第10話 女剣士の食事





「ここか」


 ある日の夜、シラカシは中流下側にいた。目指している建物の見た目は、この界隈では普通の食堂だった。

 中流76番地の『ポローナ』。それが彼女の記憶した情報だ。


「なかなか雰囲気がある」


 シラカシのライフワークは食の開拓だ。

 王都の食事は彼女に合わない。しかし彼女も仲間も料理ができない。探索が必要だった。

 スラムにいた頃に比べれば金銭には余裕があるのだ。美味い飯を求めるのは当然だ。


 最初は上流に向かった。平民街も上となれば確かに中々の食事ができた。お値段もそれ相当で一食200バアを超えてくるが、それなりに満足は得られた。だが決定的な何かが足りなかった。具体的には前世の職場の1階にあった地元コンビニの弁当には敵わないなどという、一般的に考えれば非常に微妙な線引きだ。

 それでもシラカシにとって過去に食したコンビニかつ丼の味は、色々あって極限まで美化されていた。


「今、わたしは開放された。ならば食こそ自由で、堪能されてしかるべき」


 などと哲学的なことを考えるシラカシだが、彼女もまた普通ではない前世を持っていた。



 ◇◇◇



「甘いわっ!」


「くっ」


 カランと木刀が地面に転がった。同時に八ツ木白樫やつぎしらかしという名の少女も地面に伏す。

 白樫の正面に鬼の形相で立っているのは彼女の祖父だった。


「型を300だ。夕食までに終わらせろ」


 そういって祖父は立ち去った。残されたのは6歳の少女。状況は児童虐待案件だった。

 それでも少女は立ち上がり、幾つかの素振りを組み合わせた型をなぞった。


 八ツ木家、古くからあるこの家には一つのしきたりがあった。古流を受け継ぐ者を育てる。剣の名を『八ツ来やつき』といった。

 当代は白樫の祖父であり、一人娘がいた。それが白樫の母。彼女は生まれつき身体が弱かった。そんな母と入り婿となった傍系の父の間に生まれたのが白樫だ。そんな彼女の両親はもう屋敷にいない。



「えいっ」


 5歳の頃に遊びで木の枝を振った白樫に、祖父は才能を見た。


「儂は己の心を殺し厳しく当たる。それが御家のためであるし、なによりアレの才能を伸ばすことになる」


 そう言って祖父は白樫の両親を遠ざけた。


 白樫が歳を重ねるごとに祖父の教えは厳しさを増していった。彼女は体中にアザをつくり、夏でも長袖を着る変な子供として近所の目に晒された。部活をするでもない、塾や習い事もしない、友だちと遊ぶこともしない。中学に入った時にはもう、白樫の周りには誰もいなかった。

 それでも祖父は厳しく稽古をつけた。それが流派のさだめであり、孫のためになると。



 白樫が15歳になった時、彼女は祖父を捉えた。

 木刀を突きつけられ嬉しそうな祖父と対照的に、白樫は無表情だった。


 それから高校の3年間、白樫は変わらずの生活を送りながら木刀を振るった。

 基本の型を習得した先にあるのは、真剣を用いた奥義に至る新たな型だ。だが白樫の冷めた心はそれを拒絶した。


「ま、まいった」


「そうですか。ではわたしは素振りを」


「し、白樫……」


「素振りを」


 とっくに祖父を超越していた白樫は『八ツ来』の未来を捨てた。祖父の白樫を想う心も斬り捨てた。祖父と両親が生み出したソレは『八ツ来』を冒涜する者だった。



 高校を卒業した白樫は市内の企業に就職した。総務課に配属された初日、先輩と一緒に昼食を食べた彼女は涙した。


「や、八ツ木さん、どうしたの?」


 先輩はビビった。当たり前だ。


「先輩、かつ丼とは美味しい食べ物ですね」


 別に八ツ木家で食事が与えられていなかったわけではない。むしろ身体を作るために、量を食べさせられていたくらいだ。

 ただそれは味気ない食事だった。両親がいないとか祖父が厳しいという冷えた家庭的な味気無さではない。純粋に単純に美味しくなかった。中途半端に現代アスリートの食事を調べた祖父が作ったそれは、完全に味を無視していたのだ。良薬口に苦しとは祖父の弁だった。しかも学校には手製の弁当を持たされ、給食など拒否せよとの徹底ぶりだ。

