第4話 影の舞う街





「……遅いな」


「門をくぐるのに手間取ったかもしれません」


「ない。あそこは男爵の息がかかってる。10分もかからん」


「ならば道中で馬車に不具合でも」


「どうだろうな」


 山の中腹にある小屋の一室で、二人の男が会話をしていた。

 一人は筋肉質の大柄の男。身長は180を超え、体重も見合った以上だろう。頭は光り、口から顎にかけて髭がゴワゴワと生えている。使い込まれた革鎧も併せ、いかにも戦いを生業とする者、しかも上位者である雰囲気を体中から発散していた。

 もう一人は細い。細いがそれでも見る者が見れば、彼も戦う男だと察することができるだろう。こちらも革鎧を着こみ、腰からは長剣をぶら下げている。雰囲気のある男たちだった。


 小屋にいる二人を形容するならば、盗賊のお頭と副官といったところだろうか。

 そんな彼らは馬車を待っていた。汚いテーブルに置かれた、場違いな銀の懐中時計は23時を指している。予定時刻を30分も過ぎているのだ。益体も無いやり取りを二人がしてしまうのも、仕方がないかもしれない。



 どんどんと扉が叩かれた。


 男たちは黙り目線を交わす。細身は腰の剣に手を伸ばし、お頭はテーブルに乗せてあったハンドアックスを握った。

 ノックの仕方が違う。5回と3回、それから4回、それが合図だ。乱雑に叩かれ続けるドアを、野郎二人は訝しげに見る。こんなところに身内以外が現れるとしたら、敵対者か迷い人くらいのものだ。予定時間に馬車が来ない。そしてこの状況。


「……逃げますか?」


 声を潜めて細身が聞いた。


「様子見だ。できればやり過ごす」


 お頭もまた小さな声で返す。逃げに回ってここを放棄するのは、色々と惜しい。


「誰かいませんかー」


 ノックが止まったと思えば、次にきたのは間抜けな問いかけだった。


「……女、だと?」


「こんな時間にこんなトコに、ですか」


 ドアの向こうから聞こえてきたのは、間違いなく女の声だった。しかも若い。

 迎え入れてアレコレとお頭も一瞬考えたが、細身の言葉に止めておくことにした。怪しすぎる。


「やり過ごすぞ」


「はい」



「あれー、ここにいるって聞いてたんだけどなあ」


 女のセリフで野郎たちの覚悟が決まった。声は一人だが、後ろに何人いるかわかったものじゃない。できればやり過ごしたい。だがイザとなったら。

 ほぼ同時に二人は背後の裏口を見た。囲まれていなければ助かるのだが。


 どごばぁん!


「お邪魔しますー」


 とんでもない音を立ててドアが倒れ、その向こうから女が現れた。

 当然男二人と目が合う。


「おい、あのドア、補強しとけって言っただろ」


「しっかりとしておきました。少なくとも俺にはあんな風に壊せません」


 あまりの出来事に、意味の無い会話をしてしまう。



「こんばんは」


 ぴょこりと頭をさげた女は色々特徴的だった。

 顔は平凡だ。黒髪、黒い瞳、軽く黄を含んだ肌色は、東方のシーン人を思わせる。そちらの出だろう。シーン人は若く見える。コイツは20代前半だろうかとお頭はふんだ。

 だがそんなことよりも、はるかに女を印象付けるのはその体型だった。背の高さは160の半ば、それはいい。問題は厚みだ。横幅も奥行きもそこらの女とは思えない。この時代、食生活は恵まれていない。そもそも肥満など、貴族の道楽みたいなものだ。

 じゃあこの女は貴族なのか? それとも東方人はこういうのが多いのか。


「なんとなく悩んでることわかりますから言いますね。わたしの体重、72キロです。いいでしょ」


 女は男たちが少しだけ興味を持った情報をくれた。いや、本当に無意味だ。


「それより座ってていいんですか?」


「どういう意味だ」


 そう言いながらもすでにお頭はハンドアックスを手にし、細身といえばすでに立ち上がり剣を抜いている。目の前のテーブルを蹴り上げて、そこから戦闘開始だ。懐中時計だけは救いたいなと、お頭は思う。



「いい鎧着てるじゃねえか。冒険者か?」


 話を逸らしてみた。隙は多ければ多いほどいい。もちろん情報も。


「そうです。冒険者です。わかります!?」


 女は嬉しそうだ。表情がコロコロ変わるヤツだとお頭は悩む。どうにも殺し合いをするようなタイプに見えないのだ。


「素材はなんだ。トロルと、甲殻。ビートル系、か」


 女の着ている鎧は確実にオーダーメイドだ。そこらの武器屋にそんな寸法の鎧などあるはずがない。反射の少ない墨色に染められ、要所には甲殻モンスターの素材が使われている。地味で目立たないが、中々立派な革鎧だった。


