第6話 できない課題
とりあえず神社が消えていなかったことに安心した私は、また灰色のコンクリートの方に振り返り、ヒグラシの声を聴きながら歩き始める。
数歩歩いたところで、後ろから小学生と思われる男子三人が私の横を通り過ぎて行った。
学校終わりなのによく走れるものだ。
私が変なところに感心しているうちに、小学生らはあっという間に見えなくなった。
ヘタをしたら私よりも速いのではないかと疑うそのスピードに驚いていれば、赤い屋根の私の家が見えてきた。
古井神社も学校に近いけれど、私の家も学校に近いのだ。
見えてから数歩歩いただけで着いたその家から、誰かがちょうど出てきた。
「お母さん」
それは紛れもない、私の母だった。
母の耳にはボソッと呟いただけの私の声が届いたらしく、茶色の髪を揺らしてこちらを振り向いた。
私を見つけた途端パッと笑顔になり、大きな声で「おかえり」と手を振った。
正直、近所の方に聞こえていそうで恥ずかしいのだが、それも母からの愛だと思って素直に受けとっている。
「ただいま。もしかして今から出かけるとこ?」
「そうそう。ちょっと夕飯の玉ねぎを買うの忘れちゃってて」
恥ずかしそうに頬をかきながら出かける旨を伝える。
そういうわけでまだ夕飯出来てないけど、お菓子とか食べずに待っててね。
なんて言う母は、私をまだ小学生だとでも思っているのか。
少しだけぶすくれながら、課題やってるから大丈夫だと言う。
その返事に安心した様子の母は、行ってきますと手を振ってやっと買い物に出かけていった。
玉ねぎを使うということは、今日の夕飯は私の好きなカレーや肉じゃがだろうか。
もしそうならば、やる気が出て課題もサクサク進むのだけど。
母の後ろ姿が見えなくなり、手を振り見送っていた私は、太陽の熱で少し熱くなったドアノブを引いて中に入った。
家の中は、クーラーが効いているのかひんやりと熱のこもった体を冷やしてくれる。
しばらく気が済むまでそうしていれば、やっていない課題のことを思い出した。
その課題というのが「夏の楽しかった思い出」をテーマに作文を書くというものなのだ。
提出期限は夏休み明けだが、私はさっさと終わらせたいので適当に書いて提出するつもりだった。
けれど、まだ夏休みまで約一週間もあり、夏本番も始まっていないので、書こうにも書くことがないのが現状だった。
クラスの人は、夏休みに旅行に行くのでそのことを書く人もいれば、夏祭りのことを書く人もいて、人それぞれ書くことがバラけた。
私は汗をかきやすいため、夏にあまり外に出たいとは思わないので、例に挙げたどちらも楽しかったといえないだろう。
だとしたら何を書けば良いのか。
私はタイトルの「夏の楽しかった思い出」と名前を書いたところで筆が止まってしまった。
「んー……今日はもうやめとこう」
かれこれ三十分くらい何を書こうか悩んだけれど、良い案は思いつかなかった。
大した中身もないことを書くのは何だか嫌なので、まあまたいつか思いつくだろうと呑気に考え、シャーペンを机に置いたのだった。
ちょうどその時、玄関の戸が開く音が微かに聞こえ、母が買い物から帰ってきたのだとぼんやりそう思った。
座りっぱなしで凝り固まった肩を揉んでもらおうと、玄関にいる母の元へ早足で向かう。
「おかえり」
「あ、ただいま。なんか夕方セールしててさ、ついでに明日使うお肉とかも買ってきちゃった」
「ふーん。それじゃ肩揉んで」
「いや何でよ」
お母さんが揉んでほしいぐらいなのにとぶつくさ文句を垂れながらも、母は肩を優しく揉んでくれた。
いつか忘れていなかったら、私もお返しに肩を揉んであげよう。
きっと忘れているだろうけれど。
ところで、母に台所に連れていかれた今気づいたのだが、匂い的に今日の夕飯はカレーだ。
予想していた料理のうち一つが当たり、それも私の好きなものだったので気分はバク上がりである。
過程としては、今から買ってきた玉ねぎを切って煮込んでいくらしいのだが、あいにく私は一昨日の続きの漫画を読むという仕事があるのだ。
母が冷蔵庫の中を見ている隙に音を立てないよう後ろに後ずさり、一気に後ろを向いて自室へ向かおうとした。
「もちろん手伝ってね」
「………………はい」
しかしやはり母には勝てず、逃げようとしたその腕を掴まれ、台所にいた私は強制的に手伝うことになったのだった。
大好きな甘口カレーをぺろりとたいらげた私は、既にお風呂に入り、今は自室でゆっくりと漫画を読んでいる。
今読んでいるのは、主人公が学校一のイケメンに恋をするという典型的な少女漫画なのだが、この漫画は少女の夢全てを無理やり詰め込んでいる感があって、逆にそこが面白いと話題だ。
私もそれをSNSで見かけ、試しに読んでみたらどっぷりとハマってしまった。
続きが気になって仕方が無いので、一昨日も夜更かしをしてまで読んでいたのだ。
ふと、部屋に掛けてある時計の針を見てみると、もうすでに長針が十一を指してある。
また明日も学校があるし、さすがにそろそろ寝ようかと漫画を収めてベッドにもぐる。
今日は神様の夏芽さんの他に、天狗さんというこれまた異色な方の登場で疲れたのかもしれない。
その証拠に、まだベッドに入ったばかりなのにすでに瞼が重い。
もう頭をシャットダウンさせたら夢の中へ入りそうなくらいだ。
ふんわりとやってきた睡魔に促されるまま目を閉じ、意識を夢へ持っていこうとする中、とある疑問が頭の中を横切った。
『それは百合ちゃんが普通の人間ではないからだよ』
昨日夏芽さんは、霊感ゼロの自分がなぜ結界が張られた神社に入れたのかと心の中で疑問に思っていた私にこういった。
しかし、なんだか少し違和感がある。
彼女は推測を言うのではなく、確定したような言い方をしていた。
私が疑問に思ったとき、考える素振りもなくすぐに答えを言った。
神様くらいになれば、私が普通の人間ではないということくらいすぐに分かるのだろうか……だが。
私にはどうしても、夏芽さんが何かを隠しているような気がしてならなかったのだった――。
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