第4話

 夕飯を食べ終えて、洗濯や掃除を終わらせてから、海と美和は自分の部屋へと入っていった。二人の勉強部屋で、寝室はまた別にあった。一応試験は終わったが、互いに調べたいことがあったので風呂にはまだ入らず、勉強部屋にこもっている。勉強机と向き合い、横に置いてあるパソコンで調べながらノートにメモを残していくつもりだった。

「…………メールするか」

 集中力が途切れて、握っていたシャーペンをペンたてに投げ入れた。パソコンにダウンロードした音楽を流し、メールソフトを起動させる。

 携帯電話でメールを打つという行為が面倒な海は、長文の場合は必ずといっていいほどパソコンでメールを送る。移動時間などで携帯メールを打つことが多く、家で携帯電話を凝視することはなかった。電話したほうが早いしメールもパソコンで入力したほうが早いと思うからだ。宛先を確認して、内容を推敲することなく送信してしまったのは、気心知れた仲である雄太が相手だからだ。

「あいつにも世話になってるよな……」

 海の母が亡くなったときも、美和の両親が亡くなったとき、結婚するときにも散々世話になりつつ、惚気もたっぷりと聞かせた覚えがある。

 美和は可愛らしく、とてもしっかりしている。料理も旨い、笑顔が特にたまらなく心を喜ばせてくれる。人前で抱きしめたくなる……正確には、抱きしめたことはあるが、雄太に思い切り怒られた。小姑みたいだなと言い返したら、その場で説教をされた、それは今も時々あることだった。

 雄太は真剣に心配してくれているからこそ、海は反発をすることはなかった。良い友に恵まれて、良い嫁も得て幸せ者だと実感してしまう。

 自然と顔の筋肉が緩んでしまう、他人から情けなく見えたって、俺の大事な嫁なのだから気になんてするか、などと雄太の前で言ったら、また怒られるのは確実だった。

「お」

 メールの着信音が聞こえて、パソコンのメールを確認する。やけに返信が早いのは、雄太もパソコンを使っているからだろう。

 惚気のメールはいらない、と一行目に書かれていた。二行目には、笑うようになって良かったな、とも書いてあった。

 すぐさま返信をすると、その返事も早かった。

 だから惚気はいらん、明後日の約束忘れるな、俺は寝る。

 と、さっぱりとした内容が書かれていた。……そういえばアルバイトの日だったな、あいつ。

 ぽりぽりと頬を掻いてから、パソコンの電源を落とし、風呂場へ向かった。今日は風呂は沸かしていないので、シャワーを浴びてからすぐに寝室へと足を進めた。

「勉強終わられたのですか?」

「ああ。美和も終わったみたいだな」

 同じくシャワーを浴び終えて、ベッドに腰掛けて、ドライヤーで髪を乾かしている美和の隣に座る。まだ少し濡れている髪に触れた。

「次は海さんの番です」

「自然乾燥で……」

「駄目です、髪が痛みますよ」

 海を椅子に座らせ、ドライヤーとヘアブラシを使って丁寧に髪を乾かしていく。短い髪なので、そんなに時間はかからなかった。

 自分でできると言ったら、悲しそうな顔をされてしまったので、おとなしくされるがままになるのが日常だった。

 ……こんな日常が幸せなんだよなぁ。

 何があるわけでもない、平和な日々。刺激のある日々でもなんでもない。結婚してもあまり変わらなくて、一つ屋根の下に住んでいなかった頃も、美和はよく世話にきてくれていた。

「美和、明日どうする?」

 髪を乾かし終えてから、美和を抱き寄せて耳元で囁くように尋ねる。

「明日は材料を買いに行かないといけません」

「材料?」

「明後日、律子さんが帰国ですから」

「あー雄太も言ってたな」

 忘れていたわけではない、少しの間だけ美和との幸せに浸ってしまって、一瞬忘れただけだった。

 律子とは海、美和、雄太の高校時代の同級生で、現在海外留学のために渡米している。明後日、日本に一時帰国してくるため、空港に迎えに行くことになっていた。

「お菓子作るのか?」

「ええ、アメリカのお菓子は甘すぎるそうです」

「アメリカの菓子は甘いよな、砂糖も多いし色も凄いし」

「さすがの律子さんも、たくさんは食べられないみたいです」

 嬉しそうに友人の話をする美和も可愛らしかった。菓子が好きで、美和の手作り菓子も喜んで食べていた律子のことを、海も雄太もよく知っている。姉御肌で、彼女もまた結婚のときに世話になった人物の一人でもある。

 特に美和は、母親を亡くし相談する女性がいなかったため、律子には随分相談をし心配や迷惑をかけた、と呟くときがあった。海も雄太には散々相談をして、迷惑をかけている。雄太と律子は、二人にとって大切な友でもあり、恩人でもあった。

「雄太さん嬉しいでしょうね」

「だろうなぁ。久々に会えるわけだし」

 二人そろって笑みを浮かべるのは、雄太と律子が恋人同士であり、現在遠距離恋愛中だからこそだった。久々に直接会える機会に、海と美和も一緒に行っていいものかと悩んだのだったが、雄太から来て欲しいと言われたのだ。

 曰く、律子も二人に会うのを楽しみにしているから、らしい。雄太も海に負けず劣らず、恋人に対して甘いのだった。

 二人きりのほうがよくないか、という海の質問に、お前と一緒にするなと怒られた。

 迎えに行ったら、律子を家に送り届けないといけない、俺との再会が最優先じゃないと言われた。律子には家族がいる、娘の一時帰国を待ちわびていたのだ。

 俺はそれからだよ、といった雄太の表情はどこか悲しそうだったのを、海は見逃していなかった。ずっと会えなくて、寂しくないわけがないのだ。

 他者を思いやってしまう雄太、自分の気持ちを我慢し続けるのも精神的によくないと思うのだが、それを助言したところで聞き入れてくれないだろう。馬鹿みたいにお人よしな友人、何かあったときは力になってやりたい……とか言ったら、確実にお前が問題起こさなければ俺は平和だと突っ込まれるのもわかっていた。

「二週間だっけ、一時帰国期間は」

「はい」

「じゃあなるべく遊んで……?」

 海の顔を見上げて、美和はそっと頬に手を添えてきた。

「私はたくさん遊びません。雄太さんと一緒に過ごして欲しいので。律子さん、本当に雄太さんと会えなくて寂しそうだったので」

「俺も美和と会えなかったら寂しいもんな」

 こんなに可愛い嫁と離れ離れは、正直辛い。よく親父は、母と遠距離で過ごしていて我慢できたと思う。親父に、寂しくないかと聞いたとき、寂しいけど家族のために頑張るよ! と言った親父の言葉はよく覚えている。メールやファックスもよく届く。美和が嫁になったときは、膨大な数のメールが届いたのが懐かしかったりもする。

 まだシャンプーの香りがする髪をつまみ、指先で弄ぶ。近くにいるからこそこんなことができてしまう。甘えるのも、愛の言葉を囁くのも、直接触れることのできる距離に美和がいるからだ。

「……私も海さんと会えなかったら寂しいです」

「俺は側に居続けるよ。そう約束したろ?」

 悲しげに目を伏せる美和に、海は満面の笑みを浮かべて励ました。

「はい」

 その返答に、美和もまた笑みを浮かべた。互いの笑顔を見られたことが嬉しすぎて、感情を抑えきれず二人は静かに唇を重ねるのだった。

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