第16話 期待と対抗心

 その日からエリーレとタイチの早期修了試験は養成学院の話題の種として花を咲かせることになる。外を歩けば神威衛士やら候補生やら、タイチはありとあらゆる立場の視線を浴びるのである。

「よお、お前カニバリズムに出場するんだってな」

 アーロまでが揶揄するようにタイチに話し掛ける。タイチは特に答えなかった。

「短い付き合いだったけど、まあ頑張れよ」

「俺が負けると思っているのか?」

 タイチは眉をひそめた。

「それが大方の意見だ。お前とエリーレ=クレイゼルの決闘で賭け事を始めている奴がいてな。倍率は既に百倍以上の差がある」

「百倍・・・・・・」

「当然といえば当然だよな」

「でも、倍率は出るんだな」

「え?」

「百倍って数字が出るんだからゼロは有り得ないじゃないか。それって、俺にかけてくれる奴が一人でもいるってことだよな」

「はあ? まあ、全員がエリーレに賭けたらそもそも賭けにならないしな」

 アーロは頭を抱えて難しい顔をした。

「だったら俺、なおさら頑張らなきゃだめだ。たった一人でも、俺に可能性をかけてくれる奴がいる限り」

「何だよお前、何一人で逞しいこと言ってんだよ! 俺だってエリーレの方にかけているんだからな! 悪いが、はした金を稼がせてもらうぞ」

 アーロは当惑した顔で、やがて立ち去った。

 一体誰がタイチの勝利に賭けているのか、タイチ自身には見当もつかない。おそらくよほどの酔狂か危険愛好者なのかもしれない。しかしそうだとしても、その人物の存在がタイチに与えた影響は決して無視出来ないものだった。十年前にタイチを知る者全てがミュートフ村ごと消されたあの日、タイチは目に見えながらも存在しない人間と化していた。今、タイチは野盗との闘いや傭兵任務の雇用主とは全く別の、有機的な人間関係を見出したのである。

「よっしゃ、やるぞ!」

 タイチはセントラル・コミュニティから大きく第一歩を踏み出した。ところがその一歩が地面を踏みしめる前に、何者かがタイチの襟首をつかんだ。

「ぐおっ!」

 タイチを背後に引っ張る人物は凄まじい膂力で茂みの影に引きずり込む。

「何すんだ!」

「静かに!」

 舌足らずな少女の声がタイチの口を封殺した。白の法衣をまとい、それとは対照的に大雑把に一まとめにした黒髪が滝のように柔らかく被さっている。そういえばタイチはこの少女に一度だけあったことがある。養成学院に入学した時、タイチの隣に座っていた候補生の女子だ。

少女は茂みから少し顔を覗かせると機敏に姿勢を低くし、タイチに至近距離で向き合う。

「何やっているのよ! 一人で空騒ぎして!」

「ハア? 何だよ?」

「エリーレ=クレイゼルと戦うんでしょ! ちゃんと勝算は考えたの? それ以前にエッセンスの対策は考えたの?」

 早口言葉を連発する少女はタイチに詰め寄った。

「えっと、これから」

「これから?」

 少女の声は呆れた様に裏返る。

「何なのよ、アンタ本当に勝つ気があるの?」

「もちろんだ」

「その根拠は?」

「ない」

 少女はエリーレのように項垂れて溜息をついた。

「言っとくけど、俺はエリーレさんみたいに、試しもしないで結果を予想する性分じゃないんだ。勝負はそれが終わるまで何度だって結果を変えられる」

「ああ、もう。こんな馬鹿だとわかっていたら」

「何か言ったか?」

「何でもないわ。それで、試験は三日後でしょ? しょうがないから、私も出来るだけの援助をさせてもらうわ。こう見えて私、A組だから、エッセンスに対する防御訓練くらいにはなると思う」

「いや、別に必要ないけど」

「何よ、その言い方!」

 少女が色を成してタイチを睨みつける。その上に柔らかな前髪が重なった。

「アンタさ、人の親切心を粗末にするなんて最低の人間のすることだよ。そういう時はありがとうとか、お願いしますとか言うものでしょう?」

「あ、ありがとう」

 タイチはぎこちなく礼を言ったが、何かがしっくりこない。

「えっと、名前は」

「イシュメル=フォーゼスよ。神玉等級は緑位」

「タイチ=トキヤだ。神玉等級は橙位」

「冗談でしょ?」

 イシュメルの顔がひきつった。

「もういいわ。こうなったら一蓮托生だもの。明日から血反吐が出るくらい厳しく鍛えてやるんだから。放課になったら演習場に集合だから」

 少女は軽やかに茂みを飛び越える。

「でも、何で俺の応援をしてくれるんだ?」

「決まっているじゃない。私、アンタに賭けているからよ。大穴を狙って」

 イシュメルは振り向くとにべも無く言い放った。

「あー、結局お金なんだ」

「当たり前でしょ。普通、橙位の神威衛士が紫位に勝てるわけないわ。でもね、まさかってこともあるでしょ? 正直、当たれば儲け者だと思っているから」

 期待はしていなかった。しかし、一見無垢な少女の口からそんな言葉が発せられると、タイチの心は半分位えぐられるような虚しさを感じるのだった。

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