第4話 それから
見渡す限り草原の海原が広がるクルセノス平原。風が吹き抜ける地平線の先には山の影さえも見えず、大空を飛び続ける鳥の自由を阻むものは何もない。一方で低木と叢が無限に繁茂するだけの地上は旅人に憩いの木陰も水飲み場も恵んではくれず、そこを通る旅人は自ずと足早に平原を抜ける思いに駆り立てられる。
かつてその土地は二十年前、テイセリス帝国に進攻した隣接する軍事大国、ロタニア王国の幾十万の軍勢と神威衛士達が衝突した戦場である。勇猛果敢な神威衛士に対抗して、投石器や人海戦術を投入したロタニア王国の前に神威衛士は壊滅寸前に追い込まれながらも、突如として出現した幻鬼術師達の加勢によって何とか辛勝にこぎつけたのだった。そして平原には再び平穏が戻ったかと思えば、今度は行商人を狙う粗悪な野盗が横行する始末である。
「お前、何なんだよ!」
肌の浅黒い屈強な盗賊達は錆の目立ち始めた武器を小刻みに震わせていた。目の前には折り重なりながら倒れる数人の仲間と更にその先には一人の青年。手には賊の一人から奪った両手剣を片手で軽々と扱い、剣気ともいうべき尋常ならぬ気魄を全身から放っていた。
「これ以上やっても無駄だ。道を空けろ」
青年の声に野盗達はすくみ上って後方から一人、二人と逃走を始める。
「相手はガキ一人だろ! 何をやっているんだ!」
野盗の首領はわななく部下達の背中を小突いて叱咤する。進退窮まりなくなった部下達は覚悟を決めて青年に一人ずつ斬りかかるが、剣を交えるまでもなく、うなじやら腹部に打撃を食らって昏倒した。
「早い、人間じゃねえ。まさか神威衛士じゃ?」
「はっ! 気高い神威衛士様がこんな辺境で行商の護衛なんかするかよ」
「だとすれば、お前達は普通のガキに負けたことになるぜ」
青年の言葉より先に、夕日に照る刃が首領の首まで寸分のところまで迫っていた。
「いつの間にそこまで?」
「俺は赤の帝都に行かなきゃならないんだ。退いてくれ」
その一言でくずおれた首領は、青年の背後から続く三台の馬車に大人しく道を譲らざるを得なかった。
「本当に助かりましたよ」
護衛の雇い主である行商人は、尚も後方を警戒する青年に礼を述べた。節操のない野盗ならば今度は大勢の仲間を連れて仕返しに来てもおかしくはない。
「こっちこそ、お陰で帝都に早く到着できそうです。それにしても、今日だけで三度目です。野盗に遭遇するのは」
「この辺りは二十年前の大戦以来、未だに治安が回復していないからね。あの野盗の連中の中には、離反したロタニアの元兵士も紛れているとか」
「誰が相手だろうと、俺が撃退しますよ」
「頼もしい限りだね。ところで君は、あの神殿に行くのかい?」
青年は確固たる意志を宿した目で重々しく頷いた。
「そうか。君さえ良ければ、これからも隊商の専属護衛を頼もうかと思ったんだが」
「すいません。帝都に大事な用事がありますので」
行商人は落胆したが、青年にはこの時のために十年間を生きてきたようなものだった。日雇いの要人護衛や傭兵業務で戦いに臨む不屈の精神力と剣の腕を磨き、稼いだ金で背中の武器を手に入れた。この武器は野盗ごときを斬るためのものではない。だから野盗との戦闘では敢えて抜かなかった。
「せめて、今回のお礼をさせてくれ。もちろん、報酬とは別で。知り合いに神威衛士の内情に精通する情報屋の様な人がいてね。帝都に着いたらその人を紹介しよう」
「ありがとうございます」
青年は若者特有の穏やかさで感謝の言葉を述べた。赤の帝都に人脈の無い彼にとっては僥倖だった。
「そういえば、君の名前は何だったかな?」
馬車が帝都の城壁を潜る間に行商人は首をかしげて聞いた。彼らにとっては消耗品の傭兵の名前など、一つ一つ覚える暇はない。知り合いに紹介するにしても、専属護衛にするにしても名前を聞かなければならないから、今になって聞かれたというわけだ。
「タイチ=トキヤです」
タイチは城壁の向こう側に広がる帝都の景観を見はるかしていた。
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