第20話


    *



 オルディナの街外れに、安い酒を出す酒場があった。

 客層は近場の店の店主やら、脛に傷のありそうな連中だったりと幅が広い。


 店内は、入ってすぐ正面に横長のカウンターがあり、その手前に丸テーブルが不規則に置かれている。お世辞にも綺麗とはいえない状態だが、客の誰ひとりとしてそれを気にする様子は無かった。


 強面の店主が、マーカスとミハイルの座るテーブルに飲み物を運んで来た。


「エールは?」

「おぉ、きたきた!」


 マーカスが嬉しそうに受け取る。

 店主はジロリとミハイルを睨んだ後、

「……水だ」と言って、グラスを乱暴にテーブルに置き、小さく顔を振りながら去って行った。


「乾杯でもするか?」

 マーカスが冗談っぽく尋ねると、ミハイルは糸のように目を細めた。


「貴方がしたいのなら、喜んで」

「……いや、遠慮しとくよ」


「では、本題に。薬の件ですが薬師は何と?」

「ああ、来年の夏市までには用意する。だが……、取引は全て俺を通すのが条件だ」


 ミハイルの眉が僅かに動いた。


「……そうですか。貴方に紹介料を払うことに問題はありません。ただ、薬師を紹介していただけると思っていましたので……」

「そうかい、お互い人生ってのは思うようにいかねぇな?」


 マーカスは半笑いでエールを呷る。


 だが、ミハイルは笑顔を崩すことなく、

「……わかりました。では、また来月に」と席を立った。

「ああ、来月に」


 ジョッキを掲げて、マーカスはミハイルを見送る。

 音も立てず店を出るミハイルの背中を見つめながら、マーカスはエールを飲み干した。



    *



 荷馬車を停め、ピウスを納屋に繋ぎ直して家に戻る。


「ただいまー」


 珍しくマイカが顔を出さないなと思いながら家に入ると、台所からマイカの声がした。


「お帰りなさ-い! すみません、ちょっといま……手が離せなくて!」

「ん?」


 何事かと台所に行くと、マイカがパタパタと慌ただしく料理をしている最中だった。


「だ、大丈夫? 何か手伝おうか?」

「あっ、じゃあ……悪いんですけどそっちの火加減を見てもらえますか?」

「うん、わかった」


 僕はテーブルにワインとつまみを置き、鍋の前に立った。


「ん~、良い匂い……」

「お野菜たっぷり入ってます、へへ」


「楽しみだなぁ、そっちは?」

 覗き込むと、フライパンには二枚の肉が乗せられていた。


「おっ、ステーキか、ワインと合うかも」

「わぁ、ちょうど良かったですね」


 じゅうじゅうと美味しそうな音を立てながら、肉が焼けていく。

 香ばしい匂いに、ぎゅるるるとお腹が鳴った。


「もうできますから、シチリは座っていてください」

「うん、ありがとう」


 僕はテーブルにワイングラスとつまみを並べて、マイカが来るのを待った。

 台所に立つマイカを眺めていると、何ともいえない充足感というか、満たされた気持ちになった。

 はぁ……本当にかわいいなぁ……。


「お待たせしましたー」


 テーブルに料理が出そろう。

 僕はマイカのグラスにワインを注いだ。


 グラスにルビー色のワインが注がれる様子を、マイカがじっと興味深そうに眺めている。


「綺麗な色ですねぇ……」

「あ、そういえばお酒は大丈夫?」


「どうなんでしょうか……? たぶん、初めて飲むと思いますけど……」

「じゃあ、お水も飲みながら、少しずつにしよう」


「はい、楽しみです。ふふ……」

「何に乾杯する?」


「そうですねぇ……では、シチリと出会えたことに」

「なら、僕はマイカと出会えたことに」


「それじゃあ、ふたりの出会いにしましょうか?」

「いいね」


 僕とマイカはグラスを持って、

「――ふたりの出会いに」と、乾杯をした。


 初めてのワインに口を付け、

「ん⁉ お、美味しいです!」とマイカが目を丸くした。

「良かった。あ、でも、ゆっくりね」

「はーい」


 僕は切り分けたステーキを頬張った。

 こ、これは……美味い!


 柔らかくて、噛むと旨味たっぷりの肉汁が溢れてくる。

 見るとマイカも美味しそうに目を細めていた。


「あ、そうだ。モーレスさんとアンナさんが……その、一緒に食事をしないかって、誘ってくれてるんだけど……どうかな?」


 さりげなく切り出してみると、マイカはきょとんとした顔で固まっている。


「……マイカ?」

「あ、えっと……私も、でしょうか?」


「もちろん、そのつもりなんだけど……あ、嫌だったらいいんだ、もし、マイカが大丈夫ならの話で……」

「私は大丈夫ですが、ご迷惑にならないでしょうか……それが心配です」

 シュンとなって俯く。


「め、迷惑だなんて! モーレスさん達もマイカに会いたがってるんだ。それに、マイカも町に行ってみたくない?」

「……町、ですか」

「そう、色んなお店があるよ? ほら、洋服もあるし、マイカの好きな本だってあるよ」


 パッとマイカの瞳が輝いたように見えた。


「……行ってもいいんでしょうか?」

「うん、じゃあ決まりだね」


 僕はマイカに向かってグラスを向け、もう一度乾杯をした。

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