第11話

「あー……」

 やけにトイレが混んでいて、ようやく狭い空間から解放されて、海は大きく背伸びをした。

「遅くなったなぁ」

 美和に悪い虫がついていないかと心配しながら喫茶店に戻る。もう店は見える、多分律子も直に来るだろうと考えていた。

「っ、いやぁーっ!」

 凄まじい悲鳴に、海は驚いてすぐに走り出した。店内に入り、泣き叫ぶ美和を抱きしめる。

「どうした、美和!?」

「海さん、私、おと……ん」

 ズボンに手を突っ込み、錠剤を美和の口に押し入れる。すぐさま水の入ったコップをつかみ、美和の口の中へとゆっくりと注いでいく。

「あ……」

「俺がいるから」

 包み込むように美和を抱きしめ、安心させるために背をなでた。

「美和は一人じゃないよ」

「本当に?」

「ああ、一人にしないから」

 涙を流し続ける美和に、海は優しく頬を撫でた。いつもより熱くなっている頬、泣いているせいだ。

「少し疲れてるんだろ、ゆっくり寝ればいいよ」

「私……起きたら……」

「美和、俺を信用しろ。俺はいるから、な?」

 美和をなだめ続ける海。他の客や店員が何事かと二人の周りを囲い始めていた。

「な?」

「は、い」

 海の言葉と表情に、美和は安心して意識を手放した。

 久々に混乱し泣き叫ぶ美和を見た。

 何が原因で錯乱したかはわからない、検討がつかなかった。美和の両親が亡くなって間もない頃は、錯乱している姿は珍しくなかった。

 テーブルの上には携帯電話と封筒と手紙が置かれていた。手紙には涙の痕が残っている。

 こんな手紙は家には届いていなかった。誰かから受け取ったものだ。乱暴に手紙を手に取り、内容を確認する。

「なんだ、これは」

 怒りが体中を駆け巡る。酷い罵倒の言葉の嵐に、海は紙を握りつぶしてしまった。

 封書に住所は書かれていない、あるのは名前だけだった――海を罵倒した女の名前が記されていた。

 海に言った内容とほとんど変わらない、一つ違うのは手紙に散りばめられた、美和の両親の死という言葉だった。

 何度も何度も繰り返し書かれ、それは美和の悲しい記憶を思い出す引き金になってしまった。

 俺だけならまだしも、美和にまでこんなことを言うのか。

 この場にあの女がいたら、殴っているところだ。

 大切な大切な嫁を、どうして悲しませるのだろう。

『海!』

 二つの声が海の名を呼ぶ。振り返るとそこには、肩で大きく息をした雄太と律子の姿があった。

「何があった、っていうかなんで美和ちゃんの側離れた!?」

「ユウ、怒るのはあとよ。早く二人の家に帰りましょう」

 椅子に置かれた美和の鞄と紙袋を手に取る律子、急いで会計を済ませるため、雄太は店の奥へと走っていった。

「……悪い、久々なのに」

「車の中で聞かせて、こうなった理由を」

「家は」

「少しぐらい遅くなっても怒らないわよ、私の両親は」

 気にしないの、と海の肩を叩く律子。

「あなたが一番に心配しないといけないのは美和でしょ?」

「美和だったら気にすると思ってさ」

「はいはい」

 相変わらずの律子の態度に苦笑している間に、雄太が戻ってきた。

「店の人にも説明して謝っておいたから、すぐに行くぞ」

 キャリーケースを引きながら、雄太は駐車場に向かって歩き出していた。律子もまた後を追い、顔を苦痛に歪ませながら、美和を抱きかかえたまま空港を後にする。

 あの時と同じ状況に、三人は口を開くことなく海と美和の家へと急いだ。

 美和の酷い精神状態を間近で見ていた三人は、久しぶりに美和の酷い精神状態だったあの頃を思い出してしまっていた。

 あと数時間は目覚めない、飲ませた薬は睡眠薬だからそう簡単には目覚めないはずだ。念のために携帯していた薬で、医師には許可を得て使用している。前ほどではないが、両親の死を思い出すことがあり、その時は薬を飲ませていた。

 一時期海も服用していたことがある、母親が死んでしまったときだった。しかし美和の錯乱は、海よりも酷かった。

 ごめん、美和。

 心の中で何度も詫び続けることしか、今の海にはできなかった。

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