第8話 陰を蝕む

発した言葉は二人の耳に届く。

謝ることが出来たとて、やはり何を言われるのか分からず不安な思いは渦をまく。

それを少しでも取り除こうと、勇気をだして彼らと目を合した。

きっと涙目だったのだろう。

天狗さんは優しく微笑み、猫又さんは私の足に擦り寄ってきてくれた。

二人の優しさが、ぐちゃぐちゃになっていた不安と焦りの糸を柔らかく解いていく。


「百合ちゃん、ちょっと目を瞑ってて」


多分怖いと思うから、そう言った天狗さんは背中の翼を大きく開き、私を抱き抱えて空へ舞う。

私が前に、高いところは好きでは無いと言ったことを覚えていてくれたようだ。

日常の一コマ、それも一瞬一度の言葉に、彼は配慮してくれている。

その気遣いにまた涙が溢れそうになるが、天狗さんに心配かけまいと手の甲で拭った。

体は空へ浮かび、私は反射的に目を瞑ったが、ふと見えた空からの景色は、思わず息をするのも忘れてしまうくらい、鮮やかで綺麗だった。



目的地に着くまで、そう時間はかからなかった。

もちろん家と近いことも理由の一つだが、何より天狗さんが羽ばたくスピードが速すぎたのだ。

目を瞑って数秒すれば、風を切る音も止み気づけば地面に足を着いていた。


「さ、本当に謝るべき相手のところに行ってきなよ。僕は猫又を迎えに行ってからもう一度来るからさ」

「……はい。本当、何から何までありがとうございました。ちゃんと……仲直り、してきます」

「うん。応援してるよ」


言い慣れない「仲直り」の五文字を発し、天狗さんに背を向けて林の中へ足を踏み入れる。

木陰の涼しさを肌で感じながら奥へ進んで行くと、小汚い鳥居が目に入った。

久しぶりに来たからか、その鳥居ですら懐かしいような嬉しいような思いを向ける。

この汚れた鳥居も、仲直りしたら掃除しなければ。

あとは約束した草刈りも一緒に。

彼女とした約束の数々を思い出し、ツンと鼻の奥が痛んだ。

また二人で話したい、また笑い合いたい。

私の中で思いが爆発し、涙があふれる前にと鳥居をくぐって謝るべき相手に会いに行く。

階段を上る最中、何て謝ろう、どんな表情をして会おうか、なんていう考えは全く頭には無くて、ただそこには会いたいという私の願望があるだけだった。

涙を溜めながら上りきった場所に見えたのは、いつも通りの彼女の姿。

太陽の光をまっすぐに受けた黄色の髪を揺らしながら、ほうき片手に掃き掃除をしている、いつもと何ら変わりない姿。

しかしながら、いつもと明らかに違うところが一つ。


「ゆ、百合ちゃん……?」


いつもは笑顔で駆け寄ってくるが、今日だけは違った。

困惑七割、嬉しさ三割といった表情を浮かべたまま微動だにしない。

涼しさを含んだ風が吹いて、私の黒い髪と夏芽さんの黄色の髪がゆらゆら揺れる。

私はふっと短く息を吐き、見つめるばかりの夏芽さんの元へ一歩、また一歩と距離を縮めていく。

手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた私は、跳ねる心臓を押さえながら彼女と目を合わせて言った。


「少し話してもいいですか」


と。

静かな沈黙が流れた後、夏芽さんはハッとしてすぐさま首を縦に振ると、私の手を引いて木の影に移動する。

ちょうどよく生い茂った緑の地面に夏芽さんと対面する形で腰を下ろすと、不思議と心は澄み渡っていく。

曇っていた心は、彼女という太陽を前にして晴れを迎えたようだ。

気持ちの整理ができた私は、夏芽さんに私たちが出会う前の話をするべく口を開いた。

私に友達と呼べる友達は、今まで一人もいなかったこと。

休憩時間は、いつも教室の隅で何度も読んでいる本の文字を、周りの子の楽しそうな声を聴きながら目で追っていること。

そしてそんな日常を送る中で――夏芽さんという初めての友達ができたこと。


「私は、初めてできた友達と、初めて喧嘩をしました。もし嫌われたらどうしようと焦って不安になって……中々ここに会いに来ることができませんでした。……初めてだからこそ、友達というものがよく分からなくなりました」

「!」


自分から遠慮して気を使うくらいなら友達はいらないと言ったのに、私はあの日夏芽さんたちの顔色を窺いました。

嫌われていないか確かめるために。

私は息を吸って、加速する思いをさらに加速させる。


「…………嫌われても仕方のないことを言ってしまったことはよく分かってます。当然、悪口を言われても罵られても、何も文句は言えません。………………も……でも、でも……っ!」


私を嫌わないで――。

そばに咲いていた、紫色の小さな花が風に揺れた。

言ってしまってから、私は溢れる涙を拭うことなくハッとする。

こんなことを言うためにここへ来たのではないのに、謝るために、仲直りするためにここへ来たのに。

慌てて手で口を塞いだ時にはもう遅くて、私の切実な願いは彼女の耳にしっかりと届いていた。

夏芽さんは表情を変えず、何も言わずただ私の目を見つめる。

その瞳に私はどう映っているだろう。

強欲な人間、自分勝手な人間、面倒な人間……、そんなふうに映っているだろうか。

早く謝らなければ。

このことも含め、あの日のことも全て謝罪して、今まで通りに元通りに――……なれる、だろうか。

こんな私を、彼女は、夏芽さんは受け止めてくれるのか。

太陽に照らされた心は、またもや陰りを見せる。

その陰りはだんだんと光を蝕んでいき、私の中の不安は増大していく。

蝕む速度はどんどん速くなり、見える世界が全てぼやけたその時――不安も陰りも何もかもを照らす、一行の光がさした。


「受け止めるよ、受け入れるよ。百合ちゃんの全部を。不安になるのなら、百合ちゃんが安心するまで私は何度もこの言葉を繰り返そう。だからもう、泣かないで」


気づけば私の体は夏芽さんの体に包まれていて、陰は光に照らされ心は陽と化していた。

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