「惜しいですねぇ。正解を言います。基本素材はキングトロル、甲殻部分はジャイアントヘルビートルです!」


「なっ!」


 キングトロルもジャイアントヘルビートルにしても、超高級素材だ。迷宮深層か氾濫のボスでもない限り、お目にかかることすらできないはず。

 それをそんな不格好な革鎧に使った? 王都の上流に家が建つぞ。


「もちろんウチのパーティで狩ったんですよ。自分で倒したモンスター素材で装備を整える。冒険者の醍醐味ですよね!」


 腕を組んでうんうんと頷く女に、お頭はもう同意できなかった。それは細身な男も一緒なのだろう、口を開けてバカな顔で固まっている。この女、嘘かホントかわからないが、全部がおかしい。



「そろそろ要件を聞かせてもらえるかな」


 細身の副官が会話に割り込んだ。アホな会話もここらが限界だった。


「消しに来ました」


「消す?」


 細身が訝しげな顔をする。意味はわからなくもない。だけどできるのか、この女に。いまだに護衛の気配はない。


「武器も持たずにかい。それとも暗器かな」


 お頭も同じ思いなのだろう。どでかいモンスターを倒したと吹くが、優秀な護衛がつけば不可能じゃない。


「わたしは素手で戦うんです」


「へえ、そりゃ凄いや」


 ダメだこいつと、お頭は判断した。頭の沸いた貴族様か大商家の娘が主役ごっこをやりたくて、後ろには護衛がどっさり、という展開しか想像できない。扉を壊したのもそいつらだろう。


「ほんと、みんな信じてくれないんですよね。だから」


 女は苦笑を浮かべて、右手のひらをテーブルに乗せた。


「ふっ」


 短く息を吹いた女の身体が一瞬ブレた。お頭も細身もそれくらいにしか見えなかった。

 ばがん! 音を立ててテーブルが砕け散る。割ったとか穴を開けたではない。粉々の木片と化したのだ。

 宙に浮かんだ懐中時計をパシリと掴み、女は満面の笑みを浮かべていた。完膚なきまでのドヤ顔だ。


「な、なにが起きた」


「『芳蕗フサフキ』」


 一転、女はキリっとした表情で言い放った。


「そしてわたしは『フキナ』。一子相伝の『芳蕗』。なぜか二番弟子」


 何故か名前までバラした。どうやら彼女はフキナというらしい。



「さあこれでわたしが戦えることはわかりましたね」


「ああ、わかったよ」


 お頭が苦笑した瞬間、脇にいた細身副官が踏み込んだ。そのまま剣を突き出す。加減も容赦もないその一突きは女を、いやフキナを貫いたかに見えた。


「さあ殺し合いだね」


 地べたに胡坐をかいて座ったフキナは獰猛に笑っていた。



「ほい」


 フキナは胡坐の姿勢からそのまま前転した。まるで置物を転がしたかのようだ。男二人はまったく反応できない。傭兵出身で対人戦闘については経験が多いが、こんな相手は初めてだった。それが仇となる。


 ブチンと何かが断ち切れるような音がした。


「ぐあっ!?」


 お頭が目にしたのは、フキナに足首を抱えられ倒れ伏す副官だった。苦悶の表情を浮かべているが、理屈がわからない。


「アキレス腱、えっと足首の腱を切っただけです」


 先ほどまでの笑みは何処へやら、冷めた目をしたフキナが立ち上がった。本当に表情がコロコロ変わる。

 そのまま副官のすぐ横に足を踏み込み、手のひらを押し込むように下に伸ばす。バキバキと肋骨が砕ける音がして、細身の男はそのまま動かなくなった。


「殺した、のか」


「ええ。即死だから痛くないと思います」


 絞り出すようなお頭の声に、ケロリとした顔でフキナが返した。

 ああ、こいつはホンモノだ。狂人のたぐいだ。怒りながら、笑いながら、それでもただ平然と現象として死をもたらす存在だ。



「うらあぁぁ!」


 だからといって粛々と死を受け入れるわけにはいかない。お頭は右手のハンドアックスを横薙ぎに、フキナの胴体を狙って振り回した。

 だが途中で重量が消失する。気が付いた時には彼の手に斧は残されていなかった。


「『音形おとかた』。習っておいてよかったあ。ありがとう文音さん」


「な、なな、なにが」


 フキナがなにか言ってるが、男はそれどころではない。なにが起きているのか全くわからない。


「腕を使って武器を弾き飛ばしただけですよ。ほら」


 フキナが上を向く。つられたお頭が上を見れば、天井に突き刺さったハンドアックスがあった。

 ワケがわからない。どうして横薙ぎの斧を弾いたら、天井に刺さる?

