第19話 試合
エリーレがゆっくり吐息をついたその瞬間のことである。大きく地面を蹴った彼女の身体が激しく回転しながらエリーレの剣が風きり音を立てて迫ってくる。《瞬撃》ではないがタイチの想像を超える剣速だった。大剣を盾代わりにタイチはその一撃を受け止めた。
「くっ!」
タイチが受けた剣も、それを扱う剣士もどちらかといえば華奢な方だ。そのはずが、腕に伝わってくる衝撃はまるで猪か何かがぶつかるような剽悍な一撃だった。物理的に有り得ないこの力の源は、神玉のエッセンスによるものと解釈するほかない。恐らく斬撃にエッセンスである《撃力》を込めているのだろう。
「言っとくけど、私まだエッセンスは使っていないからね」
「な?」
これが《ファンダメンタル》だけの力だと? タイチは蒼白になった。ここにエッセンスが加われば鬼に金棒どころの話ではない。
エリーレは途中で器用に返しの太刀の軌道を変えて今度は横から水平にタイチの胴を斬りはらおうとする。タイチも機転を利かせて長い大剣の柄で防いだ。
ここまで一撃目と二撃目は防いだ。しかしタイチは到底反撃の側に回ることが出来ない。エリーレは剣舞を舞うかの如く精巧な剣捌きと健脚でタイチを防戦一方に押しやった。
「わかっているの? これはまだ小手調べなのよ」
機敏に動き続けるエリーレの呼吸は少しも乱れていない。
「さすが紫位の神玉」
戦いを見守る神威衛士の間から驚嘆の声が上がった。エリーレは燕のように中天を舞うと、タイチと少し間合いを置いた地点に静かに着地した。そして踵を返すと髪が一糸乱れず翻る。
「多少は腕が立つようね。でも、次はどうかしら」
エリーレが剣を掲げた。天を向いた剣の切っ先はそのままタイチから遠く離れた場所で振り下ろされる。一見それは不可解な行動に思われた。
「《烈風断斬》」
呪文のような言葉を呟くと、エリーレがなぞった剣の軌跡が光の筋となって顕現した。それはそのまま猛烈な速度で真っ直ぐ飛来し、タイチとエリーレの間の地面が深々とえぐられて土塊が空高く舞い上がる。その異変がタイチに迫るまでに刹那の差も要しなかった。しかし、エリーレの不審な動きを見逃さなかったタイチは素早く横に身を流して難を逃れた。今しがたタイチの立っていた場所は巨大な蛇が這ったような溝にのみこまれていた。
「何だよ、今の」
エリーレは一歩もその場から動いていない。それが神玉のエッセンスの力だとすれば今の技は《発散》に分類されるべきものだろう。しかし、イシュメルのそれとは威力も速度も段違いだ。
「今の攻撃は何だかわかる?」
エリーレがさりげなくタイチに問いかける。
「《発散》か?」
「それは半分正解ね。正確には、《発散》で作り出した衝撃波を《瞬撃》で加速して打ち出す技、《烈風断斬》よ。上級の神威衛士になれば、エッセンスの四つの基本技を自由に組み合わせて、自分だけの合わせ技を生み出すことも出来るの」
「マジかよ」
「それにしてもよく避けたわね。君の視線はちゃんと私の剣先を目で追っていたわ。それは《発散》から身を守るための適切な対処法よ」
それを教えてくれたのは他でもない、イシュメルだ。
「ありがとうな、イシュメル」
タイチは自ずと謝辞を述べた。
「でもね、そんな基本的な防御しか知らないようでは、これからの戦いは厳しくなるわよ。たとえ、相手が私でも、幻鬼でも」
イシュメルの身体がその瞬間、タイチの視界から音もなく消えた。正確には消えたのではない。それをタイチに報せたのはタイチのうなじが感じ取った微かな風だった。振り返った時には肘を曲げたエリーレの右手から横殴りの太刀が浴びせられる。
「《瞬撃》が来る!」
直感的にタイチはそう思った。意表をついて背後から仕掛けることに成功したとなれば、あとはためらいもなくタイチの首をまっしぐらに狙ってくるに違いない。
「させるかよ!」
エリーレの行動は予想通りだった。タイチは身を屈めて紙一重で剣をかいくぐる。予想はしていたが、それでも刃から逃れるのは容易ではなかった。
「躱した?」
エリーレは攻撃の半ばでたじろいだ。それがタイチに好機を生むことになる。
またしてもタイチはエリーレの猛攻を防いだわけが、今度はそれだけで終わらせない。身体を屈めると同時にタイチはヴィルテュを大地に直角に刺していた。タイチを仕留めそこなったエリーレの剣が地面に突き刺さった大剣の刀身に突っかかる。
「やるわね!」
視線を正面に戻したエリーレは唇を噛みしめ、ヴィルテュに剣を叩きつけた反動で隙だらけになった体勢から立ち直ろうとする。
「ここからだ!」
姿勢を崩したエリーレにタイチは素手での白兵戦を挑む。剣士が必ずしも敵を剣で倒す必要はないのだ。突き出た拳がエリーレのライトブラウンの髪を掠める。エリーレは背中を地面に反らしてそのまま片手を支点に宙返りした。
「今、ためらったでしょ?」
「ついうっかりな。男が女子を本気の拳で殴るのは気が引けるし」
「そんな剣を持ち出しておきながら?」
「こんな剣を持ち出させたのはそっちだろう?」
「でも、そんな気遣いは不要よ。だって君と私の力量差は雲泥の差だもの」
エリーレは剣を構え直した。一瞬和やかに見えた表情は仮面のように冷たく変わった。
「下手な情は命取りよ。君がもう一度そんなことをして隙を生じたとしたならば、私は容赦しないから」
「いいんだな? 遠慮なしで」
「どっちにしても変わらないわ」
タイチはヴィルテュを鞘に戻した。観客から動揺の声が上がる。
「何をしているの?」
徐々に鞘に収められていく大剣をエリーレが斜に見た。
「見せてやるよ。俺の本気ってやつをな!」
そしてヴィルテュは完全に鞘に収められた。
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