ゼロ距離の彼女が、どこまでも遠い

白銀アクア

プロローグ キス未遂から始まる物語

第1話 幼なじみなんだし、キスしよっか

 VRから覚めると、僕は自分が女性に変わってしまったことに気づいた。


(なにが起きた?)


 手がかりを得ようとした僕は、ここ30分の出来事を振り返ってみる。


   ○

 

「ねえ、キスしよっか?」


 突然、幼なじみが言い出した。


「朝日、なに寝ぼけてるんだ?」

「ぷぅ~みっちゃんのイケず~」

「朝日、僕たちはただの幼なじみ。恋人じゃないぞ」

「わかってるよん」


 幼なじみの三雲みくも朝日あさひは、僕の腹を指でつついてくる。

 僕の部屋にふたりっきり。しかも、彼女の呼吸音が聞こえるほどの距離。はつらつとしたオレンジの香りが鼻腔をくすぐる。


「高校生の男女が密室にいるんだよ。キスしたいのに理由はいらない」

「いやいや、恋人じゃないんだし――」

「フレンドでもエッチはするよね?」

「それ、別のフレンドだから!」


 僕、星野ほしの一道かずみちと、朝日は10年以上の付き合いになる。あくまでも、幼なじみで、大人的な意味のフレンドではない。


 そろそろ、朝日も飽きるはず。適当にやりすごそう。

 と思っていたら。


「ちょっとは元気が出てきたじゃん」


 部活のことで実は悩んでいた。顔には出さないようにしていたが、朝日には勘づかれていたらしい。


「あちしお姉ちゃんはお見通しなんだよっ」

「……鈍感な僕とはちがって、ご慧眼恐れ入ります」

「バカ道、難しい言葉を使うなっての」

「朝日、もう一回、入試受けた方がいいんじゃ……」

「入試の地獄から解放されたばかりなのに、みっちゃんのドSめっ!」


 朝日は机の上にあったVRヘッドセットを投げてくる。


「ちょっ」


 無事にキャッチできたので、助かった。落として壊しでもしたら、泣いていただろう。


「朝日、気をつけて」

「あっ!」


 朝日は叫ぶと、部屋の窓を開ける。そのまま、バルコニーへ出た。手すりに手をついて、身をかがめ。


「あちしの必殺技、カエル・ジャンプ!」


 空に向かって跳びはねた。それこそ、カエルのように。


「朝日、2階なんだぞ」


 スカートがなびく。太ももの上、ピンクの布がちらついていた。

 50センチ先にあるバルコニーに着地するのを冷静に見届ける。そこは、朝日の部屋だ。


(あいかわらず、騒がしい奴だなぁ)


 僕はVRヘッドセットを持ったままだった。


(特訓しないとな)


