第3話 血が煙る門





「いけ」


「おう、ありがとうよぉ。いっつも助かるぜぇ」


「余計なコト言うな。いいからいけ」


「へいへい」


 いかにもな風体をした男たちを乗せた馬車は街の外に去っていった。

 月が細い夜だ。道中で厄介を起こすなと門兵は、自分にとばっちりが来ないことを祈る。


「風が温くなってきたな。もう春か」


 王都の外に通じる街壁には各所に通用門があり、人、物、そして貴顕たる者が出入りをしている。

 ここは主に物資の出入りを管轄する、通称南8番通用門だ。ちなみに貴族たちの門はもっと雅な名が採用されている。


「まったくめんどくせえ」


「まあそう言うな、ご利益はあったろう」


「一回飲みにいけばそれで終わりさ。それにあんなの見せられちゃ」


「やめろ! それ以上はやめとけ」


「あ、ああ」


 この門は3か月ほど前から『抜け門』になっていた。金と紹介者次第で人でも物でも、後ろ暗い様々なブツが出入りしている。そうしたのは着任して間もない門兵長のなんたら士爵だ。

 最初こそ渋った門兵たちだが、実際に渡される心づけと数度の事件を見て諦めた。今ではお駄賃の数に愚痴を垂れる、立派なクズ門兵となり果てている。


「ほれ、戸締り用心だ」


「おう」


 もう21時を過ぎた。これ以降は通過する者の予定もない。飛び込みがあった場合は要相談ということだ。



「こんばんは」


 その男が門兵たちの前に現れたのは、ちょうど閂を掛け終わったその時だった。

 色素の薄い肌と柔らかな碧眼はこの国ではありきたりだ。典型的なヴァール人だろう。驚くべきはその体躯だった。190センチを超えた長身と、それに見合うどころか負けていない筋肉質の身体が印象的だ。

 それでも一番の特徴はその男の頭部だった。まだ30にもなっていないだろうに、髪が完全に失われ、輝いていた。


「こんばんは」


 かがり火に照らされながら、男は繰り返した。


「あ、ああ、どうしたんすかい、こんな時間に」


 体格と風貌に威圧されていた門兵が問い返した。微妙に敬語なのは相手の服装が理由だ。

 体つきに似合わない優しげな表情をした男は、僧服を纏っていた。首からグニルダの印をぶら下げ、袖の広がった黒の長衣は見間違えようもない。


「ちょっとご相談がありまして。できれば門を」


 低く優しげな声だった。ただそこに少々の焦りが感じられる。


「そりゃまた大変ですなあ。ココではなんですし詰所で」


 さっき通っていった連中は、上に伝手があったので金にならなかった。思わぬ臨時収入の予感に門兵はほくそ笑む。


「はあ」


 わかっているのかそうではないのか、僧侶は踵を返した門兵の後に素直に従った。門兵の同僚2名も僧侶の後ろを固めている。

 門を見張っていた3人全員が詰所に入ってしまうことの意味は彼らにもわかっていたはずだ。だがそれ以上に駄賃を誤魔化される方を嫌ったのだ。見事なまでの堕落っぷりだった。



