第3話

 夕暮れに染まる道を、仲良く手を繋いで海と美和は歩いていた。

 陽は沈んでも、夏の気温は高く、額には汗の粒が浮かんでいた。

「今日はお疲れ様でした」

「ん?」

「試験が終わられたのでしょう?」

「うん……終わったけどさ」

 ようやく美和とゆっくり過ごすことができる、それはとてもとても嬉しいことだった。

 けれど雄太の言葉も気になってしまっていた。正論だから、頭では理解しているのに、それでも感情が勝ってしまう。

「もう少しうまく立ち回れるようになりたいなぁと思ってさ」

「私も迂闊に大学に行ったのもいけないんです。だからそんなに気に病まないで下さい」

 優しい言葉が、心にじんわりと染み渡っていく。思わず顔が綻び、握っていた手に力がこもる。

「俺が気をつけないといけないからさ。これから先も起こるんだし……っと」

 家の前にたどり着く。一軒家で五年前にリフォームしたばかりの家だった。

「とりあえず今日はゆっくりするか」

「はい」

 ポケットから鍵を取り出し、二人は家の中へと入っていった。ドアの横にかけられた表札に書かれた名前は、喜多見と刻印されている。

 薄暗い家の中へと入り、電気をつけて海は台所へと姿を消した。美和は家の留守番電話を確認する。留守番電話は録音されていなかったが、FAXが一枚届いていた。

「お義父とう様からね……」

 今はメールという便利なツールがあるというのに、未だにFAXで手紙を送ってくるのは海の父親だった。現在、海外赴任中で家には年に数えるほどしか帰宅しない。FAX用紙を持ったまま、美和は台所にいる海の元へと向かった。

「海さん」

「後で読むよ、夕飯の準備するからさ」

「私は洗濯をしてきますね」

「頼む」

「はい」

 海に微笑んでから、美和は風呂場へと駆けていった。そんなに急がなくてもいいのに、と思いつつも内心は嬉しくて仕方がなかった。どんな行動でもかわいらしい。

 黒いエプロンをつけて、冷蔵庫の中身を確認しながら目を細める。

 雄太の言葉は、まだ短い人生の過去を思い出すには十分だった。




 海は中学校に進学をして、近所に住む幼い頃から仲のよい美和と登校して、中学に進学してから友人となった雄太とも腹を割って話せる仲になり、他にも友人がたくさんできて楽しい日々を過ごしていた。

 水泳部に所属していて、二年生になり後輩ができるな、と雄太と能天気に話していた春先、海の母親は急死してしまった。心筋梗塞で倒れ、海外赴任をしていた父親が帰国するときには、すでに息を引き取ってしまっていた。

 授業を受けていて、突然教師に呼び出されて、病院に向かえば母は意識不明の重態、父親はアメリカに赴任している、すぐに駆けつけてくることはできなかった。親戚も疎遠で、血縁者は海しかいなかった。

 状況がうまく飲み込めず、不安だけが体中を支配していた。どうすればいいのか、思考は完全に停止してしまっていた。

 そんな最悪の状態である海に寄り添ったのは、幼馴染である美和だった。家族ぐるみで付き合いもあり、美和の両親が父親が駆けつけるまでの間、さまざまな手続きを行ってくれた。美和の一家には、一生あっても返せないほどの恩ができた。

 結局、父を待つことなく母は他界してしまった。母と二人で生活をして支えあってきた、父も遠く離れていても家族を愛していた。残された二人の悲しみはあまりにも深かった。

 海の母親の死の直後も、美和の一家は二人を支え続けていた。美和を抱きしめて、泣き明かした日もあった。

 彼女の一家がいてくれてよかった、美和が側にいてくれてよかった。そうでなければ正気に戻ることは出来なかった。

 そうして父と息子は立ち上がることができたのだ。身辺整理を終えてから、父親はアメリカへと戻っていった。海は日本に残ることを望んだため、一軒家に一人で住むことになった。

 その際も、美和の一家には世話になってしまった。時には夕飯にも招いてくれた、本当に嬉しかった。心の傷も自然と和らいでいった。


 けれどその日々もまた、海の母親が亡くなった約四年後に失われてしまった。

 美和の両親の死という、最悪の形で――。

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