第5話

 大学の夏休み期間ではあったが、世間は平日で、銀座の大通りは週末よりは混雑していなかった。

 これならば安心だ、人も多すぎず、変な男に付きまとわれる心配はない。安心して、美和と手をつなぐことができた。同時に、自分で選んだ美和の服と髪型に海は満足していた。

 夏の日差しは暑いが、美和の容姿に似合った服は海の気分を夏の暑さ以上に高揚させる。結い上げられた髪、隙間から見えるうなじがどうにも色っぽく見えてしまう。変態だと言われようが気にしない、良いものは良いのだ。

「海さん」

「ん?」

 呼ばれて我に返る海、美和の示す先に視線を向けると、そこは高級デパートがそびえたっていた。このデパートに来た目的は、律子に渡す菓子の材料を購入しにきたのだ。

 少しでも奮発したいので、製菓専門店で粉やバターを購入したいと美和にお願いされたからだ。美和の願いを海が断る理由はない、それに海にとっても律子は大切な友人の一人でもある。

 海の母親と美和の両親が亡くなった時の保険が降り、経済的には困っていなかった。だがこれを使い続けるのは、学生生活のうちだけと二人は決めていた。そうしなければ、いつまでたっても自立できないからだ。一応アルバイトもしている、海は室内プールの監視員、美和は近くの喫茶店で働いている。製菓材料のお金は、二人のアルバイト代から賄われている。夏休みは稼ぐには絶好のチャンスだったが、まだ結婚して間もない二人は、できるだけ一緒に過ごしたいと思ったのだ。事情を話した上で、夏休み期間のアルバイト回数を減らすことができたのだ。しかし普通であれば、解雇になってもおかしくはない。だが二人は真面目にアルバイトをしていたし、夏休み前まではなるべくアルバイト先の急なシフト変更なども対応してきた。

 いわゆる、日頃の行いが夏休みのシフト回数の軽減を可能にしたのである。

 デパートの中に入ると、冷房が体中を直撃する。一瞬涼しいとは思うが、しばらくしてくると体が冷えてくる。寒そうにしている美和に、海は片手に持っていたカーディガンを肩にかけた。

「寒いだろ」

「ありがとうございます。海さんは寒くありませんか?」

「ああ、俺は大丈夫。さっさと買い物して、どこかで昼食べて帰ろう」

「はい」

 カーディガンの袖に腕を通し終えてから、二人はエレベーターで製菓売場へと向かう。何度も来店したことのある店で、少々高値ではあるが品ぞろえがよく、贈答用の菓子を作るときは必ずここを訪れる。

「いらっしゃいませ、喜多見様」

「こんにちは、あの……」

 顔見知りの店員が美和に話しかけてくる。すぐに美和は、持参したメモの内容を確認しながら店員に質問をしていた。

「いらっしゃいませ」

「あ、どうも」

 客が少ない時間帯に来たため、他の店員が海に接客をするため近寄ってきた。開店直後は本当に空いていて、買い物もスムーズかつ変な虫もつきにくい。しかもこの製菓店は女性店員しかいないため、より安全かつ安心できた。

「何を作られるのですか?」

「多分焼き菓子だと思うんですけどね」

 美和の買い物が終わるまで、店員は海と他愛のない会話を続けていた。二人は常連客で、この店ではちょっとした有名な恋人同士だと思われていた。彼女はとても可愛らしく、礼儀正しくて人柄も良かった。そんな恋人を大事にしている彼氏もまた、店員の目線からはとても微笑ましく思えた。とにかく仲が良いのだ。夫婦とは思われてはいなかったが。

「お待たせしました、海さん」

「結構買ったな~」

 美和の持ってきた発泡スチロールの箱を受け取る海。粉系が多いのかもしれない。

「たくさん作ってあげたいので」

「食べきれるかな……」

「余れば、あちらのご家族に上げていただけばいいですし」

 かなり大量に作る気満々の美和に、しばらくはおやつには困らないと悟る海だった。美和の手作り菓子は本当に旨いのだ。

 


 昼にはなったが、まだ十二時すぎなので、もう少しデパートの中を散策することにした。昼の時間帯なので、混んでいると判断して時間をつぶすことにした。高級なデパートだけあって、品は良いがとにかく高い。購入することはないが、見ているだけでも十分楽しむことができた。

 普段、二人は銀座ではなく渋谷や新宿に外出することが多い。今日来たのは、あくまでお気に入りの製菓店があったからにすぎないのだ。

 見るもの全てが、美和に似合わないかなとか考えてしまう海。結婚してからというもの、何もかもが美和中心で考えてしまう癖ができてしまった。溺愛にもほどがある、と突っ込んできたのは雄太、愛されていて幸せよねと言って来たのは美和の親友だ。

「海さん」

「ん」

 たっ、と美和はお手洗いへと駆けていった。列が少しできているので、時間がかかりそうだと思い、適当な売り場に入って、海は時間を潰すことにした。文房具売り場だったので、入りづらいことはなかった。そろそろシャーペンの芯とかルーズリーフがなくなることを思い出しつつ、ここで買う気はなかった。何か足りないものがあったかどうか、確認をする意味で店内を適当に見て回る。

「これとかはたし……げっ」

 文房具売り場の前を通り過ぎようとした、二人の人物を見て、海は咄嗟にその場にしゃがみこんだ。

「……なんで、こ……あー」

 相手はお嬢様だ、高級デパートに来てもおかしくはない。もう一人は確実に付き人だ、以前とは違う人物だったが。

 発見されないよう、静かに屈んだまま移動する海。箱が重くてバランスをとるのが難しいが、そんなことも言ってられない。静かに振り返り、ゆっくりと前へと進んでいく。

「――海さま!」

 高い声が、背後で響き渡る。みつかった、逃げよう、いや無理だし。目の前がトイレなんだから、逃げるわけにもいかない。美和を置いていけるはずがない。

「運命の出会いですわ~~!」

 凄まじい速度で海に突っ込んできたのは、金髪碧眼の美女だった。腕を広げ抱きしめようとしてくるが、すんでのところで箱を前に出した。勢いよくその箱を抱きしめる美女。

「海さま、照れなくとも」

「俺は美和一筋だ!」

 頬を赤らめて、近寄ってくるのは正真正銘のお嬢様で、悲しいことに美和の同級生でもある佐々木レイラだった。美和は母がアメリカ人のハーフだが、レイラは生粋のアメリカ人の母親の子であるため、日本人というよりアメリカ人に近い顔立ちをしている。そのため容姿端麗で、寄ってくる男も多い。

 しかしそれは世間一般の意見で、男たちがそう言っているだけで、海にとっては美和が一番だった。

「それはひと時の迷いですわよ」

「違うって」

「違いませんわよ」

 美人だからといって、必ずしも性格が良いわけではない。レイラはとにかく人の話を聞かない。勝手に美和を敵視しているのは、美和もまた異性に評判がいいからだ。そして海に惹かれたのは、美和に対する対抗心と海自身は自覚がないが、彼もまた異性にはそこそこ評判が良いせいだった。背も高く、面倒見もよくて人当たりも悪くはない。

 世間知らずのお嬢様が惹かれる要素が海にあり、偶然美和の大学で出会ってしまったのが、現状を招いた結果だった。

「俺は結婚してるって言ってるだろうが」

「離婚という方法もありますわ!」

「離婚なんてするか!」

「お嬢様、いい加減になさいませ」

 問答を繰り返す二人に、冷たい声が浴びせかけられた。

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