第3話 神秘さのしの字もない

シンとやけに静まる空間に、心の底からしまったと思った。

目の前の女性は大きく目を見開いたかと思えば、ゆっくりと俯いて顔が見えない。

その動作に、多分私は余計なことを言ってしまったのだと確信した。

きっと彼女は、自分が神様みたいな存在だということを私に知られたくなかったのだろう。

根拠として、自分から神様だと名乗らなかった。

……いや、全国各地の神様が、突然人の子の前に現れて「私は神様です」と名乗るのか否かは定かではないが。

それに加え、彼女は名前も名乗らなかった。

聞けば一瞬で分かるほどに有名な神様なのだろうか。

まだ女の人が神様だとは確定していないのに思考を巡らせ、ちらりともう一度そちらを見る。

女の人は未だ俯き、小刻みにふるふると震えていた。

完全に怒っている。

そう思った私は、泣きそうになりながら恐る恐る控えめに声を絞り出す。


「あ、あの。余計なこと言ってしまってごめんなさい。質問には答えなくていいですから……。それではこれで失礼しま」

「待って」

「は、はひっ!」


そそくさと帰ろうとする私を、女性から聞こえてきたドスの効いたような声で遮られた。 

恐怖で思わず大きな声で、それも裏返った声で返事をする。

先ほどまで高い声で話していたのに急に低くなったのは、やはり神様か否かをきいてしまったからだろう。

気になってもきくんじゃなかった。

今更ながらに後悔し始め、何となく私は死を悟る。

大抵、アニメやゲーム何かでは、こういうふうに余計なことを知ったモブたちは、何らかの形で殺される。

例えば、銃殺、絞殺、斬首……挙げたらキリがない。

血まみれで絶叫をあげるモブたちを思い出し、今から私もああなってしまうのかと思うと、怖くて怖くて今度は私が震える番だった。

ただし、小刻みではなく震度四程度の揺れである。

女の人が草を踏み、こちらに向かって歩いてきているのが気配で感じ取れた。

ギュッと目を強く瞑り、溢れそうな涙をせき止め、おそらく次に来るであろう痛みに耐えようと心の準備をした。


「ちょ、ちょっと。そんなに縮こまらないでよ。なんだか私が百合ちゃんをいじめているみたいじゃないか。ほらほら、何もしないから顔を上げて」


私は涙の浮かんだ目でパチクリと瞬きを繰り返す。

想像していた展開とは全く違う彼女の様子に驚いたのだ。

殺されると思っていたのだが、それどころかいつの間にか私が拳を強く握って手のひらに食い込んだ爪の跡を見て、必死に謝っている。

別に殺されたかったわけではないけれど、なんだか拍子抜けである。


「えっと、私のこと食べないんですか? あ、それとも非常食として生かしておくとか……?」

「食べ……っ!? 百合ちゃんは神様を何だと思っているのさ! 確かに知人には人間が嫌いすぎて食べちゃった神様はいるけれど……!」

「やっぱり神様なんですね」 

「え、あっ」


やってしまったああっ! と頭を抱えて叫び散らかすその姿は、とても神様とは程遠い存在に思える。 

というか、やはり人間を嫌い、食べている神様もいるみたいだ。

彼女がそんな神様でなくてよかったと心の底から安堵した。

しかし、未だに叫び続けている神様にはどう対応したら良いのだろう。

この焦りっぷりからして、自分が神様だということは人にはバレてはいけなかったようだ。


「まあ、別に見える人には見えるからいいんだけれど」


いいのか。

意外とあっさりしている神様相手に、思わずツッコんでしまうところだった、危ない。

荒ぶりが落ち着いた神様は、思い出したように話し始める。


「そんなことよりも、なぜ百合ちゃんは私が神様だと気づいたの?」

「特に理由はないですけど……。強いて言うなら、見た目が人間離れしているし、私の内面を見たとか人間業ではないことを言っていたので」

「なるほど。まあ、たしかに私は綺麗だからね。見惚れてしまうのも無理はない。……あ、それともう一つ。百合ちゃんは神社に普通に入ってきたって言っていたけれど、この神社は普通には入れないよ」

「え……?」


――なんとこの神様によれば、幽霊神社もとい古井神社は彼女によって一面結界のようなものが張られているらしい。

それは強力なもので、同じくらい強い霊感がなければ、入るどころか見つけることも難しい。

なのに久しぶりに来客が来たから驚いたよ、と神様は言っていた。

しかし、ならばおかしな話だ。

私は冒頭にも言った通り、特に何の力もなく、至って平凡な女子中学生。

霊感だってゼロに等しい。

では、なぜ私はこの神社に入ることができたのだろうか。


「それは百合ちゃんが普通の人間ではないからだよ」

「つまり……、何かの力が目覚めたってことでしょうか」

「いやごめん。その可能性はないかな。ただ……そうだね。人間よりのもっと違うなにか、っていう可能性のほうが高いのではないかな」

「人外ってことですか」

「う、うーんまあ、まだ可能性なだけであって確定したわけではないけれど。何かもう少し良い言い方ないかな……」


苦笑する神様を前に、私は考え込む。

前々から、桜田さんのような人たちに対抗するべく、自分が見ただけで恐れ慄くような存在になれないかとは思っていた。

それがまさか、こんな形で近づけるとは思ってもみなかった。

特に自分の容姿がおぞましく変化するわけではないけれど、何もなかった私に人外かもしれないという可能性が加わったおかげで、少しだけ自信が持てるかもしれない。

だが、ここで調子に乗れば後で何者かに消されることは目に見えているので、おそらく明日も何も変わらないのだろうけれど。

ただ、少しだけ明日は半袖で行ってみようかなと心を鳴らせながらそう思った。


「そうだ。そういえば私の名前を言っていなかったね。私は夏芽。夏っていう字に芽って書いて夏芽」

「夏芽、さん」

「うん」


私が名前を呼ぶと、夏芽さんはふわっと綺麗に微笑んだ。

だが、その微笑みの中に一点の曇りがあることを私は見逃さなかった。

嬉しさに少しだけ悲しいような感情を混ぜた皮肉にも綺麗な笑みは、元々が美しいだけあって私は目を離すことができない。

しばらく釘付けになっていれば、微笑みは楽しそうな笑顔に変わり、悲しい感情は消える。


「百合ちゃん、ここで気持ちよさそうにぐっすり寝てたね。眺めてて楽しかったよ」

「……寝顔って眺めてて楽しいですかね」

「ふ、ふふっ……! だって百合ちゃんよだれ垂らしてたから……っ」


先ほどの綺麗な笑みが嘘かのように、今の笑い方はおっさんである。

私はあの笑みが気がかりだというのに、そんなことつゆ知らず彼女は大きな声で笑う。

私が顔の前で手を振っても全然起きないの、いやー面白かった。

そう言って、ケラケラと腹を抱えて私のよだれ如きで笑い転げる姿は、やはりどこからどう見ても神秘さのしの字もなく、神様とは程遠い存在に思えるのだった。

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