第18話 呪われた鬼

「いよいよ明日ね」

 その日の猛特訓を終えたタイチの背後からイシュメルが語りかける。

「ああ、色々とありがとうな」

 この数日間を長い目で見れば、イシュメルの猛特訓はタイチにとって多大な恩恵を与えたといっていいだろう。相変わらずエッセンスを使いこなすまではいかなかったが、エリーレが使うと思われる《瞬撃》や《発散》といったエッセンスに対する防衛策を体得することが出来た。

「なっ、別にアンタが負けたら私、大損するから。自分のためよ」

 イシュメルはむくれて顔を背けた。

「でも、絶対に生き残りなさいよ。エリーレさんが相手だとしても。教えた身としては、アンタに死なれたら寝覚めが悪いわよ」

「その、エリーレさんのことで聞きたいことがあるんだけど」

「何か?」

「エリーレさんが“呪われた剣鬼”と呼ばれた理由を?」

 イシュメルは周囲に視線を動かした。もっともこの時間帯に近くには誰もいない。それでも念のために一目がないことを確認したイシュメルはタイチの耳に唇を近づけた。

「いい、絶対に誰にも言わないでよ」

 タイチが頷くとイシュメルは大きく深呼吸した。

「嘘か本当かはわからないけど、エリーレさんが同化した紫位の神玉はね、・・・・・・他の神威衛士から奪い取った物らしいって、噂があるの」

「え・・・・・・」

 タイチは言葉を失った。

「それって、エリーレさんが持っている神玉の前の所有者を・・・・・・」

「声が大きいわよ! いい? 正式な決闘もなく神威衛士を闇討ちにして神玉を奪うなんて御法度よ。それ以前に人倫に背く行いだわ」

「でも、エリーレさんがそんな事をするようには思えないけど」

「何言っているのよ。大昔から火のない所に煙は立たないっていうでしょ? 大体あの人、他の神威衛士ともあまり親しくないみたいだし。ああ、もう。男って、どうして胸のデカい女に騙されるのかしら」

「別に、俺はそんな所を見て人を判断してないって」

 タイチは慌てて弁解した。

「でも、なおさら気をつけなさい。あのエリーレ=クレイゼルという神威衛士は本当に何を考えているのかわからないから」

「気を付けるよ」

 赤の帝都に来る前の自分が今の境遇をどうやって予見できただろうか。幻鬼と戦いに来たはずのタイチは、得体の知れない闇に突如として行く手を阻まれてしまったのである。


 エリーレによる修了試験の朝、タイチは演習場手前の控室で来るべき時の訪れを待っていた。

「そろそろ時間よ」

 イシュメルがタイチの様子を慮るように近づいてくる。

「大丈夫? 緊張してない?」

「大丈夫だ。俺はこんな所で終われないからな。今日エリーレさんに勝って、幻鬼と戦うまでは」

 タイチは壁に立てかけた傍らの大剣を手に取った。

「ねえ、その剣」

「ん?」

「いいわ、何でもない。今は勝負に集中して」

「ああ、行ってくるよ」

 朝日が眩しく照らす演習場の芝生の上には神威衛士とタイチの朋輩である候補生がひしめいていた。円陣状に詰め寄せた彼らの中心で、エリーレ=クレイゼルは時折靴の爪先で地面を叩きながら、悠々とタイチを待ち構えていた。

「おい、見ろよ」

「何だ、あれ」

 とりわけ衆目を集めたのはタイチ自身というよりタイチの背負う大剣だった。肩から斜めに担がなければ先端が地につくほどの長さで、刃幅は人の顔を覆うほど広い。しかし何より特徴的なのは、飾り一つない代わりに鎖が何重にも鞘の上に巻き付く武骨さだ。

「随分と物々しい武器を持ち出したものね。その剣、銘はあるの?」

 エリーレはタイチの背中を眺めて言った。

「ヴィルテュ、それがこの剣の名前だ。まさか、神威衛士との戦いに使うとは思わなかったけど」

 タイチは長い柄を握りしめると大剣の刀身をゆっくりと朝日の下に照らした。巨大な刃は粗く研がれているが、切っ先の鋭利さは完璧に仕上げられている。分厚い菱形の断面を持つ刀身だけでも相当な重さのはずだが、神玉と同化した神威衛士の膂力はその剣を掌の上で転がすように軽々と扱う。

「ヴィルテュ、意志の力って意味ね?」

「そうだな。俺は自分の意思の従うままにコイツを使う。そう思って名付けた」

「あなたが名付けたの?」

 タイチは首を縦に振った。

「面白い人ね。剣は飼い犬じゃないのよ。銘もない鈍らを使い続ければそのうち命に関わるわよ。さ、始めましょうか」

 エリーレも腰に提げた剣を鞘から引き抜いた。タイチの剣とは対照的に細く、切っ先が極限まで研ぎ澄まされた剣。まるで一縷の水を切れ目なく流すように、照り返された白い閃光を素早く走らせる。

「それじゃあ、この辺で試験の概要について説明するわ。タイチ君は自分の神玉を守ることだけを考えなさい。必要ならば私に対する反撃も認めるわ。自分の神玉を守り切って、私の攻撃を完全に沈黙することが出来れば君の勝ちよ」

「わかりやすい試験で助かる」

 タイチは大剣、ヴィルテュを右手で水平に構える。エリーレはまだ剣を提げたままだ。

「私を本気で殺すつもりで掛かって来なさい。私も本気でいかせてもらうから」

 姿勢を低くして爪先立ちになったエリーレの剣がタイチに差し向けられた。剣先と同様に、ライトブラウンの前髪から垣間見えるエリーレの目が鋭く光った。

「どこからでも来い」

 タイチはまばたきの間も与えないほどエリーレの動きに全身の神経を集中させる。密度の濃い緊張した空気がしばらく両者の間を流れた。

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