第9話

 人の行き交う声に、時折飛行機の離着陸の轟音が空港内を響かせていた。晴天に恵まれ、ガラス越しに見える空は青く美しい。雲一つない空だが、その分とてつもなく暑い。空港内は冷房が利いているので、外よりはまだ涼しかった。

 海と美和、雄太の三人は待ち合わせ場所である空港内の喫茶店で待機していた。ガラス張りではない、オープンカフェの喫茶店からは、すぐに律子の姿を確認することができた。少し飛行機が遅れる可能性もある、と予め連絡を受けていたため、喫茶店で待機している。

「久々だな~律子と会うのは」

「はい、楽しみです」

 にこにこと笑う海と美和とは対照的に、雄太は無表情でアイスコーヒーを飲んでいる。

「お前、もう少し喜んだらどうだよ?」

「飛行機が遅れてるから、無事に着くといいな」

『……』

 再会を喜んでいるのではなく、無事にたどり着くかを心配していたらしい。飛行機はそう簡単に墜落などしない。

「その心配は必要ないと思うぞ……」

「雄太さん、あの」

 満面の笑みで、雄太に告げる美和。

「律子さんと再会できるのは、うれしくないのですか?」

「……いや、そういうわけじゃない」

「では喜んで下さい、ね?」

 黙らせてしまう美和の会心の笑顔に、雄太は静かに頷いた。決して逆らうことはできない攻撃の一つで、これに素直に従わないと後々怖いことになる。しかも隣には海がいる、逆らえばうるさいことこの上ない。

「気になるならさ、搭乗口行ってくればいいんじゃないか?」

「お前じゃないからそれは……」

「いいから行ってこいって」

 真面目に忠告する海に、雄太は無言で立ち上がり、喫茶店の外へと出た。その後ろ姿を見て、海は苦笑してしまう。

「本当に素直じゃないよな、あいつ」

「そこが雄太さんの良いところですよ」

「……堂々と惚気るのはダメなのか」

 海と対照的で、雄太は恋人といても堂々と惚気ることはない。律子に言わせれば、二人の時は違うらしい。雄太らしいといえば雄太らしい。真面目なのだ。

「駄目ではありませんよ。私は嬉しいです」

 人前で好きだと言われるのは嫌ではない、ときどき恥ずかしいと思うけれど、それだけ大事にしてくれている。

「海さんは海さん、雄太さんは雄太さんです」

「そっか……っと、ごめんトイレ行ってくる」

「はい」

「なんか変な虫……」

「ここは喫茶店内ですから、大丈夫ですよ」

 警備員もいるので助けも呼べる。学校の校門前よりは安心できる場所だ。

「行ってらっしゃい、海さん」

「うん」

 一人にする不安はあるが、男子トイレにつれていくわけにもいかず、誰もいなくなってしまっては、合流も難しい。早く戻ろうと、急ぎ足でトイレを探す海だった。




 搭乗口から大勢の人が出てくる。人垣をかき分けて、真剣に雄太は久しぶりに再会する恋人を探していた。とにかく人が多いので、探すのは一苦労だった。

 素直に喫茶店で待っていればよかったのだが、心配と嬉しさのあまり落ち着いて待っていられなかったのだ。

 人のことは言えない、と自己嫌悪に陥りつつも、久しぶりすぎるのだから仕方がないと自分に言い聞かせる。

「あら、ユウ!」

 搭乗口から出てきて、雄太の姿を発見したのは、キャリアウーマン系に見える女性だった。ロングの黒髪とすらりとした体型、それに合う黒のパンツスーツ姿で、片手にはキャリーケースを伴っている。

 キャリーケースをがらがらと引き、雄太の側へと歩み寄る。

「どうしたの、喫茶店で待ち合わせって言ったのに」

「いや、そうだったんだけども」

「何? 待ちきれなかったの?」

 ふふっと笑い、雄太の肩を軽く叩いた。

 久しぶりに恋人である早峰(はやみね) 律子(りつこ)に触れられて、雄太は微笑んだ。

「相変わらずだな、律子は」

「雄太もね。あら、大変」

 姿勢を正して、咳払いを一つしてから一言。

「ただいま、ユウ」

「おかえり、律子」

 帰国の挨拶をし忘れていた。ここに人が大勢いなければ、抱きしめたいところだった。

「とりあえず行くか、喫茶店に」

「ええ、美和と海にも会いたいわね」

 律子からキャリーケースを受け取る雄太。ここから喫茶店までは少し距離があった。

「二人とも幸せそう?」

「のろけられまくってるな」

「じゃあ私たちも負けられないわね」

「そこは勝ち負けの問題じゃないと思う……」

「そうかしら」

 何せ遠距離で、電話やメールはするが、直接会う機会は年に数えるぐらいしかない。

 結婚して毎日一緒に過ごしている二人は羨ましい、と思うことさえある。

「二週間は日本にいるもの。ゆっくり過ごしましょ?」

「家族とかはいいのか?」

「ユウ」

 足を止めて雄太と向き合う律子。まっすぐ見つめられて、頬を赤らめてしまう雄太。

「私と過ごしたいの、過ごしたくないの?」

「……過ごしたいに決まってるだろ」

「ならそれでいいのよ。家族とかは気にしないで。ユウはアルバイトしてるでしょ? その日に私は家族と過ごしたり、同級生と会ったりするからいいのよ。本当にもう」

 人を気遣いすぎる彼氏だった。海とは違う、自分の感情を最優先にはしない人だった。その人自身を心配し、気遣ってくれる。不器用で優しい人だと、律子も海も美和も知っている。もちろん彼の家族も知っていた。すでに雄太と律子は、二人で互いの両親に会っている。反対もされていなかった。むしろ恋人ができたことに、雄太の家族は大喜びし、真面目な雄太を律子の家族は好意的に受け止めてくれたのだ。

 そうでなければ、今日迎えにきたのは律子の家族のはずだ。

「私も過ごしたいのよ。今日はさすがに帰らないといけないけどね」

「……楽しみにしてたよ、律子の家族」

「ユウは?」

「あのな」

 耳元でぼそっと呟く雄太。その答えに、律子は大笑いする。

「ごめんごめん」

「わかってて冷やかしてるだろ」

 笑いながら雄太の背を叩き、再度歩き始める二人。わずかな時間ではあったが、二人は会話を楽しみながら喫茶店に向かっていた。

「っ、いやぁーーーっ!」

 悲鳴によって、楽しかった会話が打ち破られる。少し遠くから聞こえたが、この声を聞き間違えることはなかった。

「ユウ!」

「ああ」

 二人は喫茶店へと駆けだした。

 悲痛な叫び声、それは声の主である、美和の両親が亡くなって以来に聞いた声だった。

 ――あのバカ、何やってんだ!!

 事情を聞いて問いただしてやる、と雄太は焦りながらも親友に怒るのだった。

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