第58話 去る

「この戦いが俺の敗北だということは認めよう。だが、それは幻鬼術師の敗北までは意味しない。やがて俺を超える幻鬼術師が再び貴様らの前に立ちはだかるだろう」

「望む所だ。今日みたいなことが起こらないよう、俺はカニバリズムの中でお前達の暴挙を止めてみせる」

「一つ聞かせてくれ。帝国の防衛と領土拡大のために幻鬼の力が欠かせないのは貴様もわかっているはずだ。その幻鬼を倒す貴様は、帝国のためを本気で考えているのか?」

 タイチは剣先を下ろした。

「俺が幻鬼と戦うことがどう思われようと関係ない。俺達神威衛士の反抗が帝国の不利益になるのかどうかは、歴史学者が好きにすればいい。今はただ、大事な人と皆で生き残りたいから全力で戦う。それで十分だ」

「面白い。貴様が何を成しうるか、地獄の底でとくと見物をさせてもらう」

 杖を捨て、踵を返したノルガは青い炎に溶け込むように姿を消した。幻鬼と共に消滅したのか、混乱に紛れて東の辺境に戻ったのか、彼のその後の行方を知る者はない。



 ダーケスト・フォーによる暴挙は幻鬼という未知の怪物の潜在リスクを世間に知らしめる決定的な珍事となるのだった。この事件を神威衛士が死闘を演じて被害を最小限に食い止めたことで、カニバリズムは最早継続する意義さえも失われたかのように見えたのである。

「そうか、カニバリズムは終わらないのか」

 ダーケスト・フォーとの戦いに一旦参戦したマクスファーは己の罪を償うべく、再び謹慎処分を甘受していた。そこへタイチが面会に訪れたのである。

「あの事件の後、幻鬼術師の長達が皇帝に進言したらしい。あの事件は狂気沙汰のノルガによる単独犯であり、固い規律を守る自分達が同じ不祥事を起こすはずはないってさ」

「それで言いくるめられる皇帝も皇帝だな」

 マクスファーは呆れたように笑った。

「アンタが神威衛士の皆を騙してカニバリズムを継続しなくても、もしかしたら俺達は今のように戦っていたかもしれないな。神威衛士を体よく葬り、幻鬼術師に鞍替えしたい皇帝の掌の上で。ところでマクスファー、渡したい物がある」

 タイチは鉄格子の間から手を入れてノルガに何かをつかませた。ノルガが指を開くとそこには紫位の神玉が燦然と輝いていた。

「これは」

「ノルガがマラダイトから奪ったもの。つまり、ニューギル家が守ってきた神玉だ」

「本当に、夢ではないのか。十年間、僕が夢見た瞬間が、こんな突拍子もない形で実現するなんて」

「ここまでして無念を晴らすのに気勢を上げるなんて、そんなにニューギル家とは親密だったのか?」

 マクスファーは紫位の神玉を胸に当てると上を見た。

「そうではない。これがマラダイトの手に渡ったのは、僕のせいなんだ」

「どういう意味だよ?」

「僕は祖父や父から、幻鬼術師は絶対悪だと教えられて育ってきた。奴らは神威衛士から神玉を奪い、無用の殺戮を繰り返すのだと。子供だった僕はその言葉を当たり前のように鵜呑みにしてきた。そして僕の中で育っていた幻鬼術師への憎しみは思わぬ形で暴発することとなる。ある日、神威衛士の公用に同行した僕は偶然、幻鬼術師の連中と鉢合わせした。その時僕は、衝動的に彼らにカニバリズムを申し込むと大口を叩いてしまった。まさに蛮勇だったよ。だが、その時の僕はまだ神玉を宿していなかった。当時のカニバリズムのルールからすれば、僕が負ければ現当主の持つ紫位の神玉を引き渡さなければならない。幻鬼術師達は手を叩いて喜んだ。何を隠そう、僕がカニバリズムを申し込んだ相手はよりによってあのマラダイトだったんだ。エンゲルト家にとってその日は青天の霹靂となった。カニバリズムを辞退するのが最善の策だったが、それでは家の地位に傷がつく。家中が必死になって知恵を絞り出した結果、名誉も神玉も守るある一つの方法が浮かんだ。それはエンゲルト家の遠縁であるニューギル家に代理でカニバリズムに出場してもらうというものだった。そして選ばれたのが十五歳で紫位の神玉を継承したレイナ=ニューギルだった。彼女は顔色一つ変えずに引き受けたよ。自分でも望んでもいないこの絶望的な戦いを、だ。僕が身の程もわきまえずにこんな事を言わなければ・・・・・・こんな事を言っても仕方が無いか。結局彼女はマラダイトに敗れた。悲惨なのはその後だった。事情を知らない他の神威衛士達は、若い世間知らずの浮薄な小娘がマラダイトに喧嘩を吹っ掛けた挙句に醜態をさらし、神威衛士の至宝たる神玉をみすみす売り飛ばしたのだと謗られることになった。本当に批難されるべきは僕だったのに、事実を明らかにしてしまってはエンゲルト家の名誉に更に傷がつく。だから僕は知らない素振りをしなければならなかった。本当に、僕は最低の神威衛士だ。だからせめて、彼女が奪われた神玉は僕自身の手で取り戻されなければならなかった。そこへ君が現れた。君が《七階説》の神玉を持っているかもしれないのに、自分から幻鬼と戦おうとする姿が昔の自分に重なって見えたよ。コトミの進言もあったけど、君をカニバリズムに出したくなかったのは僕自身の本音でもあった」

「これから、俺は・・・・・・」

「わかっているよ。もう君を止めることはしない。今の話を聞いた通り、僕は君の意志に干渉する資格がないから。それと、紫位の神玉を取り戻してくれてありがとう。これで未練はなくなった」

 マクスファーの声から生気が抜けていく。

「マクスファー。部外者の俺がこんな事を言うのもお節介かもしれないが、レイナ=ニューギルという人が本当に守りたかったのは、本当に神玉や家の名誉だったんだろうか?」

「どういう意味だ?」

「俺は、お前が神威衛士として今後も皆をまとめてくれることを、その人が本当に望んでいた気がする。守りたかったのは、お前自身じゃなかったんだろうか」

 タイチが部屋を出る寸前のことだった。

「そうだとすれば、僕は最後まで彼女を! なんてことだ!」

 マクスファーが嗚咽を漏らした。でもこれでよかったのだとタイチはわかった。その時のマクスファーの声は、これまでの言葉の羅列ではなく人間味が籠っていたからだ。



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