「それでご用件はなんですかい?」


 詰所にはさらに3人の門兵がいた。僧侶も併せて7名。狭いというほどでもないが、少々むさ苦しい。

 僧侶は入ってきた扉の前につったったままだ。そして言った。


「手早く終わらせましょう」


「そうだな、って、おまっ、なにを!?」


 男をここまで案内した夜番のリーダー格は思わず叫んだ。

 いつの間に握ったのか、僧侶の両手には棒のような物があった。黒々とした艶を放つ50センチほどの鈍器は、先端にちょっとした飾り付けがなされている。俗に言うメイス。


「バールのような鈍器です」


 多分それなりの重量物であろうソレを、小枝でも持つように軽々とぶら下げ、その男は言った。


「仲間にはウケるんですけどね」


 それは僧侶が初めて見せた苦笑だった。



「ま、待て! 待ってくれ! 頼むっ」


 詰所内はすでに血まみれだった。壁に天井にテーブルに椅子に、砕けた何かがへばりついている。門兵5人分の頭部だった痕跡だ。

 最後に残された一人が尻もちをつきながら必死に叫ぶ。


「つ、妻と娘がいる、いるんだ! 誰にもアンタのことは言わねえ。見逃してくれっ!」


「ほう? それはそれは」


「な、な、頼むよ!」


 門兵は両手を胸の前で交差させて頭を下げた。グニルダ教における神への祈りだ。彼なりに必死に空気を読んだのだろう。


「……12日前です。あなたは馬車を送り出しましたね。近くの村へ向かう行商です。若いご夫婦が乗っていました」


「なっ!?」


「その馬車が、ご夫婦がどうなるかを知っていて。それでいながら金を受け取って、口を閉じた」


「……」


 僧侶が静かに語り出した物語。門兵は身に覚えがあった。それどころか今でも心の傷として残っている。


「そのご夫婦は予定通り亡くなりました。街に残されたのは8歳の娘さんと、祖母だけでした」


「や、やめてくれっ!」


「おばあさんはご病気でした。心労かどうかはわかりませんが、事件を知った数日後に亡くなったそうですよ」


「頼む、頼むから」


「娘さんも体調を崩してしまいました。だけどご安心ください。彼女は教会で引き取り、無事ですから」


「そ、そう、かい」


 僧侶は笑っている。話の流れとその笑顔に、門兵は思わず引きつった笑いを返してしまった。


「それでこちらなのですが」


 いつの間にか右手のメイスが消えて、僧侶は空いた手を開いた。ヴァルス銅貨が数枚載せられていた。賤貨も混じっているが10枚は無いだろう。

 王都でなら中流層で食事が2回できるかどうか。堅い黒パンでなんとか3日分か。


「熱で苦しんだ娘さんから預かったものです」


「あ、ああ」


 門兵は悟ってしまった。目の前の男は今、僧ではない。恨みを肩にかついだ死神だ。

 だから、目をつむった。



「なむあみだぶつ」


 男はそう呟き、頭部の消えた6つの死体をそのままに、詰所を後にした。



 ◇◇◇



「あいつら、チクったりしてねえだろうな」


「だいじょうぶだ。あそこは坊ちゃん士爵が仕切ってるからなぁ」


 8番門を通過して30分ほど、いかにもガラの悪い男たちを乗せた馬車は細い道を通っていた。主街道から外れているため、道幅は馬車がすれ違えないくらいだ。暗い夜道を松明で照らしながらゆっくり進んでいく。

 今のところは順調だ。もう少しで森に入る。事情を知る御者は少しだけ気を緩めた。


 そんな空気を読んだかのように、ひとつ、人影が現れた。

 松明の灯りが通るすれすれの距離だ。御者は慌てて馬車を止めた。



「なんでえ、どうした」


「人だ」


 急停止した馬車に乗っていた男たちが文句をたれる。それに対し御者は一言だけを返した。


「人だあ? こんな時間にこんなトコでか」


 つい5分くらい前に小さな農村を抜けたばかりだ。この先にあるのは森と山と、そして彼らのアジトくらいしかない。そんなところに人がいる。


「こんばんは」


 ぽつりとその人影が呟いた。

 低めではあるが、間違いなく女性の声だった。がぜん馬車の男たちは色めきたつ。こんな夜道で思わぬ拾い物だ。どれ、どんな器量か見てやろう。


「まて、確認してからだ」


 比較的冷静さを保っていた御者が皆を制した。状況が怪しすぎる。

 こんな所に出るとは思えないが、人型モンスターの可能性だってあるのだ。


「わたしは人だぞ」


「そうやって人をたぶらかすゴーストの話も聞くもんでな」


 夜であれば尚更だ。

 だがそれを聞いても女は近づいてくる。歩みは自然だ。人の動きとしか思えない。


「もう見えるだろう?」



「ああ、どう見ても人だな」


 どうもなにも、それは人の女性だった。美しいと形容するしかない程の。

 身長は少々大きめの170と少しくらい。綺麗な白肌と背中の中頃まで伸ばされた赤い髪が夜に映える。なにより紅色をした瞳が勝気な容姿をこれでもかと際立てている。年の頃は20代の前半か。

