第15話
*
すれ違いざまに男が親しげな声を掛ける。
「よぉ、マーカス、調子はどうだ」
「あぁ、問題ないよ」
ひらひらと手を振り、マーカスはそのまま路地裏に向かう。
道端に座り込んでいた浮浪者風の男が顔を上げた。
「旦那、良いネタがあるぜ」
「やめとくよ、お前がそう言う時はロクなことがねぇ」
ポケットから取り出した銅貨を男に向かって指で弾いた。
「へへ……毎度」
「ったく……」
マーカスは苦笑いを浮かべながら、傷薬の小瓶を眺める。
「あのシチリって小僧、いっちょ前に薬師だったのか……」
そう呟いた後、路地の先に立つ修道服を着た男に気付いて目を細めた。
わざとらしく口笛を吹きながら、マーカスはその男の前を通り過ぎようとする。
「そのまま行ってしまわれるつもりですか?」
黒縁眼鏡の位置を直しながら男が言うと、マーカスは足を止め、両手を広げて男に向き直った。
「これはこれは! ちょうど報告を上げようかと思ってたころでしてねぇ~、いやぁ、こんな路地裏で出くわすだなんて……ははっ、これこそ
胸に片手を当て、マーカスはわざとらしく天を仰いだ後、男に目を向けた。
「……では、報告を聞かせていただきましょうか」
男は微笑んだまま、穏やかな声で言った。
マーカスは男を連れて人目につかない建物の影に入った。
民家の壁に背を付け、手に持った傷薬を見つめながらマーカスは口を開く。
「今月は、目新しい人の出入りはなかった。特に代わり映えの無い日常ってやつさ。ま、強いて言えば、ステラママの料理のレパートリーが増えたってことくらいだな」
「……森の方はどうでしょう?」
「誰も入っちゃいねぇさ。入った奴がいたら、すぐに俺の耳に入る」
「……そう、願います」
相変わらず不気味な男だ――と、マーカスは内心で毒づいた。
いつ見ても皺一つ無い祭司服、ウェーブの掛かったやたら艶のある黒い長髪は、丁寧に後ろで一つに束ねられている。
体もかなり鍛えてあるようだし、こうしている今も、自分の立ち位置を意識してやがる。
恐らく、何らかの武術を体得しているのだろう。
それもかなりの高レベルだ……まぁ、上級聖祭司ってのはどいつも化け物だって聞くからな……。
こういう手合いは余計な深入りをせず、適当に相手するに限る。
「で、ミハイルさんよ、来月はどうする? まだ続けるのか?」
「ええ。また、よろしくお願いします」
ミハイルは数枚の銀貨をマーカスに差し出し、手に持っていた黒く鍔の広い帽子を被った。
「――ふん、確かに」
銀貨を受け取ったマーカスが立ち去ろうとすると、
「その手にあるのは……薬ですか?」とミハイルが訊ねた。
「ん? あぁ、知り合いの薬師がくれたんだ」
そう答えながら、ふとマーカスは思いつく。
大聖堂絡みで商売ができれば、あの小僧も仕事が増える。それに、こいつらから紹介料も取れるな……。
そう考えたマーカスはミハイルに向かって小瓶を放り投げた。
放物線を描いた小瓶をミハイルが受け止める。
「良かったら使ってくれ。追加が必要なら用意する」
「……」
小瓶を見つめるミハイルに「じゃ、よろしく」と声を掛け、マーカスは路地を後にした。
*
オルディネの町に着き、手早くモーレスさんの店で薬草を卸した後、僕はヘンリーさんの店を訪ねてみることにした。
店の中を覗き込むと、ちょうど書棚の整理をしていたヘンリーさんと目が合った。
掃除中かな……タイミングが悪かったかなと思いながらも、硝子窓越しに頭を下げると、ヘンリーさんが店の扉を開けてくれた。
「シチリか……どうしたね?」
「突然すみません、ヘンリーさん。少しお話を聞きたくて……」
「こんな老いぼれの話でいいのなら構わんよ。さぁ、入ってくれ」
「ありがとうございます」
ヘンリーさんの後に付いて、店の奥から母屋のリビングに入った。
