第29話

「もうすっかり冬だなぁ……うぅっ寒い寒い!」


 上着を羽織って外のポストを見に行くと、珍しく号外の新聞がささっていた。

 家に持ち帰り、朝食のパンを囓りながら新聞に目を通していると、マイカがスープを運んで来た。


「はい、スープです」

「うん、ありがとう……」


「新聞ですか?」

「ああ、珍しく号外が入ってて……えっ⁉」


 記事に書かれた名前を見て、サッと血の気が引いた。


「どうしたんですか⁉」と、マイカが顔を近づける。

「ヘ、ヘンリーさんが……」


「え……」


 新聞を覗き込んだマイカがはっと息を呑む。

 見出しには、『老舗古書店経営者アーミティッジ・ヘンリー氏、遺体で発見される――』と、書かれていた。


「シチリ、シチリ! しっかりしてください!」

 マイカに体を揺すられ、ハッと我に返る。


「あ……ご、ごめん、頭の中が真っ白になっちゃって……」

「当然です、親しい人が大変なことになっているんですから平気なわけがありません」

 珍しく真剣な口調のマイカ。


「う、うん……」

「だからこそ、気をしっかり持たないと」


「そうだね、うん、その通りだ」


 マイカが僕の手を握った。


「大丈夫、シチリには私がついてます」


 僕はそっと手を握り返し、自分の額にマイカの手を当てた。

 マイカが側にいる。

 それだけで、不思議と気持ちが落ち着いてきた。


「……ありがとう」


 マイカはコクンと頷き、

「一体、何があったんでしょうか」と呟く。


「記事には事故死とあるけど……何かが引っかかる。作業はやめて、今日はヘンリーさんのところに行ってみようと思う」

「私も行きます」


 力のこもったマイカの言葉に、僕は黙って頷いた。



    *



 ヘンリーさんの店の前に着くと、客らしき人達が代わる代わる店先に花を供えていた。

 頑固者で通っていたけれど、皆に愛されていたのが痛いほど伝わってくる。


 マイカが僕の服の袖をきゅっと握り絞めた。

 その手にそっと手を置き、ヘンリーさんを偲ぶ皆の姿を眺める。


 ふと見ると、店の硝子の上半分だけに拭き跡が付いていた。

 掃除の途中で面倒くさくなったのかな……。


 ムスッとした顔で掃除をやめるヘンリーさんを想像すると、思わず笑いそうになると同時に涙が溢れそうになった。


「シチリ……」

「うん、哀しいのは当たり前だよね。でも、やらなきゃ――」


 マイカが頷く。

 僕達は店の裏手に回ってみた。


 すると、自警団らしき男の人達が集まっていた。

 リーダーらしき人に声を掛ける。


「すみません、ちょっといいですか?」

「ん? あぁ、お前は確か……えっと、なんだっけか……」


「ほら、オネットの」と、別の男が横から言う。

「ああ、そうだそうだ! オネットのせがれだよな?」


「はい、シチリといいます。彼女は――」

 マイカに手を向けると、

「初めまして、マイカです。よろしくお願いします」と、マイカが会釈をした。


 男達はマイカに釘付けになっていたが、ハッと我に返った男が話を続ける。


「俺は自警団のバートンだ、よろしく頼む」

「こちらこそ」と、握手を交わす。


「お前、爺さんに会いに来たのか?」

「はい、新聞を見て……あの、記事には事故死だとありましたが、詳しい状況を教えてもらえませんか?」


「……まぁ、いいだろう」


 そう言って、バートンが他の男達に向かって顎で指示を出すと、男達はぞろぞろとどこかへ行ってしまった。


「溺死だった。遺体は状態が悪くてな……もう埋葬した。発見されたのは一昨日の早朝だ。渡船場に行った奴が河に浮いているのを見つけたらしい」

「渡船場……」


「ん? 心当たりでもあるのか?」

「はい、この間、ヘンリーさんが貧血で倒れたんです。たしか……その時に介抱してくれていたご夫婦が、渡船場を営んでいるとおっしゃってました」


「コーエン夫妻か……」

「ヘンリーさんはコーエン夫妻にお礼を言いに行ったんだと思います」


「……むぅ」

 バートンは眉間に皺を寄せ、頭を掻きながら唸る。


「どうかしましたか?」

「あぁ、いや……。仕方ない、他言は無用だぞ?」


「はい、もちろん」

「実はな、コーエン夫妻の行方も捜索中なんだ」


「ええっ⁉」

 思わず声が漏れる。


「いったい、何が……」と、不安そうなマイカ。


 バートンさんは顔を振り、

「わからん、何の手がかりもない。俺達も困っててな。ったく、ミレイとモーレスにも協力を頼んであるが……」と、肩を竦めた。


「渡船場に行ってみても大丈夫でしょうか?」


「よせよせ、向こうにはミレイ達が行っている。悪いことは言わねぇから、あいつに任せておけ」

「ミレイさんが……」


「ああ、だから心配するな」

「……」


「爺さんの墓は共同墓地にある。時間があるなら見舞ってやれ」

「わかりました。ありがとうございます」


 僕はバートンさんに礼を言い、

