第14話

 ――その日の夜。

 夕食を終え、僕は台所で洗い物をしていた。


 あれだけ奇妙な味だったマイカの料理にもすっかり慣れ、今ではあの妙なクセのある味を期待してしまっている。慣れとは恐ろしいものだ……。


 ふと、よからぬことを考えている自分に気付く。


 僕の背中の傷……。


 あれはマイカが薬を塗ったから消えたのか、それともマイカが調合した薬だから消えたのか、一体、どっちなんだろう……。


 手元のナイフに目を向けた。

 マイカはテーブルでホットミルクを飲んでいる。


 僕はそっとナイフを握り、マイカを盗み見た。


 こんな試すようなことをしていいんだろうか……。

 でも……。


 そうだ、向き合わなきゃ。


 結果がどうであれ、僕の気持ちは変わらないんだから――。

 僕は手の甲を軽くナイフで切りつけた。


「いっ!」

「ん? どうかしたのですか、シチリ」


 マイカがきょとんとした顔で僕を見た。


「あ、いや……うっかりナイフで切っちゃって……」

「大変! ちょっと待っててくださいね、お薬持って来ますから!」と、慌てて薬を取りに走る。


 その姿に、何ともいえない心苦しさを覚えた。


 すぐにマイカが戻って来て、

「どこですか? 見せてください」と、僕の手を覗き込む。 


 心配そうだった顔が、ホッとした表情に変わった。


「……良かった、傷は深くないですね。気を付けないと駄目ですよ?」


 マイカは眉を少し下げながら微笑むと、優しく薬を塗ってくれた。


「ごめん、ついうっかり手を滑らせちゃって、ははは……」

「これですぐ良くなりますよ。なんたって、私の調合したお薬ですから」

「そうだと良いんだけどね」と、冗談っぽく返しながら、手に違和感を覚えた。


 ん? あ、あれ……?

 傷が……無い?


 僕は咄嗟に手を隠した。


「あ、そうだ、仕事が少し残ってた……。ごめん、ちょっと部屋に行ってくるね」

「あの、何かお手伝いしましょうか?」


「大丈夫大丈夫。すぐ終わるから」

「そうですか。では、私も本の続きを読むことにしますね」


「うん、じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」



 部屋に入り、僕は傷口をランプで照らした。

 塗り薬を手拭いで拭き取ってみる。


「ない……」


 やはり、傷は跡形もなく消えていた。

 なんてことだ……。


 ちょっと待て、本当にマイカの力……?

 何かの偶然とは考えられないだろうか。


 例えば、何らかの不思議な力が畑に宿り、薬草に特別な効能が生じて……それをたまたまマイカが調合して、たまたま僕の傷に……あーっ駄目だ駄目だ!


 落ち着け、ゆっくりでいい。考えるんだ……。


 そう、まずは検証だな。薬草の効能を調べると思えば良い。


「たしかこの辺に……あ、あった!」


 部屋の棚から、以前、調合した薬を探す。

 さっきマイカが僕に塗ってくれたのと同じ配合の傷薬だ。


 多少の経年劣化があるかもしれないけど、効能に大きな差はないだろう。

 僕は背嚢から携帯用のナイフを取り出し、さっきと同じくらいの傷を付けてみた。


「……よし」


 うっすらと血が滲んでいる。

 軽く血を拭いてから薬を塗ってみた。


 傷口に痒みを感じる。少し熱を持ってきたようだ。

 脈に合わせて傷口がじんじんと疼いている。


「塞がらない……」


 これだけじゃわからないな……。

 僕はリビングに向かい、棚からさっきの傷薬を取り出して、もう一度傷口に塗ってみた。


 さっきとは全然違う。傷が塞がる様子もない……。

 薬瓶を見ると、確かに彼女が調合したものだった。


 僕は薬瓶を握りしめ、マイカの部屋の扉に目を向ける。


「……」


 そして、そのまま自分の部屋に戻った。



 翌朝、目が覚めると、僕はリビングに向かった。


「おはようございます」

「うん、おはよう」


 マイカはもう起きていて、朝食のスープを作ってくれている。


「今朝はオニオンスープです。固めに焼いたパンもありますよ」

「いいねぇ、美味しそうだ。あ、マイカ、悪いんだけど……薬を塗ってもらってもいいかな?」


「ああ、昨日のですね。どうです、まだ痛みますか?」

「ううん、大丈夫。二、三日で治りそうだね」


 台所で傷を洗い流して薬瓶を手渡した。

 僕が以前調合した方の薬だ。


「ちょっと赤みがありますね……はやく治りますようにっと……」


 マイカは丁寧に薬を塗ってくれた。


「ありがとう。あ、先食べてて、すぐ戻る」


 僕は足早に部屋に戻り、傷口を確認した。


「え⁉ どうして……」


 傷は跡形もなく消えていた。

 ということは、マイカ自身に治癒の力があるってことなのか?  


 二つの薬瓶を手に持って見比べてみる。

 左手に僕が調合したもの、右手にはマイカの調合した薬がある。


 どちらも中身は同じだ。

 だが、マイカに塗ってもらうと傷が塞がった……。


 僕はぎゅっと薬の容器を握り絞め、その場に両膝をつく。

 どうすればいいんだ……どうすれば。


 ――部屋の 扉がノックされた。


「シチリ……大丈夫ですか?」


 扉の向こうから、心配そうなマイカの声がする。


「あ、うん、大丈夫! いま行くからー」


 精一杯、明るく返事をした。


「早くしないと、スープが冷めてしまいますからねー」


 僕の返事に安心したのか、マイカの声がいつも通りに戻った。

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