第9話 勝利

細い腕に込めた捨て身の斬撃が幻鬼の兜を縦に割る。幻鬼は悶絶の悲鳴を上げてのたうちまわったが、やがて力尽きて黒い身体は崩れ落ちた。その死体は青の燐光に包まれて間もなく灰燼と化したが、その灰も闘技場を吹きすさぶ風にさらわれて散り散りになった。跡に残るのは両断された棍棒と、幻鬼の遺した神玉だった。砂地に半分埋もれながらも黄色の光を湛える球の宝玉は神殿の神官の手によって持ち去られた。

「今日もお見事な勝利でございます」

黒衣の幻鬼術師を除いて観客は総立ちだった。エリーレを不安げな表情で送り出した神官の顔色はすっかり良くなって闘技場に飛び出した。彼の喜びは、彼女が生還したことよりも、幻鬼が神殿から姿を消したことにあるらしかった。

「うわ」

 駆け寄る神官は途中で立ち止まる。無理もない。鏡のように磨かれた鎧も、良質な生糸で織られた直垂も、そして白美人とも称するべき彼女の肌も、幻鬼の返り血と汗にまみれていた。

「それにしても今日は肝が冷える思いでした。エリーレ様がよもや、討ち取られるのではないかと」

「心配ないわ」

 エリーレはにべも無く返答した。

「エリーレ様、神玉は如何なさいましょう?」

司儀官の一人が高価な箱に詰め直した先程の宝石類を差し出した。

「興味ないわ。そんな物、対戦相手の幻鬼術師にでも返してあげて」

「本当にそれでよろしいので?」

彼女の神玉に対する無関心さに司儀官は呆気にとられたが、エリーレの関心は首の傷にあった。秀麗な髪を撥ね上げて確かめると、幻鬼に捕まれた首の条痕はきれいに消えていた。既に神玉の力で癒されたのである。神官は彼女の指示通りに神玉を幻鬼術師に送った。

祝福する観客席をぐるりと見まわした彼女の顔から殺気は一切消えて、少女らしい笑顔を振りまきながら手を振った。エリーレ=クレイゼルはこの日、彼女の武勇伝に新たな物語を紡いだのだった。


 エリーレの姿が見えなくなると、釘付けで観戦していた観客達も一人、二人と席を立った。誰もが巨人を斬り伏せる美少女の勇姿に魅了された表情をしていた。隣にいた客もいなくなった頃には日もすっかり沈んでデリトリオン神殿の赤壁は紫から青へと染まっていく。幻鬼と神威衛士の衝突した闘技場の土は神官達の手によって寂寞さと平坦を取り戻していた。

 その夜。闘技場の近くの宿で食事をしている時、対面して座るミハが興味を示した。タイチにとって同い年の女子と二人きりで食事するのは初めての経験だったが、これはミハに対する観戦料金の謝礼としてのタイチのおごりだった。

「よく食うな」

 タイチは財布の中身とミハの大食ぶりを鑑みた。

「初めての観戦、いかがでした?」

「やっとアイツ等と戦えるなって思った」

「合格です」

「合格?」

 拍子抜けしたようにタイチが尋ねた。

「タイチさんのように神威衛士に憧れる方を私は何人も見てきました。でも、カニバリズムの初戦を見た途端、大半の方々は諦めて赤の帝都を去りました。残ったのは意志の強い方でしたが、更にその多くは実力が伴わず・・・・・・」

「要するに、神威衛士になるのはほんの一握りってわけか」

「一握りどころか、砂漠の砂のひとつまみです。でも、こんな話をしていても仕方がありません。あなたがそれでも神威衛士になりたいというのなら、まずは神玉をその身に同化することです」

「同化か」

「神玉がなければ神威衛士にはなれません。だから神威衛士に所有者不在の神玉を支給するよう、申請手続きが必要です。彼らは神玉管理局という組合を作っていますから、明日そこへ行きましょう」

「ううん」

 煮え切らない返事をしたタイチの顔をミハがジト目で見据える。

「どうしました? まさか今になって怖気づいたとか言わないでしょうね?」

「そうじゃない。俺さ、実はもう神玉と同化しているんだ」

「は?」

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