「行こう、マイカ」とその場を後にした。



    *



 共同墓地は町の北側にあり、僕の両親もそこに眠っている。

 ふたりで緩やかな坂道を歩いて墓地に向かう。


「ミレイさんって雑貨店の……」

「うん、そうそう。本当かどうかは知らないけど、この町に来る前は傭兵をしていたって噂もあるんだ」


「えっ⁉ よ、傭兵……」

「どうだろうね、でも、たしかに猟師の人達と同じ雰囲気を感じる時があるかな」


 命のやり取りを自分の手で、何度も経験した者特有の空気感。

 恐らく、噂は本当なんだろう。


「でも、とても優しい方ですよね」

「うん」


 いくつもの墓標が見えてくる。


「菩提樹の東側……あ、あれだね」


 仮で作られた木の墓標の前に真新しい土が盛られていた。


「ヘンリーさん、退屈でしたか? マイカと遊びに来ました」


 盛り土の前にふたりで並んで立ち、互いの顔を見合わせた後、両膝を地面につく。

 そして、両手を組んで、僕達は祈りを捧げた。


「……ありがとうございました」


 マイカの囁く声が聞こえる。

 ヘンリーさんの死が、実感を伴いながら迫ってくる。

 まるで体全体から浸透してくるように……。


 ヘンリーさん、一体、何があったんですか。


 あなたには、もっと、もっとたくさん教えて欲しいことがあったのに……。


 薪の用意もしてあげたかった。


 マイカの手料理も食べて欲しかった。


 僕の家にも遊びに来て欲しかった。

 それなのに……。


 あの時、ヘンリーさんは礼を言わないとなって言っていた。

 だから、渡船場に行ったのはコーエン夫妻に会うためだろう。


 律儀なヘンリーさんのことだから、きっと色々手土産も持って行ったはずだ。


 なら、手土産はコーエン夫妻の家に?

 それとも河に流されたのか?


 どっちにしても、自ら死を選ぶ人じゃない。

 コーエン夫妻も行方不明ってことは……きっと何かがあったんだ。


「――シチリ」

「ん?」


「もしかして、シチリのお父様とお母様もここに?」

「ああ、うん。お墓はこの向こうにあるよ」


「ご、ご挨拶をしてもいいですか?」

「もちろんだよ。きっと喜ぶだろうな」


 マイカは急に髪や洋服を整え始めた。


「大丈夫でしょうか? おかしくないですか?」

「ふふふ、心配しなくても綺麗だよ。ほら、きっとヘンリーさんも笑ってるんじゃないかな?」


「うぅ……」

 マイカは恥ずかしそうにヘンリーさんの墓標をじとっと見つめた。


「じゃあ、ヘンリーさん、また来ますね」

「ヘンリーさん、あの本、読み終わったら感想をご報告に来ますね」


 別れを済ませ、僕はマイカと両親の墓に向かった。



「ここだよ」

 小さな石の墓標が並んでいる。


『オネット・カウフマン』

 "彼は猟師として多くの命を奪った。だが、薬師としてより多くの命を救った。オルディネの民はそれを知っている――"


『ローゼリア・カウフマン』

 "神よ、我が黄泉路を照らす役目はどうか彼女に―― オネット"


 マイカはしばらくの間、黙って墓標を見つめていた。

 そして、おもむろに口を開き、


「初めまして、お父様、お母様。マイカです」と頭を下げた。


 両手を組み、真剣に祈りを捧げてくれている。


 僕はその横顔を見つめていた。

 マイカが目を開け、僕に尋ねる。


「この碑文はどなたが書かれたのですか?」

「ああ、母のは父さんが、父さんのは町のみんなで決めたんだ」


「そうですか、お父様はとても慕われていたのですね」

「……そうだと嬉しいね」


 僕はしゃがんで、墓石の近くに生えていた雑草を抜いた。


「父さん、母さんに逢えたかな……」

「ええ、きっと逢えてます。たぶん、今頃はふたりでシチリの話をして盛り上がってるかもですね」


「僕の? うーん、それは何か恥ずかしいな……」

「ふふふ」


「でも、そうだといいな」

 ゆっくりと立ち上がり、手の砂を払う。


「行くんですよね、渡船場」

「え?」


「わかってます、シチリはそういう人だって」

 マイカが僕を見て微笑む。


「……マイカには敵わないな」


 苦笑いを浮かべると、

「お父様、お母様、また遊びに来ますね」とマイカが言った。


 二人で墓標に会釈をした後、その足で渡船場に向かう。

 坂道を下っている途中で、僕はマイカに言った。


「ありがとう、君と出会えて本当に良かった」

「そんな最後みたいに言わないでください」


「あ、ごめん……」

「シチリ、手を繋ぎませんか?」


「う、うん」


 マイカはぎゅっと僕の手を握り、

「こうすると、とっても穏やかで……優しい気持ちになります」と僕を見上げた。

「うん、知ってる。僕もだから」


 クスッとふたりで笑い合い、僕達は握り合った手を大きく振りながら、坂道を駆け下りた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る