第6話

 レイラをいさめた声の主は、明らかな敵意を海に向けていた。自然と身構えてしまう海。

 付き人である以上、もしかしたらボディーガードも兼ねている気がしたからだ。スタイル抜群の女性だったが、何かスポーツでもやっているのではないかと感じられる体つきだったからだ。

「お嬢様をたぶらかす男ですね」

「何を失礼なことを言っているの! 朋美ともみ

 本気で怒るレイラだったが、朋美と呼ばれた付き人の気迫に一蹴される。

「初対面でそんなことを言われる筋合いはないぞ?」

「私も初対面の相手に、そのようなことを言うのは初めてですね」

 悪びれる様子がない、レイラ同様話を全く聞かない。。

「俺は結婚してるし、嫁一筋だ。離婚予定もなく、仲も抜群にいい」

「何を言われても、お嬢様を騙している男にすぎません」

「いや、だから俺は騙してもいないし、騙す気もないし」

 やはり全く人の話を聞き入れる気はないらしい。主も主だが、付き人も付き人だ。

「その若さで結婚しただけあるわ」

「それは関係ないだろうが」

 朋美の言葉の意味、それを海は深く理解していた。

 よく知りもしない第三者が、口を揃えて言う言葉だった。

 まだ若いのに、なぜ結婚したのか。妻を養っていけるのかなど、世間体を気にする言葉を何度も浴びせかけられた。親戚がいたら、もっと大変だっただろう。説き伏せる前に、美和の心が壊れてしまうと思ったから、彼女と人生を歩むことを決めたのだ。

「俺たちは俺たちの事情があった、ただそれだけだ」

「あなたたちの事情を深く知ろうとは思いません。が、世間は独り立ちしていない学生同士の結婚を快く思うのかしら?」

 正論だった。正論だが、それに対して海は黙ることはなかった。沈黙はその事実を素直に受け止め、第三者に敗北をした意味となる。

「それはあんたの価値観だ」

「世間の声よ。彼女の両親が亡くなったから結婚した、とでもいうの?」

 嫌っている癖に、なんで調べられているんだ。小さく舌打ちし、海は朋美を睨みつけた。

「悲しむ彼女と結婚した。傍から見れば美談ね、でも現実的には……」

「あんたに何がわかる!」

 語気を荒げて叫ぶ。ここはデパートの中で、客も大勢いる。デパートの従業員にも迷惑をかける。

 わかっていても、抑え切れない怒りがあった。この間とは違う、ナンパされている美和を見て直情的に動くのとは違う。

 相手をどうしても許せなかった。

「美和は本当に悲しんでいたんだ」

 家族を全て失って、親戚も疎遠で両親が死んでも誰も来なかった。

 どん底に叩き落された美和を助けたのは、身近な人たちだけだった。だけ、というのは語弊が生じるかもしれない。

 人を気遣い、やさしく愛らしい彼女は、多くの人に慕われていた。だからこそ救いの手を差し伸べてもらえた。

 その人たちのおかげで、今の幸せがあることを、一生忘れることはないだろう。

「美和には、どうしても……」

 家族が必要だった。家族がいなければ、美和は完全に壊れてしまっただろう。それほどに両親を愛していたのだから。

 海もまた母親を失っている。美和の悲しみを理解し、そして側で支えたいと思った。もともと長く付き合っていて、いつかは結婚すると決めていた。それが早くなっただけの話だ。

 プロポーズをしてようやく、彼女は笑顔を取り戻してくれた。父親にも頭を下げた、どうしても美和を家族にしたいと懇願した。リスクがあることも承知だと告げて、父親は結婚を許可してくれた。父親もまた家族を失う悲しみを知る一人だったし、母の保険金で美和を養うこともできた。現実的には不可能ではない話だった。

 だが教師や一部の友人には反対された。それでも説得をし続け、卒業までには説得を終えた。父親も様々な人を説得していた、友人である雄太と律子も協力してくれた。二人の両親も協力してくれた。

 そのおかげで、大学に入る前に入籍をすることができたのだ。 

 それを知るはずもない人間が、なぜそんな言い方をしてくるのか。調べた上で言ってくるのは、単に気に食わないだけなのではないか、そう思えてしまう。

「家族が必要だった。俺も必要だった、ただそれだけだ。あんたは俺と美和がどうなってほしいんだ? 別れることはあり得ない、絶対に」

「私はあなたがお嬢様の視界から消えればいい、ただそれだけよ」

「それだけのために、人のことを勝手に調べて、上から目線で文句言うわけかよ」

 わけがわからなかった。散々苦しんで考え抜いた結果、結婚したのに。

 中学のとき、悲しみのどん底に落ちたとき、美和が支えてれたように、支え続けようと決意したのに。

 脳裏に過ぎる美和の悲観に暮れた姿、さらに思い起こさせる中学の記憶が、感情をさらに高ぶらせる。こんなときに、あのときのことを思い出すなんて。

 怒りと悲しみが体中を支配していく。泣きたいのか怒りたいのか、わけがわからなくなってきた。体は小刻みに揺れている、俺はどうしたいのだろう。

「言い返せないのであれば、大した愛ではないということね」

「あなたにそんなことを言われる筋合いはございません」

 凛とした声に、朋美と付き人を諌めることができず青ざめていたレイラが後ろを振り向いた。そこには静かに怒る美和が立っていた。

「こんな公共の場で、人を貶める言葉を放つ方のほうが、現実を見ていないのではありませんか?」

 美和から告げられた正論という名の剣は、朋美に見事突き刺さった。黙る二人の横を通り、海を包み込むように抱きしめた。

「海さん、帰りましょう。私たちの家に」

「美和……」

 泣きそうになる海に、美和はあやすかのように優しく頬を撫でた。

「ここではお店の方のご迷惑にもなります……あの方たちは、無視しましょう」

「……ん」

 海を先に歩かせ、美和は振り返って二人に強く言い放った。

「場所をわきまえた発言をなさってください……そのような言い方は、社会人としてのマナーがなっていないかと。ご自分の行動、発言をご確認下さい」

 表面上は笑顔であっても、美和の声は低く、怒気を含んでいた。

 愛している人を、言葉のナイフで傷つけた人物を許せるほど、寛容な心を持ち合わせてはいなかった。

 美和もまた、海が悲しみ苦しんでいる姿を見ている。何とか元気にならないかと、悩んだ結果、側に居続けた。そうして海は生来の明るさを取り戻していった。

 今また、目の前であの時と同様に苦しんでいる。

 勝手に人のことを調査し、自分勝手な判断で恋人を傷つけた人たちを許せるわけがない。

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