 僕は鈍才だ。昨日、剣道部の体験入部に行き、他の1年生と実力差を実感させられている。それで、悩んでいた。


 ここで行動しなかったら、周りに置いていかれるだけ。

 朝日のおかげで、吹っ切れた。


 ベッドに寝っ転がり、VRヘッドセットの電源をオンにする。


 フルダイブ技術が実用化されて、約2年が経つ。リアルと同じように体を動かせるし、五感もほぼ再現されている。ゲーム内で食事もできるし、いちゃつくカップルもいる。

 僕としては剣道の練習ができるのが地味にうれしい。リアルだと防具をつけるのが面倒くさかったりするが、VRだと一瞬で装備するし。


「みっちゃん、お待たせ~」


 頭がVRモードになっていたところで、邪魔が入った。朝日が戻ってきたのだ。


「べつに、待ってないし」

「あちし、気づいたのさ」

「話を聞いてない⁉」

「VRの中なら、キスしても問題ないってことに」


 キスの話は終わってなかったようだ。


 熱弁を振るう幼なじみは、小動物っぽい。

 朝日はバカだが、学校では人気がある。性格はさっぱりして明るいし、華やかな金髪は目を惹く。胸も大きめで、ときどき男子が目で追っている。

 入学して10日ちょっとの高校で、既に友だちを多く作っていた。0人の僕とは真逆だ。


「VRでも問題はあるだろ」


 食事の味も再現される世界だ。おそらく、キスもリアル同等に感じられるだろう。


「んなこと言って、無意識ではあちしを求めてるのに」

「んなわけない」

「ウソ吐かなくていいよ。あちしのこと好きすぎなのに」

「はいはい」


 適当にあしらうに限る。


「じゃあ、僕は先に行くから」

「イクぅ、あちしもすぐにイクっ」


 ヘッドセットを被り、VRの世界にダイブした。


 一瞬、無重力になったように体から力が抜ける。

 1秒も経たずに、目の前が明るくなった。


 視界に映ったのは、ベッドしかない素朴な部屋だった。ゲーム世界に僕は来ていた。

 ステータスウインドウを開くために、右手を肩の高さにあげる。


(剣道の防具に装備を変更しないとな)


 面をつけていると、視界を遮られるし、顔も圧迫される。VRなのに現実世界と同様の感覚だ。

 だから、街中では動きやすい服ですごしている。

 和洋折衷的な世界観なので、和風な剣道的装備でも違和感なくて助かる。


 ステータスウインドウを開いたところで。


「みっちゃん、お待たせ」


 朝日が追いかけてきた。


「朝日、本当に来たんだな」

「うん、リアルでは、みっちゃんに覆い被さってるよ」

「……急に体が重くなってきた」

「おっぱいがお腹に当たってるんだよ。本当はうれしいのに」

「バ、バカ」


 朝日は僕に恋愛感情はないし、悪ふざけだろう。


「というわけで、キスをいただいちゃいます」


 僕の動きが止まっている間に、朝日が仕掛けてきた。

 気づいたら、抱きしめられていて。

 斜め下から顔が近づいている。


(避けられないっ!)


 朝日のアバターはリアルの彼女と雰囲気が似ていて、かなりの美少女だ。

 吐息も、香りも完璧に再現していて。


 ドキリとした僕は思わず目を閉じようとする。

 ドッキリだとしても、体がつい反応してしまった。


 視界が暗くなる直前だった。


 僕はひとりの少女の姿を捉えた。白銀の髪の少女は微笑を浮かべて、僕を見つめている。


 笑顔なのに、寂しく感じられた。

 ひどく気になったものの、僕は目を閉じてしまった。


 しばらく待てば、『ドッキリでしたぁ!』と言ってくるはず。

 しかし、何秒待っても、彼女は行動を起こさなかった。


「……ちょっ、誰?」


 朝日の声がして、目を開く。

 彼女は固まっていた。


「あちし、みっちゃんとキスしようとしてたんだけど、知らない美少女とキスするところだったよ。てへっ」


(朝日はなにを言ってるんだ?)


 朝日は頭をかく。


『おい、朝日、僕はここにいるぞ』

「ところで、は誰かな?」


 僕の声が聞こえていないのか、無視しているのか。


 そういえば、さっきから体の重さも感じられない。

 首をひねる間もなく、視界が暗転し。


 次に明るくなったときには、目の前に朝日の顔があった。

 彼女の背後は見慣れた天井だった。僕の部屋である。


 どうやら、システム的な異常で、VRから切断されたらしい。不幸な事故をきっかけに、安全装置の機能が強化されている。


(本当に僕に覆い被さってたのかよ)


 ため息がこぼれたとき、違和感を覚えた。


(朝日、僕に乗ってるんだよな?)


 体重も、感触もゼロだった。いくら朝日が小柄とはいえ、まったく重みを感じないなんてありえない。


(どうも変だ)


 まず、横を向いてから、首を下に向ける。

 朝日が乗っていたのは――。


 銀色の髪がシーツを流れていて。体には凹凸があって。

 どう見ても、女の子だった。


(僕、女の子に変身した?)


 固まっていたら。


「あれ? 君、リアルにもいたの?」


 朝日の声がした。彼女も戻ってきたらしい。


(朝日、なんか変だろ?)


 僕は朝日に呼びかけるが、朝日は返事をせずにベッドから起き上がる。


「なんだか知らんけど、君、かわいいし、おっぱい大きいね。ふたりきりだなんて、実質、エッチしていいって理解した」


 幼なじみの少女はおじさん化していた。


(いや、ふたりきり?)


 ということは、僕は部屋にはいないわけで。

 そのとき。


「ううーん、あたしは誰? ここはどこ?」


 僕の口元あたりで、見知らぬ女性の声がした。

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