第19話

 トリタニア湖から戻り、少しの間だけ、お互いに妙な空気感になってしまっていた。


 そりゃそうだよな、思い出しただけでも顔が熱くなる。

 我ながら、何て大胆なことをしちゃったんだか……。


「じゃ、じゃあ、行ってくるね」

「はい、晩ご飯作って待ってますね」


「ありがと、楽しみにしてる」

 僕は軽く手を挙げ、手綱を引いてピウスに合図を送った。


『ブルル……』


 ゆっくりと荷馬車が動きはじめ、すぐに手を振るマイカが小さくなった。



    *



 オルディネの町へ荷馬車を走らせる。

 向かい風に目を細めながら、僕はマントを体に引き寄せた。


 つい先日まで心地よかった風も、心なしか棘ばんできたようだ。

 冬はもう、すぐそこまで来ていた。


「なぁ、シチリ……お前、よっぽど良いことがあったんだろ?」


 僕を見たモーレスさんが、カウンターで頬杖を付きながらニヤニヤしている。


「え⁉ そ、そんなことは……」


 顔に出ていたのだろうか、いや、普通にしていたと思うんだけど……。


「くっくっく……本当にわかりやすい奴だな。女か?」

「ちっ……違いますっ!」


 慌てて否定しようとすると、アンナさんが奥から顔を出した。


「シチリ、いいから、さっさと連れておいで! どんな娘か確認しないと心配で仕方ないよ……まったく」

「そんな……」


 籠を抱えたアンナさんがカウンターに出て来た。


「いいかい?」と、投げるように籠を置き、

「あんたはもう一人前のつもりだろうけど、私からすればまだまだ子供なんだ。それに、変な女に騙された日には、オネットやローゼリアに何を言われるかわかったもんじゃないからねぇ」と、人差し指で僕の胸元をトントンと突きながら冗談っぽく言った。

