第16話

 家に戻り、ピウスを馬小屋に繋ぎ直した。


「お疲れさん、本当に調子良さそうだなぁ……毛艶も以前と大違いじゃないか」

『ブルル……』


 当然と言わんばかりにピウスが頭を振った。


「ははは、わかったわかった」


 ブラシで首筋を撫でてやっていると、

「お帰りなさい、シチリ。ピウスもご苦労さま」と、マイカがやってきた。

「あっ……ただいま。やっぱりそれ、とても良く似合ってるね」


 マイカは僕のプレゼントした洋服を着てくれていた。

 一度着てくれてから、勿体ないと言って中々着ようとしなかったのだ。

 少し照れくさそうにして、風に揺れた髪と水色のスカートを手で押さえる。


「本当です……か?」

「ほ、ほんとうだよっ! すごく……その、き、綺麗だと思う……よ」


 言ったそばから、自分の耳が火照っていくのがわかった。


「っ……⁉」


 マイカも驚いたのか、あわあわとしながらも次の言葉が出ない。


『ブルルッ!』

「うわわっ⁉」


  ピウスに鼻で押され、僕は干し草の山に頭から突っ込んだ。


「シチリ!」

「いてて……」


 草の中から這い出て顔を上げると、マイカが干し草だらけの僕を見て「ぷっ」と吹き出した。


「もう、ピウスったら。シチリ、大丈夫ですか?」

「あ、うん……あはは」


 差し出された白い手を握る。

 起き上がろうとすると、今度はマイカの背中をピウスが鼻で押した。


「きゃっ⁉」

「おわっ⁉」


 マイカを受け止め、再び干し草の山に埋まる。

 まったく、ピウスの悪戯好きには困ったもんだ……。


「――⁉」


 目の前に、美しい薄青の瞳があった。

 薄暗い干し草の中で、それは、あの美しい沢の流れのようにきらきらと輝いていた。


 なんて綺麗なんだろう……。

 それに優しくて、気が利いて、こんなにか弱そうなのに、しっかりもしてて。

 マイカの瞳から目が離せない。


 見つめ合っていると、どんどん好きな気持ちが溢れてくる。


 ふいに、瞳を通じて心の声が聞こえてしまうんじゃないかと不安になった。

 でも、ぜんぜん嫌じゃない。むしろ、この気持ちが届けばいいのに……。


 気付くと息をするのさえ忘れていた。

 心臓の音がうるさくて、もう、自分の心の声さえ聞こえない。


 だ、駄目だ、近すぎる――。


「あ、ご、ごめん……」


 慌ててマイカから離れようとすると、

「シチリ……私、今がとても楽しいです」と、マイカがそっと僕の胸に顔を埋めた。

「え……あ……」


 僕は抱きしめたくなる衝動を必死に堪え、そっとマイカの華奢な肩に手を添えた。


 ――変わらない。


 たとえ彼女が何者だとしても、僕の感じているこの気持ちは絶対に変わらない。

 何があろうと、彼女だけは絶対に守ってみせる。


「ありがとう、僕も……今が一番楽しい」

 そう囁くと、マイカがぱっと顔を上げた。


「本当ですか?」

「うん、ずっと独りでいいやって思ってたんだけどさ……今はずっとマイカと一緒にいたいって思ってるよ。も、もちろん、マイカがよければだけど……」


「シチリ……」


 僕達は見つめ合いながら、おでこをくっつけた。

 お互いに干し草だらけだ。

 段々と可笑しくなってきて、どちらからともなく笑った。


「ふふふ」

「あはは」


 二人で草を払って、干し草の中から立ち上がると、ピウスは『ブルッ』と短く鼻を鳴らした。

 まるで僕に「感謝しろよ?」とでも言っているようだった。



 夕食を終えたあと、僕はヘンリーさんに持って行く薪のストックがあるか納屋に確認しに向かった。


「ふんふ~ん、うん、これなら十分間に合うな」


 鼻歌を唄いながら確認を終えると、ついでに薬品類を少し整理した。