「どれ、茶を淹れよう」
「あ、実はお土産がありまして……」
手ぶらでは悪いと思って、今日は乾燥させたラクテウスブルーを持参した。
「高価だと聞くが……いいのかね?」
「もちろんです、この前のお礼もかねて」
「そうかい、では、ありがたくいただくとするよ。早速、一緒に飲もうじゃないか」
ヘンリーさんはにっこりと笑って、お茶の準備を始めた。
しばらくして、お茶を淹れたヘンリーさんが戻ってきた。
「待たせたね。ふぅー、さぁ、一休みだ」
ソファに座ると、ヘンリーさんはお茶の匂いを嗅いだ。
「……うん、良い香りだ」
「かなり、お疲れの様子ですが……お店を片付けているんですか?」
「ああ、まったく、年には勝てんよ……。少し整理しただけでこのざまだ」
自嘲するように笑って、お茶に口を付ける。
「おぉ、これは素晴らしい……ボーッとしていた頭が冴えてくるようだ」
「今日みたいな時には最適だと思います」
「助かるよ、向こうでローレンスに自慢できる」
ヘンリーさんは、棚の写真を見て短く笑った。
「それで……何が聞きたいんだ?」
「はい、その……もし、今の時代に聖女がいたとしたら、どうなると思いますか?」
「聖女が?」
「ええ、まぁ、もしもの話ですけど……」
「わざわざ、そんな話をしにきたのか?」
「あ、いや……何だか気になってしまって……。その、昔から、気になると眠れない質でして、あはは……」
笑って誤魔化すと、ヘンリーさんは不思議そうな顔をしながらも答えてくれた。
「まぁ……わからなくもない。ふむ、聖女なぁ……その聖女の持つ力にもよるだろうな。超常的な力を持っていれば、国を挙げての大騒ぎになるだろうし、逆に力がなければ、本当の聖女だとしても自称の域を出ることはないだろう」
「そうですよね……。じゃあ、もし、ローレンスさんが聖女だったとしたら……どうしますか?」
「ローレンスが?」
ヘンリーさんが眉根を寄せる。
「あ、その、それくらい大切な人がという意味です」
「面白い質問だが……シチリ、逆に聞きたい。お前さんは大切な人が聖女だと、何かが変わるのかね?」
「あ……」
――自然と背筋が伸びた。
自分の前にあった途方もなく大きな壁が、音も無く消え去ったような気がした。
目の前の景色が一段、明るくなったように感じる。
そうだ、世界は常に輝いている。
ただ、見る人の主観や気持ちでその色や形が変わってしまうのだ。
僕は聖女という属性のことばかり考え、いつの間にかマイカ本人のことを見失っていた。
「変わらないです……。ヘンリーさん、僕は大切な人が聖女だとしても何も変わらないです!」
「……そうか。よくわからんが……どうやら、もらった茶葉分は返せたようだな」
「はい! ありがとうございます!」
僕は深く頭を下げ、心からお礼を言った。
相談して良かった。
以前までの自分なら、ヘンリーさんを頼ることさえしなかっただろう。
きっと、一人じゃ気付けなかったな……。
その時、おもむろにヘンリーさんが席を立ち、窓から外を眺めた。
「この頃は日が短くなった……そろそろ冬が近いな」
僕もその隣に立ち、並んで外を眺める。
「ええ……そうですね。あ、薪の準備は終わってますか?」
「いいや、まだだ……」と、ヘンリーさんはため息交じりに答えた。
「なら、今度ついでに持って来ますよ」
「と、年寄り扱いせんでもいい! それくらいはできる」
「あ、すみません」
ムスッとしていたヘンリーさんだったが、何度か咳払いをして、
「……すまん、やっぱり……頼めるか?」と恥ずかしそうに言った。
「はい、もちろんです!」
そう答えると、ヘンリーさんは初めてクシャッとした笑顔を見せてくれた。
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