 その思考時間が致命傷だった。


 フキナは足で床を握りしめ、膝を回し、腰を切る。背骨を通して肩甲骨を押し出しながら大きく踏み込み、肩を内旋させた。

 気付いた時には、すでにフキナの背中は男の胸に半ば埋まっていた。肋骨と胸骨が同時に粉砕され、衝撃が内臓に到達したのを理解したとき、男は全てを諦めた。



「うしっ、完全勝利。悪いけど時計は貰っていきますね」


 ガッツポーズを取るフキナ。左手に持ったままだった懐中時計を懐におさめる。


「さてはて、目ぼしい物はっと」


 次にフキナがはじめたのは家探しだった。盗人の獲物は洗いざらいといった感じか。


「質のいい武器は無いなあ。食べ物も嵩張るし、お、金貨金貨。そうそう、ヤスさんに言われてたっけ」


 部屋の一角に鎮座していた木箱には、金貨やら銀貨が無造作に放り込まれていた。フキナはそれを背中のバックパックに詰め替える。冒険者用の頑丈なヤツだ。


「おっと、こっちの始末もだね」


 金を移し終わったところで死体のことを思い出した。

 こちらの片づけ方は事前に決めてある。フキナはふたつの荷物をずりずりと引きずって外に出た。それから小屋に戻ってテーブルの破片や箱なんかの木材を持ち出しては、火葬する準備を進める。叩き割る必要はあるが、ぶっ倒した扉も良い材料だ。

 最後に腰にぶら下げていた革袋から油をぶっかけて、フキナは念じた。


「『ファイヤ・ボール』」


 油を着火させたのは魔法だった。火種もクソもない。あっという間に簡易キャンプファイヤは燃え上がった。なまじ火力があるため燃え尽きるのも早いだろう。

 フキナは炎を見ながら手を合わせた。習俗に詳しい人間が見れば、東方の様式と言ったかもしれない。



「遅くなったなあ。こりゃ街壁を乗り越えるしかないね」


 炎が弱まり延焼の恐れが無さそうなのを確認してから、フキナは森の中を走り出す。目指すは王都ヴァルファンだ。

 懐の時計は1時を過ぎていた。



 ◇◇◇



 時間は遡る。


「20時か。始めるぜ」


「ん」


 少女に話しかけたのはしょぼくれた男、ヤスだった。

 3メートル四方ほどの小さな地下室、木製の扉が正反対に二つあるだけで他にはなにも無い。そこにいるのはヤスと、黒髪を腰まで伸ばした10歳くらいの女の子だけ。目は閉じられている。なにやら犯罪臭がするが、二人にやましいところはない。


「どうだ?」


「とっくに」


 砕けた口調のヤスと、口数の少ない少女の会話はなんともわかりにくい。それでもヤスは少女の意思を汲み取った。


「よっしゃ。『ヒトミ』、やっちまえぃ」


「ん」


 ヒトミの目が開く。そこに輝く金の瞳は『この世界』でもかなり珍しい。その瞳に映るモノとは。



「バケモノだあぁぁ!」


「誰か、誰かぁ」


 王都ヴァルファンの古城壁のすぐ近く、貴族街にあるシェガルト男爵邸は大混乱に陥っていた。

 背丈が2メートルを超えるだろう巨大な鎧どもが邸内を闊歩しているのだ。館の人間を斬殺しながら。

 漆黒のプレートアーマーを纏う巨人たちは肌を一切露出していない。ただ目元のスリットから金色の光が漏れるのみだ。果たして左目だけのソレは眼光なのか。


「閣下ぁ!」


「どうなっている! どうなっておるのだ!」


 執務室に籠って震えていたシェガルト男爵が、飛び込んできた私兵にわめき散らした。


「鎧は8体確認されております。それと……」


「どうした、早く言え!」


「それが、外への扉が開きません。窓を破ろうとしたのですが、それも」


「出られないということかあ!」


 男爵の顔色が赤黒くなった。元々自分の思い通りにならなければ、癇癪を起すたちなのだ。

 執務机の上にあった書類を私兵に投げつける。顔を伏せた私兵は思わずため息をつきそうになった。安い給金でコレだ。貧乏くじを引いた。死にたくないなあ。


「ですが、ですが朗報もございます。私兵の全てが邸内におります」


「倒せるのか!?」


「それは……」


 彼とてわかっていた。無理ではと。


「ええいもういい。貴様も行け! とっとと行け!」


 私兵は黙って部屋を出た。背後ではガチャガチャと鍵をかける音がする。妻子まで放り出してそれか。ああ、死にたくないなあ。



「執事のおっさんも、ついでに腰巾着士爵様もヤラれちまったか」


 2階に到着した私兵が見下ろしたのは血みどろのロビーだった。吹き抜けになったそこがどうやら主戦場らしく、5体の鎧が暴れまわっている。いつ階段を登ってここまできてもおかしくない。私兵に震えが走った。


