第30話

 渡船場を訪れたミレイとモーレスが、コーエン夫妻の住居を調べていた。


「モーレス、何かあったかい?」

「いや、そっちは?」


「うーん、特に変わったものはないんだけどねぇ……」

 ミレイは含みを持たせるように言う。


「どうした?」

「何て言うのか、こう……違和感があるんだよ」


「違和感? こざっぱりとして良い部屋だと思うが」

 言いながらマーカスは、壁に掛けられた絵画の額の位置を直した。


「そうなのさ、やけに片付いてるっていうか……こう、生活感を感じないのさ」

「そうか?」


「ほら、見てみな。テーブルにある食べ残しのパスタ」

「それがどうかしたのか?」


「パスタは減ってる」

「はは、そりゃそうだろ」


「よーく、見な」

 ミレイは腕組みをしたまま、パスタの盛られた皿を見下ろしている。


「え? んー……なんだ、まったくわからんが……」

「ったく、あんた、良くそんなのでアタシに大きな口叩いてたもんだね」


「あー、わかったよ、悪かったから。で、何だってんだ?」

「フォークだよ、フォークを見な」


「ん? あ……」

「料理の方は減ってるってのに、なんでフォークが汚れていないのさ」


 モーレスは口元を片手で覆うようにして無精髭を撫でた。


「おいおい……誰かに連れ去られたのか、それとも……」

「ああ、良くないことが起きてるよ。恐らくコーエン夫妻は手遅れだね……」


「チッ……いったい、何だってんだ」

「問題は犯人がまだオルディナの町にいるってことさ」


「クソッ! 何か手がかりはねぇのか⁉ 見つけたらぶん殴ってやるのによぉ!」

 憤り、壁を殴るモーレス。


「よしな! 騒いだってどうにもならないよ。それより、犯人の目的は何だろうね……」

 部屋の中を歩きながら、ミレイが言うと、


「大方、気が触れた野郎の仕業さ、決まってる」とモーレスが投げやりに返した。

「そうさねぇ、それならまだ、諦めがつくかも知れないね……」


 ミレイが呟くように言った、その時――。

 家のドアを誰かがノックする音が聞こえた。


 二人の動きが止まる。

 ミレイは手ぬぐいを拳に巻き付け、モーレスに扉を開けに行くよう目で合図を送った。


 小さく頷いた後、モーレスはわざと大声を出して扉に向かった。


「誰だー? いまは取り込み中なんだが――」


 扉を開けると、黒い大きな鍔のある帽子を被った祭司が立っていた。


「えっと……祭司様?」


 祭司は笑みを浮かべたまま、帽子を取った。


「こんにちは、私は大聖堂の祭司を務めております、ミハイル・ウォーカーと申します。渡し船を利用しようとしたところ、誰もいらっしゃらないようでしたので、こちらにお邪魔してみたのですが……」

「ああ、えーと、残念ですが、船は当分休みなんですよ」


 扉の死角にはミレイが息を潜めている。


「そうですか……残念ですが仕方がありません」

「祭司さ……」


「――伏せな!」

 ミレイがモーレスを押しのけた。


 その瞬間、派手な音と共にミハイルの拳が壁にめり込んだ。


「なっ⁉ なにしやがる!」

「逃げるよ!」


 ミレイがモーレスの襟首を掴み、部屋の反対側にある窓に向かって走った。


「ちょ……ま、待て待て」

「いいから来な! アレとはまともに戦っても勝ち目はないよ!」


 窓硝子に体当たりをして外に転がり出る。


「走りな!」


 ミレイの背中をモーレスが必死に追いかける。

 だが、すぐ先にある茂みから、いつの間にか回り込んだミハイルが姿を現した。


「申し訳ありません。残念ですが、このまま帰すわけにはいかないのです……」


 黒縁眼鏡の位置を気にしながら、ミハイルは笑みを浮かべた。


「クッ……こりゃマズいね」

「おいミレイ、あいつは何なんだ?」

 モーレスが小声で訊ねる。


「フンッ……加護持ちさ」

「加護持ち⁉」


「わたしにゃわかるのさ、戦争で散々見てきたからねぇ……」

「じょ、上等だ……やってやろうじゃねぇか」


 モーレスは拳を握り、構えた。


「いいかい、あいつらは特別な力を持ってる、パッとしないものから、化け物みたいな力まで、それこそピンきりさ」

「ハッ、じゃあ、あいつがパッとしないことを祈ろうぜ!」


 モーレスが飛び出し、ミハイルに向かって殴りかかった。


「この馬鹿!」


 慌てたミレイがフォローに回る。

 モーレスの拳がミハイルの頬を打ち抜こうとした瞬間、ミハイルの瞳が紫色に輝いた。


『――戒めの楔――』


「がっ――⁉」

「くっ――な、何を……」


 モーレスとミレイはその場で固まっていた。

 まるで体が鉄にでもなったように、指一本動かすことができなかった。


「なるほどなるほど、あなたは加護の存在をご存じでしたか。今はもう随分と珍しくなりましたからねぇ……」


 ミハイルはゆっくりとミレイの髪に触れた。


「さ……さわ……るな……」

「ほほぅ、驚いた。まだ言葉が出せるのですねぇ! 素晴らしい! あなたのような方を浄化するのは惜しいですが……これも私に課せられた使命、悪く思わないでいただきたい」

「ミ……レイ……」


 モーレスから声が漏れる。

 ミハイルは驚いたように目を大きく開き、


「おや、あなたもですか……これは少し興味が湧いてきましたねぇ。どうでしょう、少し話をしませんか?」と二人を交互に見た。

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