第20話 威力
ヴィルテュの柄が鞘の縁に触れた時、金具が外れたような金属音がして何かがタイチの足元に落ちた。タイチはそれを足で器用にすくって手に取った。二十歩離れた距離まで届きそうな鋼の鎖の先に、細長い六角柱の錘がぶら提げられている。鎖の反対側はヴィルテュの柄の先端に取り付けられていた。
「面白い武器ね」
エリーレも周りの神威衛士も、いまだかつてその武器を見たこともないといった反応を示した。
「準備できたぜ!」
タイチはヴィルテュを鞘から勢いよく引き抜いた。規格外の大剣に今度は鎖が取り付けられていた。
「鎖鎌ならぬ鎖剣かしら?」
「どうかな」
タイチは鎖を生き物のように手で操った。空を切った錘はタイチの左側で円軌道を描きながら高速回転を続けた。
「そこだ!」
次に戦端を開いたのはタイチだ。巡らせていた鎖分銅をエリーレめがけて直線投射する。エリーレは反射的に剣を払って分銅を躱した。その直後に大剣を掲げたタイチが間髪入れず肉迫する。
「こざかしい!」
この時振り下ろされたのがタイチの初めての斬撃だった。エリーレはいささか頼りない剣でそれを受け止める。普通ならば彼女の剣はへし折られるのだが、激突しあう刀身から発せられる白い閃光がタイチの腕に並外れた反発力を及ぼした。さすがにエリーレは防御系のエッセンス《硬化》を使わなければ、剣ごと撫で斬りにされると踏んだのだろう。
「エッセンスさえうまく使えれば、そんな大振りの剣は必要なかったのに。惜しいわね」
一般に、大剣の強みとは比類なき破壊力で相手の盾でも剣でも阻むもの全てを撃砕する破壊力にある。よって、ヴィルテュがエリーレの細剣と互角に渡り合うには、ひたすら攻撃を続けてエリーレの剣を破壊しなければならない。しかし《硬化》でそれが不可能となれば、白兵戦は小回りの利く軽量の剣の方が有利になる。エリーレはあざけるようにそのことを言っているのだろう。
「そうかな?」
しかし、歴戦の傭兵経験を持つタイチがそんな事を頭の片隅に入れていないはずがなかった。タイチはエリーレに弾き返された鎖分銅を拾うと、素早く身を転がして鎖を手繰り寄せた。その鎖がエリーレの足に絡まって、エリーレは後ろに姿勢を崩す。
「えっ!」
当惑するエリーレの目に、タイチのヴィルテュの一閃が光った。振り下ろされる大剣をエリーレは横一文字に剣を構えて凌いだ。片膝をつき、反対側の手首で刀身を支える際どい防御術だった。その時ばかりはエリーレの表情のない白面に焦燥の色が出た。
「このおぉ!」
タイチはそのまま競り勝とうとした。もちろん、エリーレを本気で斬るつもりはない。ただ、このままエリーレの耐久力が限界になれば降参して試験が終了するのを期待しているのだ。
エリーレは強情にもあと少しで刀身が触れそうな所まで剣を押し込められても降参しなかった。ただ、表情に余裕がないのは確かだ。あと一押し、タイチがヴィルテュの柄を押し出そうとした。
「《貫徹剣》」
エリーレの剣が急に勢いを取り戻し、タイチの剣はそのままの勢いで、というよりそれより更に強い力で押し戻された。自分の意思とは関係なしに後ろへ飛ばされる身体を止めるべく、タイチは両足に力を入れた。抗おうとする両足は足元の芝生を容赦なく毟り取る。
「今の、《撃力》と《瞬撃》の合わせ技か? いい加減試験の結果は見えているだろ? まだやるのかよ」
立ち上がったエリーレにタイチは問うた。
「冗談じゃないわ。修了試験はまだ始まってすらいないわよ。今まで生き残ったからって、エッセンスの全力を惜しみなく使ってくる幻鬼には太刀打ちできないわ。それに言ったでしょ? これは小手調べに過ぎないって。いつ、私が本試験を始めるといったの?」
「だったらその試験を早く終わりにしようぜ。こっちは幻鬼と戦わなきゃならないんだ」
「言われるまでもないわ」
エリーレは細い首を回して周囲を見渡した。
「あなた達、もっと離れた方がいいわよ」
観戦者達はエリーレに畏怖するように後ろへ下がり、物陰から二人を見守った。
「これがカニバリズムのレベルよ」