 祖父は本気で白樫を『八ツ来』最高の剣士として育てていた。彼女の才を信じていたのだ。


 勤務初日の夜、白樫は祖父に対し生まれて初めて殺気を込めた木刀を、寸止めしてみせた。何度も何度も繰り返した。

 多分その日が『八ツ来』の終焉だったのだろう。祖父は庭に出なくなり、それでも白樫は素振りを続けた。


「『八ツ来』などコンビニ弁当に劣る。それを証明し続ける」


 どう証明するのか不明のまま、どす黒い精神で白樫は素振りを続ける。自分が、コンビニ弁当が、かつ丼が『八ツ来』に劣るなどあってはならない。ずっとずっと高みに至る。絶対に『八ツ来』が届かない程に。

 それが白樫の剣だ。



 ◇◇◇



「この活気、期待できるかもしれないな」


 食堂に出入りする人を見ただけで言ったわけではない。シラカシの気配察知能力は人々の詳細な機微や感情の揺らぎまでをも見切っていた。


「当たりかもしれん」


 そうしてシラカシは食堂の扉をくぐった。


「いらっしゃいませー! あれ?」


 出迎えたのは当然ミサキだった。



「お好きな席へどうぞ。えっと、シロ、シラ……」


「シラカシだ。わたしこそすまない。君の名を失念している」


「わたしはミサキです。来てくれてありがとうございます。お好きな席へどうぞ」


 シラカシは食堂の名と住所を覚えていながらミサキの名を忘れていた。ちょっとした気まずさを感じるが、入店してしまった以上逃げはない。それがシラカシのプライドだ。

 食堂を見渡し構造を把握した彼女は、満を持してカウンター席の端に座った。


「もう空いてきてますし、テーブルでもいいんですよ」


「いや、ここでいい」


 もっといえば、ここがいい。丁度厨房が見通せる場所だった。


「ウチは4つしかやってないんですよ。肉、魚、芋、それと全部です」


「なるほど、では肉を」


 王都は海まで遠くないとはいえ生魚の直送は限られている。となればここで出されるのは川魚だろう。アレは処理が難しい。

 瞬時にそこまで考えてシラカシはオーダーした。


「パンとライスも選べますけど、どうします?」


「ほう、ライスもあるのか。ではそちらで」


 王都では東方と南方由来のコメが流通している。調理法も一緒に伝わっていた。

 残念ながらシラカシは納得できるようなライスに出会ったことはないが、それでも黒パンよりはマシだろう。


「はい。30バアです」


「うむ」


 シラカシは懐から銅貨を3枚取り出しミサキに手渡した。

 当然の先払い。平民街では当たり前だ。でなければ食い逃げが続出する。


「ありがとうございます。父さん、肉、ライスでいっちょー!」


「あいよぉ」


 厨房から威勢のいい声が返ってきた。上流の気取ったやり取りよりこちらの方がシラカシの性に合う。改めて中流を開拓しなおすのも悪くないとシラカシは思った。



「火はいいな」


 危ない人みたいなコトを言うが意味は違う。シラカシは食事ができあがる光景も好きだった。

 すぐ向こうで調理がなされている。炎が鍋をあぶり、フライパンが揺れる。


「……できる」


 シラカシは見取った。この料理人、並ではない。一芸に通ずる者は得手が別であっても理解できるものだ。ましてやシラカシレベルともなれば。


「いや、武の者?」


 そうなのだ。こちらの料理人はむしろ武の方がはるかに得意だった。あいにくそれがわかってしまうシラカシは自らを呪う。

 凄腕の武人が作る料理には嫌な思い出しかない。だがここは別世界だ。多分アレはごく一部の例外に決まっている。これはこれで期待が高まるとシラカシは無理やり自分を納得させた。



「お待たせしました。肉定食です! ごゆっくり」


「うむ」


 カウンターに置かれたトレイには綺麗に盛り付けられた食事があった。

 焼いた肉は大振りで4枚、何かしらのソースがかけられている。付け合わせのジャガイモも量が多い。粗野なところが中流風といったところか。


「む、ミソスープか」


 シラカシの眉が下がる。

 王都ではミソが手軽なスープの素として使われていた。野菜を煮込んだ鍋に投入すれば出来上がる簡単な料理として定着している。庶民の味というやつだ。

 当然シラカシを満足させることはできない。ライスと同じく前世の味と比較してしまい、その度に郷愁を感じさせてくれるのだ。


 だが出された食事を残すことなどシラカシの魂が許さない。好きでこの店に入ったのは自分自身の判断だ。料金を払ったから? そんな問題ではない。どんな味であろうとも完食してみせる。

