第31話 敵の首領
「そんなはずはない! ロタニアに勝利した幻鬼術師は図に乗って、神威衛士の持つ神玉を全て明け渡せと勧告してきたじゃないか!」
アーロが抗議の声を上げた。
「違うな。我らはそのような要求を突き付けた覚えはない。むしろ、マラダイト様を筆頭とする我らキングレー一門はかねてより神威衛士との共闘を望んでいた。我らが差し伸べた手を拒んだのは、貴様らの首領格であるマクスファー=エンゲルトである。今でさえ、寛大なマラダイト様は神威衛士と幻鬼術師が提携する時を心待ちにされているというのに、奴はそれを否定する」
「マクスファーが?」
フラウの言葉の真贋に関わらず、タイチ達は驚愕していた。幻鬼術師と神威衛士が本当に手を結べるのであれば、カニバリズムで血を流すのがいかに虚しいことか、と。
「でもお前達はミュートフ村を襲った。アンタ達の親玉が何を言おうと、それだけは歪めようのない事実だ!」
「あれは我らの仕業ではない。幻鬼術師の世界も一枚岩でなくてな、ミュートフ村を滅ぼしたのは幻鬼術師の中でもとりわけ異端の者だった」
「知っているのか? そいつを」
「知ってはいるが、幻鬼術師の汚点をわざわざこの場で教えたとしても、貴様らにとってはすぐに無縁の話となろう」
「じゃあ、勝てばいいんだな? 勝てばソイツのことを教えてくれるんだな?」
「何だと?」
タイチの身体が急に動きを取り戻した。痛みも今は消えている。それは傍から見るフラウもわかっているらしい。
「多少の痛みは消えても、完全に治癒されてはいまい。奴が力を回復するまでに止めを刺せ」
イエロードッグはどこまでも主人の命令に忠実だった。立ち上がったタイチに牙を立て、低い唸り声を上げながら喉元に牙を突き立てようと虚空に飛び上がる。その牙がタイチに触れるか触れないかの時だった。
「かかったな!」
その時タイチはヴィルテュを鞘に収め、柄に鎖を繋いでいた。それを抜き放つと同時に解きほぐされた鎖分銅をイエロードッグの頭に掛ける。
「何だと!」
鎖分銅はイエロードッグの首を三周して、獣の悶絶する声を絞り出した。予期せぬ反撃にイエロードッグは鎖をかみ切ろうとするが、その頭上にはタイチの剣が迫っていた。
「下がれ!」
フラウの当意即妙な指示にイエロードッグは後ろ脚をばねに飛び退いた。それでもタイチの剣はイエロードッグの鼻頭を斬りつけていた。
「おのれ」
フラウは苦虫を噛みつぶした顔をしたが、タイチに恨み言を言う暇はなかった。鎖はいまだにイエロードッグを束縛したままだ。その先端はもちろん、タイチのヴィルテュに繋がれている。飛び退くと同時にタイチの第二撃が襲う。
「今度はどうだ!」
再びイエロードッグが腰を引くのを見越して、タイチはイエロードッグの胴の真ん中を狙った。重厚な筋肉と皮膚に守られた身体は鎧のように堅牢だということは、さっきの一撃で知っている。
「もっとエッセンスの力を引き出せば!・・・・・・《貫徹剣》!」
ヴィルテュの刀身が意志を持ったようにイエロードッグの身体に落ちていく。タイチは柄をぐっと握りしめたが、腕に響く反動は伝わってこなかった。代わりにその手で感じたのは、肉を切り裂く確かな手応えだ。
「馬鹿な!」
フラウが愕然として杖を落とした。さっきまでかすり傷さえ負わせられなかった新参の神威衛士の一撃がイエロードッグを葬り去ったのである。胴を半分ほど切断されたイエロードッグは断末魔の叫びを上げて地に伏した。その時の身体は二つに折れていた。
やがてイエロードッグの屍骸は油を撒いたように瞬く間に燐光に包まれる。激しい火勢の中で獣の体躯は溶ける様に形を崩し、やがて灰燼とその中に埋もれた神玉だけが残った。
「このカニバリズム、神威衛士の勝利とする!」
燃え尽きる幻鬼を見届けた司儀官の老成な声が闘技場に緊張の緩和と大歓声を巻き起こした。
「なぜだ! 貴様の身体は幻鬼の猛攻と神玉によって消耗しきっているはずだ! どこにそんな力が残っている? 貴様の神玉は一体何色なのだ?」
フラウは短く刈り込んだ頭を掻きむしり、その目を充血させて喚き散らした。
「お前は幻鬼術師にとって遠くない将来に災いを招くだろう。この場で」
フラウは杖を水平にして新しい神玉を取り出す。それは淡い緑色をしていた。
「緑位の神玉?」
イエロードッグよりも更に上の敵が新手として挑みに来る。タイチは手段を択ばなかった。勝負は既に終わっているはずだ。幻鬼を召喚される前にフラウ自身を直接攻撃するほかない。タイチは全速力でフラウを猛追する。
「お願い止めて!」
フラウに襲い掛かるタイチの前に風を切る一筋の矢が飛び去った。それは明らかにタイチを牽制する目的で放たれたものだ。
「イシュメル? 何で止めるんだよ?」
イシュメルは沈痛そうな表情をしていた。
「ダメなのよ」
「何が?」
「ごめんなさい」
イシュメルが黙秘する間に、フラウは着実に再戦準備を進めていた。
「しまった!」
呆然とする神威衛士を尻目に、既にフラウは詠唱を半ば終えていた。
「さあ、二回戦と行こうじゃないか!」
フラウはいよいよ神玉を擲とうとする。
「そこまでじゃ!」
その時、威容と貫禄を兼ね揃えた老人の声が神威衛士と幻鬼術師を留まらせた。それは司儀官の声ではない。フラウの背後に立ち、しわがれた手で神玉を持つフラウの手を抑える、見知らぬ老人のものだった。フラウと同じ黒の外套をまとうが、高齢になってもなお背筋が真っ直ぐに屹立しているのは外套の上からでも分かる。そして彼の背後には大勢の幻鬼術師が整然と控えていた。
「マラダイト様、なぜこのような場所に」
老人の落ち窪んだ眼窩を見たフラウは絶句した。マラダイト、それは赤の帝都で幻鬼術師の頭目を務める大物だ。
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