第27話
*
オルディナにある小さな聖堂――。
普段は派遣された新人祭司や、監視役の聖祭司の借宿として使われている。
そんな聖堂をアマネセル大聖堂の司教が訪れるのは、至極稀なことだった。
「君がミハイル・ウォーカー上級聖祭司かね?」
「はい、お初にお目に掛かります、オルカン司教――」
ミハイルは帽子を胸に当て、恭しく礼を取った。
「それで、状況は?」
「疑わしきが一名、ですが……」
「ミハイル聖祭司、私に遠慮は無用だ」
オルカンの使命はただひとつ。
聖女、または聖女に関する疑わしきもの一切の浄化。
その成果に己の進退もかかっている。
常から慎重なオルカンでさえ、知らず知らずのうちに気負っているようだった。
「では、申し上げます。何かと便利で使っていた男がいるのですが……、その男の警戒心が強く、少し時間がかかりそうかと」
「……何者だ?」
「街の顔役のような男です」
「そうか、仕方あるまい」
オルカンは事もなげに答えた。
ミハイルは笑みを崩さない。
「仕方ない、と申しますと?」
「浄化という大義のためには仕方がないと言った。これはファレン大司教の意志でもある」
「本当によろしいので?」
「何も心配することはない、独断で大司教の名を口にはしない。君は
「は、畏まりました――」
ミハイルは頭を下げた後、踵を返して帽子を被った。
*
街外れにある寂れた酒場で、マーカスはひとりカウンターに座ってグラスを傾けていた。
そこに、黒い帽子を被ったミハイルがやってきた。
「お待たせしてしまいましたか?」
張り付いた笑みを浮かべたまま、ミハイルがマーカスに声を掛ける。
「いや、今来たところだ」
「それはよかった」
そう言って、ミハイルはマーカスの隣の席に座る。
マーカスが目配せをすると、店主はエプロンをはずして奥のテーブルに座って新聞を拡げた。
「ああ、薬の方は確かに受け取りました」
「おぅ、なら、さっさと対価を払ってくれ」
ミハイルは笑みを崩すことなく、カウンターの上に革袋を置き、すっとマーカスへ渡した。
中の金貨を確認したマーカスが、
「じゃ、また頼むぜ」と席を立とうとすると、ミハイルがその腕を掴んだ。
「な、なにしやがる! 離せ!」
マーカスは振りほどこうとするが、ビクともしない。
「そんなに急ぐこともないでしょう、少し話をしませんか?」
フッとミハイルの握った手の力が抜ける。
「さ、座ってください。あ、お酒が必要ですか?」
「フンッ……あんたの酒なんていらねぇよ。なんだ、回りくどいことしてねぇで、用件を言え」
「では、率直に。実は王都から新しい上役が来ましてね。それが、とてもせっかちな方でして……。私としては不本意なのですが、これも役目です、仕方がありません」
黒縁眼鏡を押さえながら、ため息交じりに小さく顔を振る。
「な、何を言って……」
次の瞬間、奥のテーブルの上に吹っ飛んだマーカスが落ちた。
店内に派手な音が響く。
狼狽えた店主が割れたテーブルと血まみれのマーカスを見て後ずさる。
「あ……あぁ……」
「怖がらなくても大丈夫、
笑みを浮かべたままのミハイルがゆっくりと店主に近づいてくる。
「うわ……わあぁぁぁあああ!!! く、来るなぁ!!」
「さぁ、浄化を始めましょう」
ミハイルの顔から笑みが消えた。
*
「どうですか、シチリ?」
くるっと振り返ったマイカは気絶しそうなほど可愛かった。
ゴシック調のドレスや、ゆったりとしたワンピース。
王都で流行っているというキャスケットなど、どれもマイカのためだけに作られたようだった。
「うん、すごく似合ってる」
「なんだいあんた、もうちょっと褒め方があんだろうに……いやぁ~、本当にマイカちゃんには何を着せても絵になるよ。ほら、これも着てみな」
ミレイさんに勧められ、マイカが少し眉を下げて笑う。
「あら、あんた細いわりに胸はあるのねぇ」
「ちょ⁉ ミレイさん!」
「なんだいシチリ、気になるのかい?」
ニタァっと含みのある笑みを向けてくる。
「ち、違いますよ!」
「あら、興味がないのかい、それはマイカちゃんも可哀想にねぇ……」
「え……」
「そりゃそうだろ、女なら自分の魅力に気付いてもらいたいってもんさぁ。ねぇ、マイカちゃん?」
「あ、えっと……その……」
マイカは真っ赤になって俯いている。
「もう、ミレイさん! からかわないでくださいよ!」
「あっはっは! いいねぇ、若いってのは。ほら、用事があるんだろう? 洋服は纏めておくから、帰りに寄ってきな」
ミレイさんが言うと、マイカが僕に小声で尋ねてきた。
「シチリ、その……お金は大丈夫なのですか?」
「ああ、うん、大丈夫」
「でも私、やっぱり……」
「大丈夫、これくらい平気だよ。じゃあ、ミレイさん、後で寄らせてもらいます」
「ああ、ゆっくり楽しんできな」
僕とマイカは小さく会釈をして、ミレイさんの店を後にした。
劇場に向かっていると、ぎゅっとマイカに手を掴まれた。
「どうかしたの?」
振り返ると、マイカがじっと僕を見ていた。
「シチリ、無理をしていませんか?」
「無理なんてしてないよ、さっきの洋服のこと?」
「それもありますけど……いつも私ばかりで……」
「そんなに気にしないで、僕が好きでやっていることだから」
「でも……」
「マイカの喜ぶ顔が見たいんだ」
「――わ、私だってシチリの喜ぶ顔が見たいんです!」
「マイカ……」
「あ、あわわ、えっと、変な意味ではなくてですね……これはそのぉ……」
「ありがとう」
「シチリ……」
「じゃあさ、ひとつお願いをしても……いいかな?」
マイカの顔がパッと明るくなった。
「もちろんです! 私にできることならなんでもっ!」
「劇場まででいいから、僕と……手を繋いでくれる?」
「へ?」
「や、やっぱ駄目かな? あはは、ごめんね、変なこと言っちゃって……」
その時、マイカが僕の手を取った。
「駄目なわけないです」
「マイカ……」
ほんのりと冷たくて、とってもやわらかい。
「行きましょう、シチリ」
不思議だった。
ただ、手を繋いでいるだけなのに、どうしてこんなにも心が弾むのだろう。
世界が色付くのだろう。
胸の奥があたたかくなるのだろう。
答えはすぐにわかった。
「うん、行こう」
僕達はしっかりと手を繋ぎ、劇場に向かった。
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