 彼女はまずゆっくりと、スプーンを使ってミソスープを口に運んだ。


「むっ!」


 目が見開かれた。薄っすらとほんの少しだが『ダシが効いている』。これは海の味だ。だがカツオブシではない。なんだこれは。


 続いて同じくスプーンでライスをすくった。ここではこういう風習なのだ。

 そして再び驚く。これはライスなのか? むしろ『ごはん』ではないか。一粒一粒がしっかりとしている。これはまさか、研ぎが違うのか。料理素人のシラカシには判断がつかなかった。


 次は肉だ。これまでの驚きが余韻を引き、いやがようでも期待が膨らむ。大振りの肉にフォークを突き刺し齧り切った。かけられたソースには塩と胡椒の他にもいくつかの材料が使われているのだろう。大胆ながらも繊細さを感じる。しかし、しかしだ。


「これは醤油ではないか」


 思わず声に出したシラカシのところにミサキがやってきた。


「お醤油なんてよくわかりましたね。高いからちょっとだけ使ってるんですよ」


「そ、そうか。取り乱してすまなかった。不味いのではないのだ。むしろ美味い」


「それはよかったです。食事の邪魔しちゃってごめんなさい。ごゆっくり」


 再びミサキは離れていった。


 シラカシは食事を再開する。

 肉と芋とライスとミソスープを、それぞれ文字通り噛みしめるようにして食していく。気付けば全ての皿が空になっていた。


「ふぅー」


 シラカシは長く息を吐いた。そして叫ぶ。


「シェフを、いや料理人を呼べっ!」



「ちょっとまったぁ!」


「ミサキ、わたしはそこの料理人に聞きたいことがあるのだ」


「父さんはまだ注文が残ってます。わたしが答えますから、ここは抑えてください」


「そ、そうか。いや、すまなかった」


 ミサキは焦っていた。言いたいセリフランキングに載っているのを先に言われてしまった。インターセプトせざるを得ない。


「このミソスープに使われているのはなんだ。薄い下味だ」


「ああ、それは丸干しです。父さんの故郷で、ポローナっていう小さな村から仕入れてるんですよ」


「ほう、干し魚でダシをとったか。それにポローナ、それがこの店の由来か。いや、心だな」


 シラカシはダシひとつで店の心を決定してしまった。ミサキはなんだこの面倒な客はってモードに入りつつあるが、それでも我慢した。これも接客だ。


「このライスは」


「研ぎ方と、炊くときの火加減ですね。色々試しました」


「なるほど、同じ材料であっても手間暇、研鑽を怠らないことでこの味を出したか。これもまた、この店の心と言えよう」


「言えようって、ちょっとあの」


 勝手に店の心が増えていくのにミサキはちょっと恐怖を覚えた。本来なら自分の創意工夫に気が付いてくれて嬉しいはずなのに。


「では、このソースに使われている素材は」


「ええっと、それはですねえ」


「使われている醤油はほんの少しだけだ。高いからというのもあるだろうが、あえて少量を使うことで味に広がりが得られている。上流の下品な使い方とは大違いだな」


「あ、はい」


 シラカシによる詰問にも近い料理談義が終わるのに30分近い時間が必要だった。



「ありがとうございましたー」


 いつの間にか最後の客になっていたシラカシは去っていった。


「ずいぶんと熱心な客だったな。どうだミサキ、褒められて嬉しかっただろ」


「嬉しいのと怖いのが半分だった」


「なんだそりゃ」


「ほら、閉店するわよ」


 最後の最後に出てきた母によって、本日の『ポローナ』は閉店した。



 ◇◇◇



「お前もすっかり黒くなったな」


 店からの帰り道、シラカシは愛刀に語りかけていた。


 丹精込めて作った頃はまだ白かった木刀はすっかり赤黒くなり、『朱殷しゅあん』の名にふさわしくなっていた。どれだけ血を浴びればそうなるのか。

 スラムで生きていくため、その日の食事をするため、結果として目的を達成するため、シラカシにためらいはない。

 敵対する者であれば善悪関係なしに斬った。彼女にとって斬ることは手段であり、それは今でも変わらない。


 シラカシは止まらない。自分の剣が美味と並び立つまで。


「再び食事で高みを教えられたか。わたしらしい」



 わけのわからない高みを目指す女剣士がそこにいた。


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