「は、はあ……」


「ま、そういうことだ。シチリ、観念して連れて来い。一緒に飯でも食おう」

「……わかりました」



 店を出て、大きくため息をついた。


「はぁ、そうだよなぁ……」


 僕は空を仰ぎ見た。

 いつまでもマイカを閉じ込めておくわけにもいかない。


 少しずつ町にも慣れる必要があるし、僕以外の人とも面識があった方がいいのかも。

 でも、本当に大丈夫なんだろうか……あの銀髪じゃあ目立って仕方が無いもんなぁ。


 荷物を馬車の荷台に積んでいると、小さな男の子が駆け寄って来た。


「ねぇ、お兄ちゃん、シチリってひと?」

「え? そうだけど……」


「マーカスって人がステラママの店に来いって言ってたよ」

「マーカスさんが?」


「ぼく、言ったからね、じゃあバイバイ!」

「あっ! ちょっ……」

 少年は振り返りもせず、そのまま町の中へ駆けていった。



 ステラママの店を覗くと、いつものテラス席にマーカスさんの姿があった。

 僕の顔を見るなり、マーカスさんが笑顔で手を挙げる。


「よぉ!」

「……どうも」


「こっちこっち! まぁ、座れよ」

「あ、はい……」


 僕は向かいの席に座り、マーカスさんの言葉を待った。


 酒をグイッとあおった後、

「いやぁ~探してたんだぜ、シチリよぉ」と身を乗り出した。

「ど、どうかしましたか……?」


「ハハッ、そんなに怖がるなよ? 誰も取って食いやしねぇって」


 飄々として掴み所のない人だ。

 一見、優しそうにも見えるけど、決して油断してはいけない気もする。


「あの、何か僕に御用でも?」

「ん? 何だ、やけに急ぐじゃねぇか。用事でもあるのか?」


「あ、いえ……そういうわけでは」

「まあまあ、そう身構えるなよ、悪い話じゃねぇんだ。ほら、この前……お前にもらった薬な、あれ、正式に注文してぇのよ」


「本当ですか⁉」

 思わず身を乗り出してしまった。


「ああ、嘘なんて言わねぇさ。それより、まとまった数が必要になると思うんだが、大丈夫か?」

「数にもよりますけど……」


 そう答えると、マーカスさんは片手を広げて見せた。


「ああ、5個ですか。それでしたら問題無いですよ」

「くくく……違ぇよ。わざわざ、そんなしみったれた話を持ってくると思うか?」


「え……ご、50⁉ ですか……?」


 いくら材料に困ってないとはいえ、急に纏まった数を作るとなると厳しいかも知れない。

 50でも間に合うかどうか……。


「はっはっは! だよなぁ、それが普通だ。だがな、シチリ……」


 マーカスさんが酒をグラスに注ぎながら、片眉を上げて言った。


「――500だ」

「ご、500⁉ い、いや、無理ですよ、そんな数!」


「……ん、そうかぁ。そんなに手間なのか?」

「て、手間はいいとしても、冬も近いですから……まず、材料が揃わないです」


「そうか……そりゃまいったな」


 頭の後ろで両手を組み、マーカスさんは椅子の背に凭れながら空を見上げた。


「かなり太い客なんだが……。おっ、そうだ、分割ならどうだ?」

 前のめりになり、僕に顔を近づけてくる。


「それでしたら……来年の夏が終わるまでには、なんとか用意できますけど……」

「よし! 決まりだ!」


 マーカスさんは、パシンッと膝を叩いた。


「じゃあ、シチリ、次の夏市までに500用意してくれ。そうだな……出来た物から100ずつ納めてくれればいい。金は100の半分を前金で払う、残りはモノと引き換えに次の前金と合わせて渡す。いいな?」


 早口で説明を終えてフフンと鼻で笑った後、マーカスさんは僕に向かって巾着袋を投げた。


「――ほれ、前金だ」

「わわっ⁉」

 僕は慌てて袋を受け止めた。


「俺は客と話しつけてくるからよ――んじゃ、頼んだぜ~」


 マーカスさんは背中を向け、ひらひらと手を振りながら去って行く。


「え、ちょっ……」


 呼び止めようとするが、既にマーカスさんはいない。

 駄目だ、こうなったらやるしかない――。


 僕は頭の中で必要な薬草と、その栽培スケジュール組み立てる。


 500となると、今の農園の規模じゃ足りないだろうな。

 冬のうちにもう少し畑を拡げておくか……。


 ――まずは100を用意することを考えよう。


 手の中にある、ずっしりとした巾着袋の重みを感じながら、僕は覚悟を決めた。


「おやおや、マーカスと何かお仕事?」


 声を掛けてきたのはステラママだった。


「あ、はい、そうなんです。かなり大きな依頼で……」

「まぁ! それはおめでとう。うふふ、人様から必要とされるのは良いことだわねぇ」


「ありがとうございます」

「じゃあ、ぱぁーっとお祝いしないとね。まってて、今とっておきのワインを持ってくるから」


 ステラママはにっこりと微笑んで、弾むように店に戻って行った。


「あ……」


 僕は伸ばしかけた手を戻した。

 早くマイカに報告したかったんだけど……まぁ、仕方ないか。


 そうだ、ワインをお土産にして一緒にお祝いしようかな。


「ふふ……」


 僕はステラママを待ちながら、テラス席でニヤニヤと頬を緩ませた。



    *



 ステラママの店からの帰り道で、お土産のワイン用につまみを買うことにした。

 普段、立ち寄ったことのない店だったが、勇気を出して入ってみた。


 干し肉や燻製など、保存の利く食材が取りそろえてある。

 僕は美味しそうな鶏肉と、何種類かのキノコ、冬に向けて保存用の燻製肉を買うことにした。


 店主にお金を払うと、

「ほら、おまけでチーズも付けとくからよ」と、言ってくれた。

「いいんですか⁉ ありがとうございます!」


「なぁに、いいってことよ。オネットには随分世話になってたからな……ま、遠慮せず、いつでも来な」

「父が……」


「ん? 覚えてねぇか? まぁ、小さかったもんなぁ……お前さん、オネットと良くウチに来てたんだぞ」

「ほ、本当ですか⁉」


「ああ、いっつもオネットの後ろに隠れてたけどな」


 そう言って、店主は豪快に笑った。

 僕は耳が熱くなるのを感じながら、

「そ、そうだったんですね、お恥ずかしい……」と頭を掻いた。

「はは、まぁ、立派になってて安心したよ」


「……あ、ありがとうございます」

「そうだ、オネットにいつも胃薬を頼んでたんだが……、お前さんに頼んでもいいか?」


「も、もちろんですっ! あ……じゃあ、また寄った時にお持ちしますね」

「ああ、待ってるぜ」


 店主に頭を下げ、僕は馬車へ戻った。


「さて……ピウス、帰ろうか」

『ブルルッ』


 手綱を引きながら、さっきの店主の言葉を思い出した。

 まだ、父さんが見守ってくれているんだな……。


 そう考えると、胸にぽっと灯りがともったような気がした。

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