第59話 その後

 マクスファーの館を出た外の光景は光風霽月をそのまま景色に投影したようだった。門前に立つのはイシュメル、アーロ、ミハ、そしてエリーレだ。

「エリーレさん、もういいんですか?」

「お陰様で快調よ」

 エリーレは清々しく笑った。

「それで、マクスファーは?」

「俺が見る限り、大丈夫だと思う。今後はあの実直さを、いい方向に発揮してくれると思う」

「それで、タイチはこれからどうするの? 故郷を滅ぼした幻鬼はもういないんでしょ?」

「でも、幻鬼術師の中にはまだ神威衛士との戦いを望んでいる奴もいる」

 アーロがデリトリオン神殿の方角を見据えた。

「それじゃ、タイチさんは?」

「俺は、いったん赤の帝都を離れようと思う」

 誰も驚かなかった。タイチは続ける。

「コトミさんの墓参りのためと、俺の気持ちに一区切りつけるための一時的な里帰りだ」

「一時的?」

 エリーレが繰り返す。

「そうさ。そして戻ってまたカニバリズムで戦う。ここに居る、皆を守るために」

「タイチ」

 イシュメルが前に歩み出る。

「そうだ、まだイシュメルのお兄さんも見つかっていないだろう?」

「タイチ、わかっているのよね? アンタが言った皆の中には自分自身も含まれていること」

「当たり前だ。テトラ姉ちゃんやコトミさん、それに皆に助けられたこの命を、幻鬼に簡単に渡してなるものか」

 タイチはデリトリオン神殿の前に立った。神殿の光景は、今までとは何かが違って見えたが、それは先日のダーケスト・フォーに一部を破壊されたためだけではないだろう。人の中の決意は時として、自分の周りの世界をも変質させる力を持っている。

「さあ、行こうか」

 こうして一人の若者は前へと歩みを進める。タイチが生き残るための戦いは、まだ始まったばかりだ。


(了)



 一定の距離を保って赫々と輝く炬火の灯が、どこまでも続く螺旋階段の奥へと誘う。その螺旋階段の行き着く先に待ち構える鉄製の大扉の先では、黒衣に身を包む幻鬼術師達が互いに檄を飛ばし合っていた。

「こうなれば神威衛士共との全面戦争あるのみだ!」

 血の気の多そうな一人がそう叫び、その熱狂が周囲の同胞に伝播する。

「何を血迷ったことを! マラダイト様の御遺志を忘れるではないぞ!」

 彼らに対局するようにして立つ別の一派がそれを諫める。彼らはかつて、赤の帝都で大手を振るい、一時は神威衛士を滅亡の瀬戸際まで追い詰めたマラダイト一門の弟子達であった。偉大な幻鬼術師、マラダイト=キングレーをカニバリズムと呼ばれる神威衛士との決闘で失い、次の依り代とするべきマラダイトの旧友の息子、ノルガ=ギストリも行方をくらましてしまい、後ろ盾を失った彼らの勢いは完全に消沈しきっていた。その挙句が毎晩のごとく、実りのない会合を開いてはくさぐさの派閥に分裂するという、組織の衰退を早めている始末である。

「一同、落ち着かれよ!」

 脂ぎった額をかがり火に照らした中年の幻鬼術師が唾を飛ばしながら声高に叫んだ。マラダイトの甥にあたる幻鬼術師、ポズル=キングレーである。その生い立ちからすれば、残ったマラダイト一門をまとめ上げるのは彼にとって宿命となるはずだった。ところがポズルは不幸なことに、伯父のマラダイトとは雲泥の差以上に幻鬼術の才覚に恵まれていなかったのである。生まれだけの無能力者が軽視されるのは幻鬼術師の世界とて、例外ではなかった。誰一人としてポズルの言葉に耳を傾けることもなく、自分の主張ばかりを前に並べている。ポズルはいよいよ立つ瀬が無くなった。

「ポズル様・・・・・・」

ただ一人、自らの宿命に向き合いながらも無力さに葛藤するポズルに同情する視線が有った。ユリネ=ケーベレである。マラダイトに幻鬼術師としての才覚を認められて寵愛を受けて以来、彼女はその身内であるポズルにも相応の敬意と忠誠心を示していた。

「いや、いい。ユリネ。俺にもっと幻鬼術の技量さえあれば・・・・・・」

 自らの無力さにポズルが視線を沈めたその時である。広間の大扉が突風でも吹き込んだかのように勢いよく開け放たれた。議論に白熱していた幻鬼術師達の目は一斉にそちらへとねじ向けられる。

「何事だ! 神威衛士か?」

 人が殺気立って鬼招杖を構えた。幻鬼を召喚するその杖をカニバリズム以外の場で使うのは法度とされている。マラダイトが再三にわたって門弟達に言い渡した教えの一つである。

「まあ、何と落ちぶれたこと」

 舌足らずな少女の声が広間に小さく反響した。桃色の前髪の垂れるその下に浮かび上がる背気魄の少女の顔が、駄々っ子のように振る舞う大人達に侮蔑の目を向けていた。

「貴様は!」

 その顔を見たポズルは戦慄を覚えて声を喉に詰まらせた。その見覚えのある顔は、テイセリス帝国の南の都市、アランデンを牙城とするマラダイト一門とは別の幻鬼術師一派、ユークリア一門の首領であった。

「ミネス=ユークリア! 貴様がなぜここに?」

 ポズルの動揺を何とも思わず、ユークリアとその取り巻き達が広間に次々と躍り出る。精悍で屈強そうな少数精鋭の部下達を率いるのが不自然なくらい、ミネスと呼ばれた少女はまだ幼く、その外見はいたいけだった。先頭を歩く足音は一段と小さく、きめ細かだったのだ。それでもその面差しには実力に裏付けられた自信と底光りする野心が確かに宿っていた。

マラダイト一門の残党達は潮が引くように隅へと追いやられた。

「なぜって、決まっているでしょう。マラダイト亡く、ノルガ=ギストリも行方知れずとなった今、誰が赤の帝都の幻鬼術師を束ねていくというのですか?」

 もちろん、自分以外に他にない、とは言い出せなかった。ユークリア一門だけでなく、身内からさえ顰蹙を買うのは間違いないからだ。

「幻鬼術は今、存亡の危機に瀕していると言っても過言ではありません。だからこそ、四大幻鬼術の中でいまだ最大勢力を温存しているユークリア一門が赤の帝都に進出し、神威衛士を駆逐する旗本となるべきです」

「世迷言を! 貴様ら異端のユークリア一門が幻鬼術を束ねるなど!」

 ポズルの発したその言葉は途中で奇妙に途切れた。ミネスと視線を合わせた途端、蛇に睨まれたような底知れない恐怖を覚えたのだ。それを詳らかに形容するのは難しいが、ただこれだけのことは言える。彼女に逆らえば間違いなくこの場で全員が抹殺されると。

「お分かりいただけたようですね。私の言葉が」

「我々をどうするつもりだ?」

「ただ傍観していればよいのです。私達が神威衛士を滅ぼすその様を」

 ミネスはあどけなさの残る唇で微笑した。

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ある人の実話 @Naoka

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