「うらあああああ!」


「アホか」


 自棄になったか一人の兵が鎧のバケモノに剣を叩きつけた。死んだな、アイツ。

 そして弾き飛ばされた。当たり前の光景だった。


「ん?」


 鎧どもは2メートル近い大剣を持っている。そして実際振るっている。死んだ執事などは下半身が消えているような有様だ。


「なんでアイツ、死んでない?」


 死についての疑問だったからこそ、私兵は自分の死から離れられたのかもしれない。視界が開けたような気分になって、あたりを見渡した。そこで彼は、死がまだら模様であることに気付く。


「選り好みしてやがるのか?」


 では死んでしまった連中はといえば、不謹慎なことに、俗に言ういけ好かない連中ばかりだった。

 やれ男爵の血縁だの、勤めて長いだの、取り上げてもらっただの、自慢話ばかりの連中だ。あんなのに優遇されてなにが嬉しいのか。


 ここで私兵がもっと掘り下げていれば、答えに近づいたのかもしれない。だが叶わなかった。鎧のバケモノがこちらを向き、金の目線がひときわ強く輝いた瞬間、彼は意識を失ったから。



「31。終わり」


「ごくろーさん。証拠は?」


「回収ずみ」


「じゃ、最後に男爵閣下だな。行ってくらぁ。執務室の鍵頼む」


「ん」


 ヒトミの短い返事を背に、ヤスは地下室の扉を開けた。



 ◇◇◇



「なぜだなぜだなぜだ」


 男爵は執務室の片隅にうずくまり、疑問の言葉を繰り返していた。現実逃避以外のなにものでもない。


「そりゃ、あくどいことをしたからでしょうや」


 誰もいないはずの部屋にその男はいた。

 身長こそ普通だが、痩せぎすで猫背、茶色の髪をボサボサにして、見苦しい無精ひげが男爵の気に障る。服装はそこらの平民が着ているものと変わらない。冴えない中年だった。それもまた男爵をいらだたせる。


「何者だ? いや、誰でもかまわん、戦ってこい!」


 冷静さをとっくに失った男爵は鍵をかけたはずの部屋にどうしてその男、ヤスがいるのか考えが及ばなかった。


「ごめんですねぇ。あんなのオレッチじゃあ、ひとたまりもない」


「貴様ぁ!」


 この館で男爵の命令に逆らう者などいない。仮にいたとすれば追い出されて当然だ。だがヤスは会話を続けた。



「盗賊紛いを雇って小銭稼ぎ、他にもちょろちょろやってたみたいですねぇ」


「だからどうした!」


 もはや男爵は否定すらしない。


「まあそういうことやる貴族様、結構いるんですがね。恨まれてますぜ、あんたがた」


「平民ごときがっ!」


「そうでさぁ。平民たちはあんたが悪さをしてるって知らねえ。だから恨みの晴らし方もわからねえ。だけどねぇ、オレッチは知っちまったんだ。まあ調べたんですがね」


「うわあああ!」


 男爵がヤスに殴りかかる。小太りの中年が、痩せた中年に襲い掛かる汚い絵面だった。


 ぱあん!


 軽い炸裂音の後、男爵は崩れ落ちた。額の穴から血が流れている。


「死んだのは調べた範囲で42だ。親類や関係者まで含めたらどれくらいだか。弾一個で死ねたのは幸運だと、オレッチは思うぜ」


 言い残してヤスは部屋を出た。



「待たせたな」


「ん」


 ボリボリと髪をかきながら、ヤスが地下室に戻ってきた。ヒトミはペタりと座り込んだままだ。


「さて坊さんたちのとこ、行ってくるわ」


「ん」


 同じ返事を繰り返すヒトミの指さした先には扉があった。三つめの扉だ。


「手際いいじゃねぇか。オレッチは行ってくるからヒトミは戻ってな。執務室にあった書類の回収頼むわ。それと、吸い忘れんなよ」


「ん。了解」



 ヤスはヒトミに背を向け、三番目の扉を潜った。行く先は南8番通用門詰所。そこでジョウカイとシラカシを出迎える。


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