 奇妙なのはその服装くらいだ。濃紺色の引き締まったスカートは膝下までしかなく、その下には黒革のブーツをはいていた。上半身は白いシャツの上からスカートと同色のジャケットを着こんでいる。これがズボンで男なら中央の文官と思ったかもしれない。


「おいおい、妙な格好してるけど、大当たりじゃねえか」


 もし『日本人』がこの場にいたら思うだろう。どこのコスプレ秘書だと。


「この姿は気にするな。宮殿とは関係ない」


 思うところがあるのか、女は念を押した。そして右手を左腰に添えて再び歩きだす。

 彼女はそのまま真っすぐに歩みを止めず、男たちの間を素通りしてしまった。そんな動作があまりに自然で当たり前のように感じてしまい、女の行動を誰も咎めることができなかった。


「剣?」


 2頭の馬の前で歩みを止めた女を見て、男たちがやっと気づいた。右手を添えた左腰に何かがある。黒く少々曲がった棒。強いて言えば、剣の鞘とも思える。


「木刀だ」


 聞かれてもいないのにそう答えた女は、木刀とやらを一閃した。実際はふた振りしたソレは、馬の頭を軽く叩き昏倒させた。馬はその場で崩れ落ち、馬車が傾く。


「銘は『朱殷しゅあん』」


 そう言い切った女はどこか満足げであった。



「囲め! ただの女じゃねえ」


 この場のリーダー、御者が叫ぶ。

 あの女、どこから剣を出した? 違う。最初っから持っていやがった。傭兵あがりの御者は聞いたことがあった。細身の剣を使う者の中には、直前まで剣を隠しきる技を持ってるヤツもいる。


「なのに堂々と見せびらかしやがって」


「可愛いだろう、美しいだろう」


 そう言いながらも女の表情は変わっていない。8人もの荒くれ者に敵対しながらも。


「武器抜けぇ。手練れだと思ってかかれ!」


 御者が叫ぶ。男たちはまだ訝しそうだがリーダーの言うことだ、大人しく従った。これでも全員が冒険者や傭兵経験者なのだ。農民どもとは訳が違う。

 馬車を1面として、残り3方向からじりじりと間合いを詰めていく。


「ふむ、中々戦い慣れている。いいな。それが8体」


 女の物言いに御者の感性が反応した。アレはこっちを人だと思っていない?


