第10話

 僕は二人がけのソファに腰をおろし、部屋の中を見回した。

 壁紙は深緑色の落ち着いた色合いで、飾られた小さな風景画もセンスが良い。


 棚に置かれた写真を見ると、パイプを咥えたヘンリーさんが奥さんらしき女性の肩に手を回していた。ふたりとも笑ってる。とても仲が良さそうだ。


 自分もマイカと、こういう年の取り方ができるのだろうか……なんて、まぁ、そもそも、マイカが僕と一緒にいてくれるかどうか……。


 そこにヘンリーさんが、紅茶を持って戻って来た。


「茶を淹れるのは得意じゃないんだが、無いよりはマシだろう?」


 冗談っぽく言うと、ヘンリーさんはテーブルに紅茶を置いて向かいのソファに座った。


「ありがとうございます、良い匂いですね」

「妻が好きだった茶葉だ……。あれがいなくなったら茶葉が減らなくてね、ちょうど良かった」


 哀しげに笑うヘンリーさんにどう答えていいのか戸惑っていると、

「すまん、気を遣わせたな。もうとっくに別れは済ませてある。平気だよ」と微笑む。

「そうですか、とても素敵な方ですよね」


 僕は写真に目を向けた。


「ああ、ローレンスは本が大嫌いでね……それなのになぜか私のところに嫁いできたと思ったら、ずっと文句を言っていたよ……くくく、本当に面白くて、最高の妻だった……」


 在りし日のローレンスさんを見ているのか、ヘンリーさんの目はどこか遠くを見ていた。

 そして、すぐに僕に向き直り、膝の上で両手を組んだ。


「さて……、聖女だったな」


 ヘンリーさんはそう前置いてから、僕に問いを投げかけてきた。


「――聖女とは何だと思うね?」

「えっと、神様に特別な祝福を授かった御方だと」


「そうだな、伝承に残されているとおり、歴代の聖女は様々な奇跡を起こした。だからこそ聖女は崇められ、多くの人々にとって信仰の対象となっていた。今でも聖女を信仰するものは多い」


 僕は小さく頷く。


「だが、お前さんも知っての通り、今の時代に聖女は存在しない。理由は神のみぞ知る、といったところだが……ともかく、祝福を授かる者がいなくなってしまった」

「不思議ですね……」


「最後の聖女はベルナデットといってな、それはそれは美しい御方だったそうだ。彼女は聖女の中でも特に力が強く、植物と対話ができたといわれている」

「植物と⁉ 本当ならすごいですね……」


「古い文献には大規模な凶作に見舞われた際、彼女が大地に祈りを捧げると金色の穂が実ったと記録がある。他にも、山を越えて蛮族が攻め入った際に、森の木々を操り窮地を救ったとも……」

「そんなことがあり得るのでしょうか?」


「さあな、今となっては当時を知る者もいない。仮に知っていたとしても、それが正しいという確証はないからな……」


 ヘンリーさんは小さく顔を振って紅茶に口をつけた。


「なぜ、あの森は禁忌の森というのですか?」

「私も伝え聞いた話だが……気持ちの良い話ではないぞ?」


「構いません、教えてください」


 僕が力強く答えると、ヘンリーさんは静かに口を開く。


「……聖女ベルナデットが亡くなった後、一向に現れぬ聖女に当時の大聖堂は大慌てだった。それは王であるカイエン三世も同じ。両者とも聖女に対する民衆の信仰心を上手く利用していたのだな」

「利用……」


「まあ、そこでだ。時の王カイエン三世は、あらぬ事を考え……行動に移してしまった」

「あらぬ事……?」

 ヘンリーさんが頷く。


「それが、聖女複製計画――聖女のホムンクルスを造るという馬鹿げた計画だ」

「な、なんて畏れ多いことを……」


「その反応が普通だろうな。だが、カイエン王も、大聖堂の教皇や枢機卿も、聖女を自分たちの道具だと思っていた。だから、そんな大それた計画を実行できたのさ」

「……そうすると、計画は失敗したのですか?」


 今の時代に聖女はいない。

 仮に計画が成功していたのなら、今でも聖女がいるはずだ。


「数多くのホムンクルスが造られたが、その大半は異形や肉塊になったと言われている。稀に聖女らしき力を宿したホムンクルスが生まれても、その力は大聖堂の下級聖祭司程度のものだったらしい。しかも、蝉よりも短命となれば……結果は想像通りだ」

「非道い……」


「その後は知っての通り、カイエン王は民衆の怒りを買って処刑され、施設のあった森ごと禁域指定されたというわけだ」

「その施設の場所や、大きさはわかりますか?」


「実際に見た者はいない。仮にいたとしても、わざわざ他人に話したりはしないだろう」

「そうですよね……」


 僕が見たあの礼拝堂は……その施設だったのだろうか。

 写真に写っていた大勢の子供達……あれは、もしかして……。


 ――急に怖気がした。


 だが、それ以上にマイカのことが気がかりだった。

 もし、あの建物が本当にその施設だったのなら、あそこにいたマイカは一体……何者なんだ?


「どうだ、気持ちの良い話ではないだろう?」と、ヘンリーさんが苦笑する。

「そう……ですね」


「まあ、触らぬ神に祟りなしだよ。あの森には近づかない方がいい。それに、何百年も経つというのに未だアマネセル大聖堂から使者が来る……どう考えても普通じゃない。私達も知らない何かが、あの森にあるのかもしれん……」


 考えなければならないことがいっぱいあるのに、僕の頭の中は真っ白だった。

 マイカ……。


「おぉ、そうだ。色々と調べていた時に、聖女の姿絵が描かれた本があってな……ほら、これが聖女ベルナデットだよ」


 ヘンリーさんが見せてくれた本を覗き込む。

 そこに描かれていたのは、マイカに瓜二つの美しい女性だった。


「これが……聖女さま……」

「ああ、この本では『神々しい銀髪に透けるような肌を持ち、その慈悲深い笑みを向けられれば、誰もが愛さずにはいられなかった』と書かれているな。脚色もあるのだろうが、その人気振りがわかる」


「あ、ありがとうございました……あの、すみませんが、仕事を思い出してしまって……急で申し訳ないのですが、これで失礼させてください」

「あ、ああ、それは構わんが……大丈夫か、顔が真っ白だぞ?」


 ヘンリーさんが心配そうに僕の顔を覗き込む。


「だ、大丈夫です、本当にありがとうございました。では――」


 僕は逃げるように席を立ち、ヘンリーさんの店を後にした。



    *



 町を出た僕は森に荷馬車を停め、ひとりで沢の岩場に来ていた。

 近くの岩に腰掛け、沢を挟んだ向こう側の森を眺める。


 禁忌の森……マイカはホムンクルスなのだろうか?

 あの姿絵、あれはどう見てもマイカとしか思えなかった。


 でも、それならばなぜ、マイカは生きているのだろう……ホムンクルスは短命のはずだ。

 そうだよ、ホムンクルスのわけがない。何かの間違いだ。


 馬鹿げてる。

 そうさ、きっと悪い奴が禁忌の森を隠れ家にしていたんだ。


 となると、この辺にまだ悪い奴らがいるかもしれない。

 マイカをひとりにしておくのは心配だな、うん――早く帰ろう。 


 僕は立ち上がり、沢に向かって小石を投げると、そのまま踵を返した。

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