漢詩を読むようになったきっかけ(夢微之)
「君埋泉下泥銷骨/我寄人間雪満頭」
とある人形劇(ポテヒまたはプータイシーとよばれる台湾の
この詩がどんな詩なのか知りたくて、訳や解説を読みたくて、白楽天の解説本や唐詩の入門書をめくりました。しかしこの「夢微之」はまるで載っておらず……。
探すこと一年、世の中には選詩集と全詩集があり、全詩集にならば載っていると知る頃にはすっかり漢詩自体に興味を持つようになっていました。
それが私のきっかけです。
初めの出会いが劇中歌だったせいか、どうやら私は、これが白楽天が元稹をうたった詩であるという以上に武峡ファンタジーの
もっというと他の詩も、詩人そのひとがその人の背景で歌ったというよりも、何かの
例えば、私は伊勢物語が好きです。物語の中には読み手がわかっている歌も出てきます。もとの歌の背景がありつつも、例えば当時有名なゴシップであったとしても、誰という名前のない男と女の話にしてあったりしますね。
もちろん当時の人は「ハイハイあの話ね」って読んだんでしょうが、一歩「誰かの歌」から離れると、現実とは隙間……詩が詩であるための距離が生まれるように思うんです。例えば玄宗とは言わずに漢皇(漢の皇帝)と言って歌い出す長恨歌のように。そこにちょっとした虚構を挟みたいんです。
白楽天だとわかって、資料を集めて、その背景を学んで、その時代の慣習やその人の語の使い方や慣用句や典故のような土台を知って、解釈を読んで、講義を聞いて、なおその上で「誰かの歌」として読みたいんです。
そんな感じと言ったらいいのでしょうか?
これはどんな歌で、この人はどんな背景でどんな思いで歌ったのかということも気になるけれど、もっと普遍的な話として、この歌を読み人知らずの歌のように見た時にどんな物語をここに見出すことができるんだろう? わたしはここから何を語り直すことができるんだろう?
そんな興味があります。
そういう人だからでしょうか、どれだけ元の詩に寄せて作ってみようとしても、白楽天に訳そう李白に訳そう王維に訳そうと思ってみても、私にはできないみたいです。絶対に意訳・超訳にしかならない。私の詩にしかならない。
ならばいっそアクロバットに振り切って、別の歌として歌おうと思ったりもするのです。
自分用のメモです。その人形劇(サンダーボルトファンタジー東離劍遊紀の三期)のネタバレを含みます。
https://www.instagram.com/p/CNR7dR_ngA5/
thunderboltfantasy_tw 《Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀3》
【第1章】劇照―君埋泉下泥銷骨,我寄人間雪滿頭。
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