第50話 乱戦

 コトミはダーケスト・フォーと慎重に間合いを詰める。観客達は食い入るようにコトミの長い両脚を、そして繊手に握られた剣を注視した。流星のごとく現れた凄腕の幻鬼術師と、伝説の神威衛士が剣を交えるその歴史的瞬間を確かにこの目で押さえようとしたのだ。ところが彼らの思惑は思わぬ形で裏切られてしまう。コトミは何らの前兆も示さず、気が付いた頃にはダーケスト・フォーと剣を交えて火花を散らしていたのである。

「この速さも想定内か」

 コトミは素早く剣を退くと、正面からの斬撃から水平に払うように剣を返してダーケスト・フォーの脇を狙う。途中で繰り出される幻鬼の突きを紙一重で避け、いよいよがら空きになった胴を斬りつけようとしたその時だ。コトミは剣から伝わる反動に手の間隔を鈍麻させた。甲冑を斬りつけたにしても、振動の伝わり方が局所的だ。それもそのはずである。彼女の剣を受けたのは黒の甲冑ではなく、肘を精巧に曲げて防御の構えを取ったダーケスト・フォーの曲刀だったのだ。

「その剣をいつの間に?」

 無論、両手用の剣を二本握っているわけではない。ただ、コトミがやり過ごしていたと思っていたはずの突き攻撃に繰り出した剣先を素早く戻して先回りさせていたのである。

「くっ・・・・・・!!」

 コトミはダーケスト・フォーから飛び退いた。人間とは体の作りが根本から違う幻鬼が、これほどまでに剣に熟達しているとは、百戦錬磨のコトミにも想定外のことだった。

「さすがはノルガ殿! あの憎きコトミ=ハウスタインが手も足も出ず、業を煮やしておりますぞ」

「これでお父上の汚名もそそがれますな」

「何だと?」

 ノルガが顔にしわを寄せて振り返る。

「これは失礼! 何か気に障ることでも申し上げただろうか?」

「父の侮辱を、当然のように語るなぁ!!」

 ノルガは声を荒げて闘技場の中心で激昂する。その声に一番先に反応したのは主人にどこまでも忠実な幻鬼だった。コトミを遠ざけたダーケスト・フォーはいち早く主人の下に駆けつけると、無礼を働いた二人の神威衛士を一刀の下に斬り捨てる。そのうち一人はその場で絶命した。

「なぜ、・・・・・・貴様!!」

 もう一人も折り重なるようにしてその場に倒れた。それと同時に二人が従えた幻鬼が悶えるような咆哮を上げると、神威衛士に戦いを挑む前に各々崩れ落ちて灰燼に帰した。

「ノルガ殿? 一体何を?」

 唯一己の命と幻鬼の両方を保ち続けているユリネが驚愕して振り返る。

「どうやらあなた達、利用されたようね。あのノルガ=ギストリという幻鬼術師に」

「なっ!」

 利発なエリーレには何が起きたか、状況の八割程度を一瞥で悟ったようである。ユリネも半信半疑ながらも、やがて水面に衣を浸すようにその考えが徐々に浸透してくるのだった。

「そこ、隙が出たわよ!」

 跳躍したエリーレが空中で身を翻しながら彼女の全体重を掛けた斬撃攻撃に転じる。ブラッディワスプは羽を左右に旋回させると空中をもんどりうってそれを避けた。

「卑怯な、騙し討ちとは!!」

「戦いの最中によそ見するのが悪いんでしょ。これはある人の言葉だけど、剣術には残心というものがあるらしいわよ。厳密には今のとは少し違うけど、要するに真剣勝負で油断してはならないという戒めは、この状況にも十分当てはまるわ。それにしても、今のは惜しかったわ。何で失敗したのかしら。体重が軽すぎたから斬撃に力が籠らなかったのかしら。こんな時、ナイスバディな身体って不便よね」

「はあ? 何言っているのよ! アンタこんな時に自分のスタイルを自慢したいの? ていうか、そんだけ胸デカいのに体重軽いとかおかしいでしょ?」

 ユリネはその楚々とした外見に似合わずがらっぱちな言葉を連発し始めた。目の前で同志の幻鬼術師が二人、味方であるはずのノルガに抹殺される状況でこんな話をするのは不謹慎というものだ。だが彼女のこの行動の裏には深淵な意味が隠されている。目の前で起きた不測の事態に動揺していては、エリーレにつけこまれる隙を与えるのでかえって話題を反らしたのだ。所詮ブラッディワスプは青位の神玉で召喚された幻鬼であり、紫位の神玉を持つエリーレに対してどこまで戦えるかはわからない。しかも最近カニバリズムにデビューしたばかりのユリネはエリーレの経験と並べれば赤子に等しい。このように、実力と経験で劣るので、気力だけはせめてエリーレと対等位にはしておきたかったのだ。

「え、何のことかしら?」

「とぼけんじゃないわよ! 胸デカいくせに体重軽いとか、物理法則に反し過ぎているでしょ?」

「知らなかった? 神玉って、この世界のあらゆる自然法則を超越するのよ」

「ごたごた屁理屈言ってんじゃねえよ!! この雌豚」

「下品ね」

「こっちは幻鬼術の才能が有ったばかりに親にも見捨てられてんだよ! 幻鬼術師なんて縁起が悪いっていう根も葉もない先入観のせいでさ!! そんな私をマラダイト様だけが実の娘のように慕ってくれたんだ! 育ちのいいアンタ達とは違うんだ」

「育ちがいいか。確かに私も生まれは名家だけど、決して裕福に育ったわけでもなくてよ」

「知ったことじゃねえ。そんだったら見せてもらおうじゃないか! アンタが見て来た修羅場をさ!!」

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