だった。

 やれやれ、間抜けはみつかったようだ。でも悲しいかな。それは自分だったわけで。

 次の瞬間、ピンク色の指で掴まれていたそのボールペンらしきものの先から、顔はコウモリ、胴体はサソリみたいな生物が物理法則を無視してペン先から飛び出し、俺の顔面に張り付いてきた。

 しかもサソリの胴体部分で首を絞める徹底さ。むむ、仕事のできるやつだ。


「がっ!!?」


 視界が真っ黒に染まる。

 すると口から喉の奥深くへと何かを突っ込まれた。おえ、気持ち悪い。

 カランコロン、手に持っていた酒は地面にサヨウナラ。そして自分の身体も遅れて地面にダイブ。


「うう、うううんん!!」

 

 正体不明のナニカとのディープキスなんていう不名誉と不快さに、涙ながらにソイツを顔から剥がそうと必死になるが、驚くほどしっかりそれは顔面に張り付いていて外れる気配がない。


「……! !! !?」


 しかも最低な事にソイツは息をすることさえ許してくれない。

 なんて熱いベーゼ。お盛んですな。でもできれば俺の顔面以外でやっていただきたい。

 無力な俺にできるのは、無駄だとわかりながらも必死にソイツを顔面から引き剝がすのに全力を注ぐことだけ。

 必死に、必至に、ヒッシに、死に物狂いで抗ったりなんかしてみる。

 ああ、でも、それも後数秒で終わる。だって息もできない中で無駄に体力を消費すれば、待っているのはブラックアウトと決まっているのだから────





 

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