第39話 強敵
「ちょっと、タイチってば! どこに行くのよ!!」
血相を変えてカニバリズムに駆けつけようとするタイチの後ろからイシュメルが追いかける。その二人を見かけたアーロが更にその後ろを追いかける。
「マクスファーはカニバリズムの出場を禁止しただけだ。観戦だったら別に問題ない!」
「それ、屁理屈よ!」
神威衛士は原則的にカニバリズムの観戦料が必要ない。それでも慌てて駆け込む三人の姿を見れば、神官が見咎めるのも無理はない。
「何だ、君達は!」
神官のこだまする声は遥か遠方で小さく響いた。
「ここか!」
神殿を周遊する回廊からタイチは日差しの射しこむ出口を見出した。幾十にも敷かれた闘技場の一番下の席で、タイチは観戦席の前の欄干に身を乗り出す。そこにはマクスファーと対峙するマラダイト=キングレーと、ノルガ=ギストリという長身痩躯の幻鬼術師が寄り添うように立っていた。顔中に赤々しい生傷を負うその男は二十を超えたあたりと思われた。ただ、眼光だけはまるで何かに執着するように対戦相手の神威衛士に向かって鋭く光り続けていた。
「随分と大きくなったの」
マラダイトはまるで孫にでも会うかのような温和な口調だった。一方でマクスファーの方は憮然としている。
「数日前、お主の部下に言伝を頼んだはずじゃが」
「しかと受けた。だが答えは否だ」
マクスファーは剣をゆっくりと引き抜いた。比較的刃幅の広い片手剣が陽光を受けて白く光る。
「これがその理由か?」
マラダイトのしわがれた手には紫色の光を散乱させる神玉が握られている。
「今日こそその神玉は返してもらうぞ」
「因果じゃの。かつてこの神玉を奪ったレイナ=ニューギルの次に、お主を殺さねばならんとは」
マラダイトは杖を水平に構える。
「ではよかろう。お主に戦士としての華々しい最期を贈ろう。異界を統べる幻鬼の王者よ! 我が至高の神玉の下にその力を求めん!! これが最強の幻鬼ぞ!! 岩竜、シェルリザード!!」
フラウの時とは比べ物にならないほど巨大な魔法陣が闘技場の面積の大部分を埋め尽くす。徐々に高くなるそこから岩山の影が顕現する。しかし、頂まで上るとそれが岩山でないことはすぐにわかった。全身を岩の鱗で固めた巨大な竜がマクスファーを見下ろす。
「これが、幻鬼だと?」
岩のような竜の頭を見上げるマクスファーはたじろいだ。
「ノルガよ、お主も幻鬼を呼び出すがよい」
「承知、長きに渡り歴史の陰に隠れたギストリ一門の幻鬼術を今こそ披露しよう」
ノルガは杖を垂直に立て、全身の力で大地を突いた。するとそれを起点に魔法陣が出現して、その上に何かの影が浮いた。背中の翼をはためかせる鳥の頭をした人間が地に足をつける。
「これが俺の幻鬼、デビルホークだ」
「蛇の巨人じゃない」
タイチは半分期待が外れた気がした。それにしても一体彼は何者だろう。
「二人同時にかかって来い、いや、二匹か!」
マクスファーが最初に狙ったのは岩のような巨大な竜、シェルリザードである。甲冑に身を固めているとは思えないほどの健脚で前足からよじ登り、肩のあたりから飛び降りると横合いから顔面を斬りつける。しかし、岩で固めたその皮膚をつんざくのは容易ではない。マクスファーの剣は火花を散らしながら岩の上を滑るだけで、傷の一つも負わせなかった。
「さすがに、エッセンスなしでその身を切り裂くのは無理か」
マクスファーもある程度は予想していたらしい。
「ならばこれならどうだ! 《魔一閃》!!」
マクスファーの渾身の片手突き攻撃。エッセンスで強化した攻撃力を突きの一点に集中させることで更に威力を高めた剣技である。それを防ぐ盾などこの地上には存在しない。その剣から唯一生き延びるには突き攻撃を回避するほかないが、鈍重なシェルリザードにはそれが無理だ。
「どうだ!」
マクスファーの剣はシェルリザードの喉元を突いた。岩に鋼をぶつけた甲高い衝撃音が余韻を残しながら消えた。
「何だと?」
シェルリザードの皮膚は、一体どこを狙ったのかさえ分からないほどに傷の痕跡を残していない。他方で、マクスファーの剣は先端が欠けて小さな疵が夜空の星のように光っている。
「その程度かの?」
「これが紫位の力か? 同じ神玉なのに、なぜこうも戦力差があるのだ?」
「人間ごときが神玉を使いこなせることはない。使いこなしたとしても、その末に待つのは破滅じゃ」
「馬鹿な! この世界の神は人間に神玉を託したのだぞ! それを邪な道に使う幻鬼術師が何を言うか!」
「神が与えただと?」
突然、マクスファーの目の前を一陣の風が横切った。正確には、風としか認識できないほどの素早い何かがマクスファーとすれ違ったのだ。マクスファーがそれを知ることが出来たのは、彼の鎧に三本の爪の跡が残っていたからだ。
「何!」
爪痕から流血したマクスファーは片膝をつく。ノルガの背後に立つデビルホークの鍵爪が同じ色に染まっていた。
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