第13話

 最悪だった。

 せっかく律子が帰国したというのに、悪い事件が起こるのは望んでもいないことだった。

 二人が家を出た後、炊事洗濯をすませて、美和の側に海は居続けた。赤くはれた目元が痛々しい。

「ごめんな、美和」

 そっと額を撫でてから、再度手紙の内容に目を通す。

 どうしてあの女はここまで人を追い込むのだろう。

 理解できなかった、どうしても。

 もうじき美和が目を覚ますだろう、両親が亡くなったときも睡眠薬を飲んでいて、薬の効果が消える時間に目覚めていた。なるべく目覚める時間には側にいた、起きてすぐに抱きしめたかったからだ。

 部屋の中は不気味なほど静かで、美和の寝息と外から時折車の通る音が聞こえた。外もすでに暗い。

「ん……」

「美和?」

 瞼がうっすらと開き始める。美和の瞳を海は見つめ続けた。

「おはよう美和」

「おはようございます、か……いさん?」

 目を瞬かせて、状況を確認しようとする美和だったが、空港での出来事を思い出して叫びそうになる。だがそれは海の唇によって塞がれ、暴れそうになった体は抱きしめられていた。

 しばらくその状態が続き、美和が落ち着いたのを確認してそっと体の束縛を解(と)いた。

「私」

「ん?」

「手紙を受け取ったんです、レイラさんから」

「うん」

 問いたい気持ちを抑えて、美和の言葉に耳を傾ける。少し声が震えているのは、両親の死を思い出してしまった影響だ。

「レイラさんは、謝罪してくれました。だからレイラさんは悪くありません」

「あいつが悪かったんだな」

「はい……でも私、可哀想な人だとも思ったんです」

 人をあそこまで罵倒する文章を書けるのは、良い経験を積んでいないのだろうか、人に恵まれていないのかなど様々な考えが浮かんでは消えていった。

 その後、走馬灯のように両親の死が脳裏に浮かんでいた。

「そうだとしても、人を傷つけていい理由にはならないさ。俺は」

 瞳に浮かんだ涙を拭い取り、苦笑しながら本音をこぼす。

「美和を傷つけたそいつが許せないよ」

「私も海さんが傷つけられて、許せませんでした」

「それと同じだよ。だから可哀想だと思わなくていいよ、もっと大人になって経験積んでから気遣えばいいさ。俺たちはまだ経験が足りないよ」

 足りないからこそ結婚を反対されてのだから。感情だけで簡単に結婚するものではないと何度周りにたしなめられたことだろう。

「好きで愛していて結婚した。足りない部分も側で補えることができる。あとさ……俺たちは同じ痛みを知った同士だから結婚したわけじゃないだろ」

 互いに親を失い、同じ痛みを知っていたが、それを共有するために結婚したわけではない。

「家族になるために結婚したんだ。違うか?」

「違いません」

 海の力強い言葉に、美和は大きく頷いた。この人を愛し続け、支えていこうと入籍したあの日に決意したばかりなのに。

「幸せになろう」

「はい」

 二人は微笑み、身も心も溶けるような口づけを交わした。



 次の日、海と美和は二人の友人を迎える準備をした。美和はスコーンを焼き、海はテーブルセッティングをしていた。ほどなくして、玄関のベルが鳴り響いた。

「いらっしゃい」

「おはよ、海」

 明るく手を挙げて挨拶をする律子に対して、雄太は心配そうな表情を浮かべていた。

「大丈夫か?」

「ああ、もう大丈夫だ。愛を確かめあったからな」

 胸をはって宣言する海に、手に持っていた鞄を投げつける雄太。

「朝っぱらからのろけんな!」

「美和は可愛いんだぞ!」

「そんなのは知ってるわ!」

「私は?」

 律子の問いかけに、雄太の動きが停止する。

「私はどうなの、ユウ」

「いや、それはだな……」

 だらだらと脂汗を流す雄太に詰め寄る律子、人前でのろけるのが苦手なのを知って問いつめている。

「律子さん、雄太さんを困らせては駄目ですよ」

 エプロンをつけたまま台所から出てきた美和によって、雄太は救われた。

「昨日は申し訳ございませんでした、律子さん、雄太さん」

「気にしなくていいのよ。今日は元気みたいだし。しかも何焼いてるの、これ?」

「スコーンです。もうすぐ焼けますよ」

「やった!」

 大喜びする律子に、美和は満足そうに微笑む。

「手作りのジャムもつけます、生クリームも」

「いいわね~お昼前にちょうどいいわ~」

 靴を脱ぎ、軽快な足取りでリビングへと行ってしまった律子の後を三人は追った。

 その後、スコーンを食べながら談笑し、遊びに行く計画を考え始める。

「私、美和とお買い物に行きたいのよね。女同士で」

「女性同士でなければ話せないこともありますし」

 互いの恋人のねだられて、素直に承諾する海と雄太。それはその通りで、同姓同士でしか話せないこともたくさんあることだろう。

「あまり人の多いところ行くなよ?」

「あら、本当に海は心配性ね」

「心配も何も余計な虫が……」

「ついても追い払うわよ、安心しなさい」

「律子自身もつくだろ……」

 嘆息する雄太に、律子は大笑いした。豪快な笑い方も相変わらずだった。

「もう、アメリカより危険じゃないもの。大丈夫よ。何かあったら助けにきてくれるでしょ?」

「海さんも雄太さんも必ず来てくださいます」

 断言されて、照れてしまう二人だった。


 それから律子が帰国までの間、美和はたくさんウィンドウショッピングを楽しんだ。たくさん買えるわけではなかったが、一緒に見るだけでも十分楽しむことができた。時々四人で遊んだりと、充実した夏休みを過ごすことができたのだった。

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