 異常に育った薬草のお陰で、かなりストックができたからな……。


「シチリー?」


 マイカの声だ。僕を探しに来たのかな。


「どうしたのー、ここだよー」

「あ、ここでしたか」


 納屋の入り口からマイカが顔をのぞかせた。

 そのまま中に入ってきて、

「何かお手伝いできないかなと思いまして」と言った。

「いや、今は特にないかなぁ」


「そうですか……」

 マイカは残念そうに少し目線を落とした。


「あ、そうだ。冬も近いからさ、今のうちに一緒に行ってみたいところがあるんだ」

「どこに行くんです?」


「馬車で半日くらいのところに『トリタニア湖』っていう大きな湖があってね、そこの景色がとても綺麗で……、その、良かったら一緒に見に行ってくれないかな?」 


 言い終わった後に、緊張が押し寄せてきた。

 恐る恐るマイカの顔を見ると、一目で喜んでくれているのが伝わってきた。


「私、行ってみたいですっ! あ、でも……お仕事の方は大丈夫ですか?」

「うん、今年はもう冬を越せる分は稼げたし、後はのんびり食料や燃料を揃えるだけから心配ないよ」


 僕が答えると、マイカの顔がぱぁっと輝いたように見えた。


「すっごく楽しみですっ! あ、ピウスも一緒ですよね?」

「あいつには今年最後の大仕事になるかな」


「ふふ、じゃあ、美味しいものを食べて力を付けてもらわなきゃですね」

 意気込むマイカを見て、あれだけ元気なピウスがさらに元気になるのかと思うと、僕は吹き出しそうになってしまった。


「そうだね。じゃあ、家に戻って準備しようか」

「準備ですか?」

「うん、テントとかランプとか、野営の準備をね」



 ――次の日。

 まだ辺りは薄暗い。

 吐く息がほんのりと白く色づいていた。


「ふぅ、これで全部かな……」


 僕は荷物を荷馬車に積み、忘れ物がないか確認をする。


「シチリ、お待たせしました」


 振り返ると支度を終えたマイカが立っていた。

 キャスケット帽を被った彼女は、美しい銀髪を後ろで三つ編みにしている。


 上着は袖の膨らんだシャツにベストを重ね、下はスカートではなく、動きやすそうなゆったりとしたパンツに革のブーツを履いていた。


 急に決まったことで洋服を買いに行く時間もなかったため、マイカには母の残した洋服の中から、好きなものを選んでもらったのだが、まさか洋服が違うだけで、こんなにも可愛らしくなるのかと思わず見蕩れてしまっていた。


「あの、シチリ? 本や写真を参考にしてみたのですが……合わせ方がおかしかったですか?」


 マイカの不安そうな声でハッと我に返った。


「あ、いや違うよ! マイカが着ると何でも格好よく見えるなぁと思ってさ」

「ま、また、シチリはそうやって……」


「いや、本当だって、とても似合ってるよ」

「ありがとうございます……。シチリのお母様は、とてもセンスの良い方だったのですね。どれも素敵で迷ってしまいました」


 本当にマイカは優しいな……。

 母のことをそんな風に言ってくれるなんて。


 そうだ、今度はマイカと一緒にミレイさんのお店に行って、好きな洋服を買ってあげたいな。この小旅行から戻ったらさりげなく提案してみよう。


「はい、これ陽が昇るまでは冷えるから」


 僕は旅用のローブマントを手渡した。


「ありがとうございます。うわぁ、とてもあったかいですね!」


 マイカはマントにくるまってはしゃいでいる。


「いいでしょ? 軽くて風も通さないからね。よぅし、じゃあ出発しようか?」

「はい!」


 柔らかい毛布を敷いた御者台にマイカを座らせた後、僕はピウスの手綱を引いた。


「しゅっぱーつ!」

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