第47話 経緯

 エリーレは俄かにタイチの手をつかみ、階段を駆け上がった。ライトブラウンの髪が滝のようにしなやかに曲がる。

「どうしてここへ?」

 エリーレが連れて来たのはセントラル=コミュニティの一番高い尖塔の頂上。それは赤の帝都の中で最も高い場所だった。西にはデリトリオン神殿、その隣には皇帝の居城が巍然とそびえている。丁度外の街は夕闇に沈む所だった。次第に陰りゆく街から静寂と灯が浸潤してくる。

「あの屋敷、見えるかしら?」

 エリーレは北の方角を指した。密集する建造物の中に一際、遠景の屋根が被さった大きな屋敷がそこにあった。

「あの屋敷は・・・・・・」

「帝国でも屈指の商人、グラスフートの屋敷よ。そして、私の家だった所」

「家だった所?」

「あの時は詳しく話さなかったけど、もしよかったら聞いてくれないかしら? 生まれ変わる前のエリーレ=クレイゼルという一人の少女の人生を」

 エリーレは屋敷から背を向け、タイチに向き直る。

「私が元々神威衛士の家柄でないことは聞いたよね? 私の本当の生まれはグラスフート家という大きな商家の生まれ。父は絹の交易で一代にして莫大な富を築いたの。大きな屋敷で生まれ育った私には弟と母、それに色んな親戚と使用人が一つ屋根の下に暮らしていて、毎日が晩餐会のような優雅な暮らしだったわ。何不自由なく育った私にはその時皆が家族だということに疑いはなかった。あの日まではね」

「あの日?」

「ある日、行商に出ていた父が病で急に倒れたの。それが父の最期だった。それでね、これまで父が築いた商売を私と弟のどちらが引き継ぐかが問題になった。私は別にそんなのどっちが継いでもいいと思っていたわ。でもね、今まで家族と思っていたはずの私の周りの親戚達は密かにこの日の到来を見越していたのでしょう。仲良く暮らしていたはずの家族はその日を境に私を跡継ぎにする勢力と、弟を跡継ぎにする勢力とで激しく対立したわ。丁度今の神威衛士と幻鬼術師みたいにね。その当時は、弟は六歳で私は十三歳だったから大筋の見込みでは私が後取りになるはずだった。その時、一つの事実が暴露されたのよ」

「一つの事実?」

「私ね、実はグラスフート家の子供じゃなかったんだって。本当は両親のどちらも既にいなくなった親戚の子供として生まれた私を父が引き取っていたの。それが決め手となって、結局は弟が継ぐことに決まったわ。本当の地獄はそこからよ。父の嫡出子でないとわかった以上、たとえ弟がいなかったとしても、私にグラスフート家を継ぐ権利はない。それを知った親戚や使用人達は翻意したように私を疎ましく思うようになったわ。その時に私はやっと気づいたの。彼らは私をエリーレ=グラスフートとしてではなく、グラスフート家の長女として接していたんだって。そんな家にいつまでもいられないのは当然でしょう? 家を捨て、名前を変えた私はとにかく自分の力で生き抜きたかった。自分が生まれだけの人間ではないと証明するためなら、何でもするつもりだった。だから最初はいろんな店で働いたわ。でも、私って結局はお嬢様よ。容姿で雇ってくれはしても、生意気な態度が仇になって結局長くは続かなかった。こうして路頭に迷った私は世の中からこぼれ落ちて死ぬんだと覚悟した。そんな時に私を拾ってくれた人がいたのよ」

「それって」

「とりあえず、その人のことは先生とでも呼んでおくわ。先生はね、神威衛士だったの。身寄りのない私を気の毒に思って、屋敷で小間使い代わりにおいてくれたわ。こんな私をどうしてって思うでしょう? なぜなら先生はその当時、《呪われた剣鬼》と呼ばれていたからよ。私を拾ってくれた先生には、なぜか多くの敵がいたわ。野盗、無法者がほとんどだったけど、その中には時折神威衛士の姿を見たわ。そして先生は、自分の命を狙った相手に決して容赦しなかった。たとえ敗北した相手が命乞いをしても、容赦なく斬り捨てたわ。こんな優しい先生がどうして命を狙われなければならないのか不思議でたまらなかった。だから私は、先生のお遣いに街に出た時、通りがかった神威衛士の一人にそのわけを聞いたの」

「それで」

「今から思えばそんなことを聞くんじゃなかった。用事を済ませたら、真っ直ぐ帰るべきだったのよ。そこで聞かされたのは、先生が《呪われた剣鬼》と呼ばれていると聞かされた。私には何のことだかさっぱりわからなかった。それで先生にそのことを聞いたの」

 エリーレは唇を噛みしめる。

「その時の先生の顔は、今でもよく覚えている。眼光は抜き身の剣みたいに鋭くて、私に声を掛けてくれた時とはまるで別人みたいだった。どうしてそうなったかといえば、《呪われた剣鬼》のことを知ってしまったからよ」

「一体どういう意味だ?」

「《呪われた剣鬼》という言葉は、神威衛士のことではないの。私の持つ紫位の神玉は、他の神玉と違って流血と共に受け継がれてきた紫位の神玉、それが《呪われた剣鬼》の正体よ。世界に七つある紫位の神玉の中で、私の持つこれだけは代襲とは別の方法で受け継がれてきたの。もちろん、先生も前の神威衛士から力ずくで奪ったんでしょうね。だから先生の神玉を奪おうと、多くの刺客が襲ってきた。先生にとっての敵は自分以外のほぼ全ての神威衛士だったのよ。そんな誰も信用できない世界の中で、私のような何も出来ない少女にだけ、安心感を抱くことが出来たのでしょうね。ところがその私までが《呪われた剣鬼》に関心を持ったと思ったのよ。私は怖かった。だって今まで私が見ている前で、《呪われた剣鬼》を狙う人達は皆先生に殺されたんだもの。そのとき先生は、それ以上何も言わなかったけど、いつか私もその一人になるかもしれない。いよいよ恐怖に耐えかねた私は、時たま現れた凄腕の神威衛士に先生が手傷を負わされた隙に・・・・・・」

 エリーレはそこで口を閉ざしてしまった。

「これが神威衛士、エリーレ=クレイゼルの始まりよ。結局、先生は本当に私を殺すつもりだったかどうかは今となってはわからない。でもそれが言えるのは、今の自分が命を狙われる心配がないからかもしれないのだけど。だから私の命なんて心配する価値なんかないのよ。つまらない自尊心で家を出て、周りに散々迷惑をかけた挙句に恩人にまで仇を成して。きっとこの状況はその報いよ」

 エリーレはさっきからずっと後ろを向いている。

「長い話になったわね。暗くなったし、もう戻りましょうか。でも、最後まで話を聞いてくれてありがとう。誰でもいいから、私が生きた証を知ってほしかったの」

「えっ?」

 タイチが驚いて振り返るころには、エリーレは手すりを飛び越えて階段を下って行った。

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