第29話 苦戦

「行くぜ!」

 タイチは勢いよくヴィルテュを抜刀する。焼きの入った鋼の澄んだ音がりんと響いた。鞘の鎖は剣と離れ離れで、鎖分銅は鞘に巻き付けられたままだ。アーロも槍を構え、イシュメルは一本の矢を弓につがえた。

「さあ、誰から来るかな?」

「もちろん、俺だ!」

 フラウから見て右後方のアーロが驀進した。敵であるフラウ以上に意外だったのは、味方であるタイチの方だった。いくら三人掛かりで戦っても、一人が前列に出過ぎては意味がない。それに剣と槍と弓を比べれば、接近戦には攻撃範囲の広い剣が一番向いているはずなのだ。

「待て! アーロ!」

「タイチ! お前は黙ってみていろ! 敵の注意を少しでも分散できれば十分だ」

 なるほど、アーロはタイチ達を戦力とはみなさず、彼の勝利の引き立て役としてこの計画を持ち出したわけだ。

「貴様から死ぬか」

 フラウの冷徹な言葉など、アーロは耳にすら入っていない。猪突猛進のごとく、槍の先鋒をイエロードッグに向けて飛びかかる。

「うるせえ! 俺はもう、誰にも見下されたくないんだ!」

槍を構えたアーロは寸前の所で地面を蹴った。飛び上がった位置から槍をやや下に向けて、彼自身が飛来する矢のようにイエロードッグをまっしぐらに狙う。

「何!」

 アーロが構えた槍はただ虚空を一直線に進むだけだった。その穂先が捉えるべき標的は既にアーロの背後にいる。アーロの渾身の一撃はイエロードッグに難なくいなされた。

「行け! イエロードッグ」

 イエロードッグは身体の向きを変えるとアーロに飛びかかった。牛にも劣らぬたくましい前足から延びた鍵爪がアーロの急所を狙う。

「イシュメル!」

「わかっているわよ!」

 イシュメルの放った一本の矢が目にも留まらぬ速さでイエロードッグの肩に直撃するが、鏃には突き刺さるだけの力がなかった。神威衛士の放つ矢は本来、石弓のように甲冑を貫く威力を持つ。養成学院での鍛錬でタイチはイシュメルの腕前を何度も認めてきた。

矢はイエロードッグの皮膚に跳ね返されると静かに地面に落ちて、体の向きを変えたイエロードッグの後ろ脚に踏みつぶされた。まるで子供が悪戯半分に石を投げたように、イエロードッグは痛痒を一切感じていない。

「今の、《撃力》を込めた一撃だったのに」

「まだだ!」

 次はタイチが加勢する。ヴィルテュに太刀風を唸らせて右上に払った斬撃でイエロードッグの片足を切り落とすつもりだった。

「《貫徹剣》!!」

 ヴィルテュにエッセンスの力が流れ込み、加速度と重みを増してくるのをタイチは掌で感じた。その膨大なエネルギーをヴィルテュの刃先に集中させ、筋骨たくましい獣の前足を断ち切る勢いで振るう。

「ぐっ!」

 ところがまるで岩に剣を叩きつけたような固い衝撃がタイチの手に跳ね返って、腕の関節におびただしい痛みが走った。

「馬鹿め、貴様らのそんな中途半端なエッセンスが通用するものか」

 いまだ健在のイエロードッグの背後でフラウが憫笑を浮かべた。

 ここまで三人が決死の攻撃を試みたが誰一人としてイエロードッグにまともな打撃を与えられていない。

「何でだ! 緑位の神威衛士が二人もいてどうして勝てないんだよ」

「向こうは黄位の神玉しか持っていないはずなのに」

 イシュメルがアーロに続いて愚痴をこぼした。

「緑位?」

 フラウが滑稽な口調で繰り返す。

「おいおい。こっちは緑位の神威衛士なんて五人も屠って来たんだぜ。神玉等級で言えば緑位は黄位の上だ。だけど、幻鬼は異界の魔物で、神玉との適合性がそもそも違う。言い換えれば、君達神威衛士より上手く神玉の力を引き出せるのさ」

「黄位で、こんなに強いのかよ」

 アーロは勢いを消沈して絶句した。この時三人の若い神威衛士は、期せずして挑んだ敵の強さに戦慄したのである。

「ウソ、やだ、私まだ死にたくない!」

「落ち着け、イシュメル! 敵に背中を見せるな!」

 アーロが敵から視線をそらした瞬間だった。束の間に目を離したイエロードッグはアーロの喉元を襲おうと刃物の様に研ぎ澄まされた牙を間近に立たせていた。

「アーロ!」

「いやあぁぁぁっ!」

 空気を割くようなイシュメルの叫びが観客達を動揺された。年頃の少女の半狂乱の悲鳴を聞けば、まともな精神の持ち主は誰だって見世物気分でいられるはずがない。このカニバリズムは娯楽というより、公開処刑として彼らに再認識されただろう。

「クソ!」

 アーロの肩のあたりに牙がめり込んだ。タイチの呼びかけがなければ確実に急所をえぐられていただろう。それでも肩に受けた疵は甚大だった。

「ぐわっ!」

 悶絶するアーロにイエロードッグは四本足を器用に絡ませる。一人と一頭が揉みあううちにアーロの短い槍がひしがれた音が聞こえた。

「お前にやらせるか!」

 いち早く駆けつけたタイチがヴィルテュを慎重に扱ってイエロードッグを振り払う。敵に裂傷を負わせるつもりはなく、イエロードッグをアーロから遠ざければ十分だった。その目的を果たすことには成功したが、アーロは乱れた呼吸で喘いでいる。槍も失った。

「お前から先に死にたいのか? 小僧」

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