第9話
*
暗闇の中に懐かしい灯りが見える。
そうだ、あれは……。
子供の頃、父が遅くまで作業をする灯りが漏れていた。
ベッドに潜って、何だか怖くなってしまった夜も、急に寂しくて心細くなった夜も、灯りを見て、すぐそこに父がいると思うだけで、僕は何も怖くなかった。
でも、いつからかその灯りは消えてしまった。
どれだけ怖くても、どんなに願っても、部屋の灯りがともることはなかった。
あの時はたくさん泣いたな……。
もう、長い間、思い出すことはなかったのに。
なぜ、いまごろになって、思い出したのかな……。
*
「ん……んん……」
ふと目覚めると、僕は自分のベッドに横になっていた。
薄暗い部屋。半開きの扉から居間の灯りが漏れている。
まだ夢を見てるのかな……いや、台所で何かを作っている音がする……マイカかな。
段々と意識がはっきりしてくる。
「あれ?」
ん? 変だな、どこも痛くない……。
腰を触ってみるが、どこにも傷がなかった。
「え? どういうこと……?」
起き上がって背中を触っていると、
「あ! シチリ、良かったです。目が覚めたんですね」と、マイカが部屋に入ってきた。
「うん、ごめんね。気を失ってたみたいで……重かったでしょ?」
「ううん、ちゃんと自分の足で歩いてましたよ。私は支えただけで……あ、お薬あったので塗っておきました。……どうですか、具合は?」
「不思議と全然痛くないよ。ありがとう」
マイカはほっと胸をなで下ろす。
「良かったです! 一応、夕食を作ったのですが……食べられそうですか?」
「うん、すぐ行く」
「じゃあ、用意してますね」
「ありがとう」
マイカはパタパタと台所へ向かう。
僕はベッドから起き上がり、居間に向かおうとして、ふと、麻袋に目が留まった。
そうだ、渡さなきゃ――。
麻袋を手に取り、僕は傷のことはすっかり忘れて居間に向かった。
「マイカ……」
「今日はチキンスープにしてみました。栄養たっぷりで体にいいですよ」
「うん、美味しそう」
「さ、座って下さい」
「あのさ、マイカ。ずっと渡そうと思ってたんだけど……これ、渡しそびれちゃってて」
背中に隠していた麻袋をそっとマイカに差し出した。
「え……わ、私にですか?」
「うん……町で見かけて、きっと、その……君に似合うと思ったから」
マイカはそっと麻袋の口紐を解き、白いブラウスと水色のスカートを取り出した。
「わぁ……可愛いです」
ぱっと明るくなったマイカの顔を見て、体から力が抜けた。
「僕はあまり詳しくないんだけど、王都から届いたばかりの洋服なんだって」
「そんな……、高かったんじゃありませんか?」
「ううん、お店の人に安くしてもらったし、収入も増えたから全然平気だよ」
「シチリ……」
マイカは洋服をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとうございます、とっても嬉しいです!」
満面の笑みを浮かべるマイカ。
この顔が見られただけで、もう何もいらないや。
「さぁ、お楽しみは食べたあとにしようか」
「はい! じゃあ、ちょっと部屋に置いてきますね」
嬉しそうに洋服を抱えて、マイカは自分の部屋に行った。
ふふ、やっと渡せたなぁ、喜んでくれて良かった。
それにしても、僕の背中は……。
マイカは薬を塗ったと言っていた。こんなに早く治ることなんてあるんだろうか?
指先で傷口を探す。
やっぱり、傷はどこにもない――。
チキンスープを見つめながら、僕はヘンリーさんのことを思い出していた。
「あのぉ……シチリ、待ちきれなくて着てしまいました。その、どうでしょうか……?」
部屋から戻ったマイカは洋服に着替えていた。
思わず見蕩れてしまいそうになる。
「うん……すっごく似合ってる!」
「ほんとですか⁉ 良かった……へへ」
少し照れながらスカートを揺らす仕草が、悶えそうなほど可愛かった。
*
約束の日になり、僕は古書店を訪れた。
「ごめんくださーい……ヘンリーさん、シチリです……」
店内に入り声を掛けると、奥から「こっちだ」と声が聞こえた。
本に囲まれたデスクまで行くと、ヘンリーさんがジロリと目だけ僕に向けた。
「来たか」
「はい、今日はありがとうございます」
「……どれ、ここじゃ狭い。着いてきなさい」
「あ、はい」
ヘンリーさんは読んでいた本を置いて立ち上がると、店奥の扉から居住スペースに向かった。
「店と繋がってるんですね」
「ああ、今じゃ珍しいかもしれんが、古い店はどこも同じような造りさ」
「へぇ、そうなんですねぇ……」
リビングに通されると、
「そこに座っててくれ」と言って、ヘンリーさんはどこかに行ってしまった。
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