第28話


    *



 陽が落ちていた。

 辺りは薄暗く、家を出るのが少し遅かったとヘンリーは空を見上げてため息をつく。


 ヘンリーは助けてもらった礼を言うため、街外れにある渡船場を訪れていた。

 市場で買った新鮮なフルーツと酒を携え、扉の前で一晩掛けて考えたお礼の言葉を反芻する。


「よし……」


 ノックをしようとした瞬間、中から話し声が聞こえてきた。

 先客かと思い、窓から中を覗くと、若い夫婦と向かい合って座る黒い長髪の男が目に入る。


 ヘンリーは、それが以前見た大聖堂の祭司だと気付いた。


「なぜ祭司様がこのような場所に……」


 盗み聞きをするつもりはなかったのだが、自然と窓際に近づき耳をそばだてていた。


『……これ以上は……』

『何も……』


 良く聞こえない。

 だが、何か交渉をしているようだった。


 その時、ふとテーブルの上に置かれたハーブや薬の瓶に目が留まる。


 ――あれはシチリの⁉


 黒髪の男がそれらを自分の鞄にしまい、鍔の広い黒い帽子を被った。


 ヘンリーは慌てて建物の影に身を隠した。

 自分でもなぜ隠れたのかわからない。


 だが、何か本能的に危険を感じたのだ。


『うわああああーーーーーーっ!!』

『きゃああーーーーーっ!!』


 突然、家の中から悲鳴が上がった。


「ひぃっ!」


 思わず荷物を地面に落とし、尻餅をついた。


 ――扉の開く音。

 とっさに壁に背を付け、息を潜める。


 バタンッと扉が閉まる。

 砂を踏みしめる足音が聞こえる。


 ゆっくりと遠ざかっていく足音に、少しホッとしたヘンリーは恐る恐る影から様子を伺った。

 誰もいない……。


「うぅっ……」


 立ち上がろうとすると足首が痛んだ。

 どうやら挫いてしまったらしい。


 痛みをこらえながら、壁に手をつきながら窓まで行き中を覗いた。


「た、大変だ……あ、あぁ……」


 またその場に尻餅をつく。

 四つん這いになりながら、ヘンリーはその場を離れようとした。


 が、その時――。


「おや、もうお帰りですか?」


 磨かれた黒い革靴が視界に入る。

 ゆっくりと目線をあげると、黒髪の祭司が張り付いた笑みを浮かべていた。



    *



 モーレスが店の外で薬草の仕分けをしていると、顔なじみの客が話しかけてきた。


「よぉ、儲かってるかい?」

「そんなわけねぇだろ? 見ての通りさ」


 咥え煙草でしゃがみ込んだモーレスが顔だけ振り返って答える。


「ははは。おっと、そうだ。聞いたか? マーカスが行方不明だとよ」

「……マーカスが?」


 煙草を捨て、モーレスが立ち上がる。


「ああ、何でも三日ほどステラママの店に来てないそうだ。ついに我らがマーカスもヤキが回ったのかねぇ、へへへ」

「……」


「じゃ、またな」

「ああ、次は何か買っていけよ」


「ははは、気が向いたらな」


 モーレスは客を見送ると、仕分け作業に戻った。

 だが、マーカスのことが気に掛かって仕事が手に付かない。


「チッ……」

 作業の手を止め、店の中に、

「ちょっと出る!」と声を掛けてから街中に向かった。



 ステラママの店に来たモーレスは、奥のテーブル席を覗いてみた。

 たしかにマーカスの姿がない。


「あら、珍しい。いらっしゃい、モーくん」

「ステラママ、いい加減モーくんはよしてくれよ……」

「いやぁん、だってぇ~モーくんはモーくんでしょ? もぅっ、何が不満なんだか」


 マーカスは眉を下げ、頭を掻いた。


「そ、それよりママ、マーカスは来てないのか?」

「そうなのよ、私も心配でねぇ……こんなに間を開けることなんてなかったから……」


「……何か変わった様子は?」

「いいえ、特に変わりはなかったわよ」


「そうか、ありがとうママ。また寄るよ」

「ちょっと、たまには何か食べて行きなさいよ」


「悪い、またちゃんと来るから」

「約束よ~」


 モーレスは言いようのない胸騒ぎを覚えていた。

 何かトラブルに巻き込まれた可能性もあるが、この町じゃマーカスは巻き込む方だ。


 あの男に喧嘩を売るような奴も思い当たらない。

 考えすぎか……。


「モーレス! 何しけた面してんだい!」

「ん? あぁ、ミレイか……どうだ調子は?」


 ミレイは腰に手を当て、

「ああ、絶好調さ。あの坊やがたくさん買っていってくれたからねぇ」と豪快に笑う。


「ったく、あんまりシチリをいじめるなよ?」

「フンッ、人聞きの悪いこと言わないどくれよ。ちゃーんと真っ当な商売してんだ」


「わかった、わかったよ」

 モーレスはまるで猛牛を宥めるように両手を向けた。


「しかし珍しいね、あんたがうろついてるなんてさ」

「ちょっと気になることがあってな……そうだ、マーカスを見なかったか?」


「いや、最近は見てないね……何かあったのかい?」

 ミレイが声のトーンを落とした。


「俺の取り越し苦労かも知れねぇが……マーカスが消えた」

「……それ、本当だろうね?」


「ああ、ステラママにも聞いたが、店にも顔を出してないそうだ」

「そいつは妙だねぇ……」


 ミレイは腕組みをして、眉間に皺を寄せた。


「ああ、ミレイの方でも、何か聞いたら教えてくれるか」

「わかった、調べとくよ……あんたも何かあったら言いな。なぁに、まだ腕は鈍っちゃいないからね」

 そう笑って、男顔負けの逞しい腕を叩く。


「おぅ、頼りにしてるぜ」


 モーレスは片手を上げ、自分の店に戻った。

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