エリーレの身体が空を飛んだ。セントラル・コミュニティの屋根を軽く飛び越え、丁度帝都を俯瞰できそうな高さまで飛んだ彼女が剣を閃かせながら、タイチの目に飛び込んでくる。こんな大掛かりな攻撃を避けるのは造作もないことだ。タイチは素早く身を滑らせた。エリーレの読みは案の定外れて全く見当違いの地点に着地する。
その時だった。エリーレの剣を起点として激震が走り、地面が支柱を失ったように陥没を始めたのだ。逃げようにも陥没の広がる速度はタイチの機動力をとうに超えている。凹凸に突き出た岩盤にタイチは巻き込まれた。
「めちゃくちゃだ」
岩盤の隙間から這い出たタイチは荒野に変わり果てた演習場の地形を眺めた。対局する岩の頂上にエリーレはつま先立ちしている。
「あら、私は君に指一本触れてないわよ」
エリーレは足場の悪くなった演習場を矢のような勢いで猛追してきた。さっきまでとは一撃の重みと速さがまるで桁違いだ。一度剣を受けた衝撃が手に伝わると手がしびれて感覚が鈍くなった。やがてはタイチの防戦も無意味となった。エリーレの攻撃が徐々にタイチの防御をやり過ごし、鋭い剣閃がタイチを斬りつけた。
「何て力だよ」
地面に鮮血を吸わせたタイチの体力は限界を知り始めていた。
「どんなに意思が強くても、どんなに経験を積もうと、神玉の力の前では全てが無意味よ」
「はっきり言ってくれるな」
「紫位と橙位、二つの神玉の絶対的な力の差を知りながらよく戦ったわ。でもここまでよ」
エリーレが剣を鞘に収めた。別に彼女の剣に鎖はついていない。
「戦う? 何の話だよ」
含み笑いするタイチにエリーレは顔をしかめた。
「俺が今日、ここへ戦いに来たっていうのか? とんだ見当違いだぜ。俺はここへ、勝ちに来たんだよ」
タイチの目が闘志の情炎で燃えた。
「生憎ね」
エリーレは皮肉たっぷりの目でタイチを見下ろした。
「まだ終わってない。俺から神玉を奪えてないからな」
「せっかく命だけは助けようかと思ったのに。気が変わったわ」
エリーレは柄に手を掛けた。それより早くタイチが動く。鎖分銅を手に取ったままエリーレに剣で迫った。
「甘い!」
抜き打ちざまの斬撃が散々に荒らされた演習場の地面に今までで一番の黄塵の柱を作り出した。そのせいで両者の姿が互いの視野から消えた。
「馬鹿ね」
エリーレは厳然な目つきでタイチの姿を負った。そして背後で全身を使いながら鎖を操っていた。
「往生際が悪いわよ!」
エリーレの目は鎖の先端を追った。ところが変曲点と回転を繰り返して動き回る鎖分銅は並大抵の動体視力に捕らえられるものではない。
「上だ! 避けろ!!」
その言葉を発したのは実はタイチだった。自分から攻め口を教えるという彼の行動にエリーレも観戦者達も呆気にとられた。
「何考えているのよ! それにそんな鎖分銅くらいで・・・・・・」
ところがエリーレは直前の光景に目を疑った。タイチが鎖を介して宙を舞わせているのは鎖分銅の方ではなく、ヴィルテュの大剣そのものだった。
「え?」
ヴィルテュはエリーレのすぐそばに落下した。すると今しがたエリーレが起こしたのと時と同じ、あるいはそれ以上の轟音と衝撃が帝都の大地を震撼させた。
空高くまで巻き上げられた土塊がデリト石の壁を打ち付け、セントラル・コミュニティに櫛比する窓ガラスを尽く粉砕した。その次に伝わってくる嵐にも例を見ない一陣の暴風が観戦者に更なる受難を与えた。彼らが身を隠していた木箱はほぐすように破壊され、樹木の木の葉は半分以上毟り取られた。
「何だったんだよ、今の」
その場にいた全員が、たった一撃に沈黙させられた。当事者であるタイチさえ自分が何をしたのか全く把握しきれていない。ヴィルテュは大剣だが、それだけでここまでの破壊力は説明できない。考えられる可能性はただ一つ、この土壇場になってタイチは初めて神玉のエッセンスを発揮させたのである。
「今の、」
エリーレが肩を震わせながら言葉を発した。
「今の一撃、あれは確実に私を殺せたわ」
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