「1体」


 次の瞬間、御者の右手側にいた男の腕が飛んだ。


「が、あああぁぁぁ!?」


 数瞬後、斬られたと気づいた男が絶叫した。肩口からは血が噴き出している。すぐに止血しなければ助からない。

 ここからアジトまでの時間を考える。目の前にいる女が、今すぐの逃走を許してくれるとも思えない。御者は諦めた。ならばやることは決まっている。そこの女を殺す。



「距離をとれ。その女は踏み込んで斬っただけだ。ただ、間合いが広い!」


 そうだ。アレは魔法を使っていない。異常な速さで飛び込み、剣を振るって飛び退いただけだ。ただそれだけの行為が常軌を逸しているだけ。

 御者はゆっくりと倒れ伏した男に近づいた。傷口を確かめる。


「斬られたというより、捻じ切られた、だな」


「木刀だからな」


 律儀に女が答えた。


「鞘のままかと思ったが、そのものが武器か」


 よく見れば女の得物からは血がしたたり落ちていた。ヤツはあの棒みたいな武器で、文字通り『叩き斬った』んだ。

 少々湾曲したそれの長さはおおよそ1メートル。形状は西方にある片刃の曲刀に似ている。


「随分と無骨なナリだ」


「そこがいい」


「なにで出来ているんだ。鉄だと重そうだ」


「白樫だ」


「木製か」


「ああ、堅い」


 御者が問えば、女はぽんぽんと返す。そのやりとりが、御者には怖い。情報を出してもまるで問題ない相手だと言われているようなものだ。つまりこいつは、一人も逃がす気が無い。



「2体」


 今度は左手にいた男の両脚が吹き飛んだ。だめだ、あれは助からない。

 それ以上に御者を焦らせたのは、女の動きを追えなかったという事実だ。あれだけ距離があったのに、見えたのは斬り終わった姿勢から自然体に戻るところだけ。それとて消すことができるんじゃないか。


「逃げっ」


「3体」


 女から一番遠い位置にいたはずの男が、胴体を失っていた。いや、胴を横殴りに斬られたのだ。

 内臓をまき散らしながら上半身と下半身が別々に落下した。


「勝てない! 逃げろ。バラバラに逃げろ!」


「4体」


 御者は叫びながら自分も逃げ出すが、背後から声は続く。まるで皿の枚数でも数えているようだった。



「7体」


 その声が聞こえた時、御者は逃走を諦めた。背後にいたはずの女が目の前に立っていたから。だらりと木刀をぶら下げて、血の色をした瞳でこちらを見ていたから。


「8体」


 御者が必死に振り上げた剣ごと、身体は斜めに両断された。

 泣き言も恨み言も言う間もなく御者は即死した。辺りの地面は血にまみれ、空気までもが血の色に染まったかのようだ。



「持って帰るのが面倒だな」


 つまらなそうな顔で女は死体を馬車に運び始めた。



 ◇◇◇



「待たせたか」


「うんにゃ、かまわねぇよ」


 22時をとっくに過ぎたというのに、南8番通用門は開け放たれていた。

 あの後死体を全て馬車に乗せた女は、目を覚ました馬を使いここに来たわけだ。死体と馬車にしてみれば戻ってきたともいえる。


 門の前で待っていたのは、痩せぎすでボサボサの髪と無精ひげが目立つ貧相な、多分40絡みの男だった。それともう一人、長身とそれに見合った幅をもつ黒衣で禿頭の僧侶もそこにいた。こちらは相変わらずにこやかにほほ笑んでいる。


「『階段』は?」


「詰所の中だぜ。ほれ、馬車を寄せてくれ」


 無精ひげの男が女を急かす。


「『人避けのスクロール』がもう少しです。1時間は持たないでしょう」


 そう言う僧侶が手にしていたのは、半分が焦げた羊皮紙だった。表面には複雑な文様が描かれ、まだ無事な部分には何か所か緑色の光が灯っている。魔道具と呼ばれるものの一種だ。


「うむ。ジョウカイ、手伝ってくれ」


「わかりました」


 女に言われた僧侶改め『ジョウカイ』は荷台から死体を引きずり出し、それを担いで詰所に向かった。



「オレッチはいいのかよ」


「ヤスに運べるのか?」


「手足くらいならなぁ」


「なら、頼む」


『ヤス』と呼ばれた貧相な男も動き出す。手を1本、足を2本抱えて、ヤスは言った。


「なぁシラカシ。今回はどうだった?」


「変わらん。剣の頂は遠いな」


「そか、辿り着けるといいな」


「ああ」


『シラカシ』は馬車を動かし、門をくぐった。



 2時間後、巡回していた衛兵が血まみれの馬車と、鎧や武器が散乱している無人の詰所を見つけ、王都は騒然となった。同時に衛兵たちは思う。またかよ、と。


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