第56話 殲滅

 幻鬼の騎士は一人も生かさないつもりらしく、命乞いをする彼にさえ、無情の剣を浴びせた。人血を大いにすった剣を携えながら、ダーケスト・フォーはデリトリオン神殿の壁に出来た大きな割れ目から市街地を目指す。瓦礫の間から身内や家財を探し、何が起こったのかもわからず呆然と神殿の中を覗き込む帝都の住人達は血相を変えて逃げ惑った。コトミが身を擲って攻撃を幾分和らげてくれたにもかかわらず、街は既に阿鼻叫喚の地獄とも呼べる酸鼻極まる光景となっていた。

「幻鬼め! これ以上勝手にさせるか!」

 ダーケスト・フォーが壁の中を通り過ぎようとしたころ、神殿の見張り塔から一つの人影が飛び降り、真っ直ぐ幻鬼の真上に急降下した。幻鬼を止めるべく、名前もわからない神威衛士の一人が奇襲を仕掛けたのだ。上空から振り下ろす斬撃は正確な狙いだったが、その速さと重さは幻鬼を倒すには身の程知らずともいうべき程度だった。彼が剣を振り下ろすより早く、幻鬼は剣先をすくい上げる。その剣先が点を指し示す下で、戦いを挑んだ神威衛士の身体は地面に平伏していた。

「どれだけ殺せば気がすむんだよ! お前達は!」

 タイチの横殴りの剣がダーケスト・フォーの胴をえぐった。勢い余った剣は鎧を貫通することなく、その上を滑るだけだった。

「ダメだ、硬すぎる」

 タイチは剣を退かざるを得なかった。幻鬼の騎士はそれ以上追わない。竜の兜が向いた先は帝都市街地の奥深くだ。そこには神殿の周囲の数倍の人口を抱えている。そこに幻鬼が侵入すればどれだけの被害が生じるかは想像もつかない。

 幻鬼は数歩歩いた所で歩みを止めた。取るに足らなくとも、何度も横槍を入れてくるタイチをいい加減煩わしく思ったようだ。構えた剣先はタイチを見据えたものだった。

「お前だけは何としても生かせない。これ以上、幻鬼には誰も殺させない! テトラ姉ちゃんが守ろうとしたものは、俺が守る!」

タイチは全身玉の力をヴィルテュに込めた。掌を介して膨大な力が一振りの剣にどこまでも流れ込んでいく。その剣を振ればあの鎧も流石に打ちひしがれるはずだ。ただし、それと同程度の反力がタイチにも伝わってくる。そうなればタイチは内臓が破裂して命にも関わる危険があった。まさに自分の命を代償にした最終兵器を使わなければならないほど、タイチは焦燥に駆られていた。

「何でだろうな、こんな時に色んな人の顔が浮かんでくる」

 赤の帝都に来て、数週間の間に出会った人々の顔が水泡のように浮かんでは次々と消えていく。最後にエリーレの輪郭が消えた跡、いよいよタイチは足を前に踏み出した。

「お前はこの世界に居ちゃいけないんだ! 俺があるべき世界に連れて行ってやる!」

「待って!」

 駆け出したタイチはその声に足を止めた。幻鬼もタイチを仕留めるつもりで剣を薙ごうとしたが、上空から衝撃波が飛んできてタイチと隔たれた。飛散する土塊から目を閉じた時、タイチが触れたのは温もりのある人肌だった。

「ダメだよ。こんなの」

 耳の傍でイシュメルのすすり泣く声がタイチの耳に流れ込む。タイチの身体はイシュメルに抱擁されていた。

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