第19話 騎士団合同演習会(4)

舞踏会場は、変わらず気まずい空気のまま硬直していた。


(……騎士、恐ろしい火竜、善行の喜び、戦い、檻、そして……これは執着? え、執着ってなんで?)


ヒルデベルトはコルネリアのそばにしゃがみこんで、描かれていく魔法陣を読み解く。


(コルネリアの得意分野は古代魔術語……にしても、この文字は古すぎる……なんでだろ)


魔術はヒルデにとって実家より安心できる領域であり、一番自由でいられる分野である。

そのはずなのに、コルネリアの魔法陣を見ていると、なんだか魔術そのものがヒルデベルトの全く知らない何かであるように思えてくる。


周囲では貴族たちがこちらを取り巻いて、やかましく陰口をたたいている。

というか、ヒルデベルトの地位を見て、直接文句が言えるものなどいないのだ。


だが、話の内容は聞こえる。


(ファーナー男爵家の令嬢ですわ。あんな方だったとは)

(見て、手や服が墨だらけ。なんて下品なの)


時にはヒルデベルトすらむっとするような悪口が叩かれているが、本人は一向に気にしない。

相変わらず鼻歌を歌いながら、魔法陣に邁進している。


(集中するとき、瞳孔開くんだな。よく見ると)


ヒルデベルトはコルネリアの顔を覗き込んで、観察する。

コルネリアは一向に気にせず、魔法陣を描いている。


悪口にも、何にも興味を示さない子だな、とヒルデベルトは思った。

彼女が興味を示すのは魔法だけであって、他の何も彼女の視野に入っていない。


あれ、とヒルデベルトは思う。

魔法にしか興味を示さない、それは当然のことではないか。

魔法だけが世界で一番面白いことであって、他のことを気にせず集中することこそがヒルデベルトの習慣である。

コルネリアの特性は、ヒルデベルトにとってはむしろ好ましいことである。


なのに、胸に不明瞭な何かがわだかまっている。


――コルネリアはヒルデベルトの方を見ない。


***


(何かしら、あのお砂糖菓子、きらきらしてる……!)


一方の舞踏会場、アポロニアは隅にある軽食コーナーを満喫していた。

テーブルの上には色とりどりの愛らしいお菓子が集い、アポロニアはどれを食べようか、目を輝かせながら悩んでいた。


(あのケーキおいしそう……でも、冷たいゼリーも捨てがたいわ……)


クラウディアの言葉通り、アポロニアは一人だけ軽食をたくさん食べることを避けている。

軽食はみんなのものだからだ。

しかし、しょっちゅう食べ残しがキッチンに運ばれていく。

アポロニアは悲しい。


中央の人だかりは騒然としている。何やらファーナー家の一人娘が騒動を起こしたようだ。


(見ろ、冷酷令嬢だ)

(彼女なら、コルネリア嬢にがつんと言ってくれるかもしれない)


噂話は耳に届くが、アポロニアは我関せずとしてお菓子を物色している。


コルネリアは、アポロニアも一度見かけたことがある。

デビュタントの白いドレスを着た彼女は、幼げながら人々の視線をかっさらうほど美しかったが、アポロニア直感で感じ取っていた。


あの子、なんだか得体が知れない。


それ以来、アポロニアにとっての一番注目すべき令嬢たちは三人に絞られた。

そして評価も定まった。


クラウディアには負けたくない。

アンネマリーには舐められたくない。

コルネリアには近づきたくない。


そのとき、キッチンからまたお菓子が運ばれてきた。

それは、素晴らしく美しいチョコレートケーキであった。

表面はテンパリングでつやつやと輝き、上にはサクランボの洋酒漬けが愛らしく飾られている。


――あれにしよう! 

アポロニアは決意した。

というのも、アポロニアはチョコレートに目がないのである。


初めてチョコレートを食べた時の、アポロニアの感動は著しかった。

あの芳醇な香り、口の上でとろける感触、官能的な味わい。

その日から、アポロニアはチョコレートのとりこである。


少し切り分けてもらおうとした時、アポロニアの耳に令嬢たちのうわさをする声が飛び込んできた。


「あの、黒いローブを着た子供は誰なの?」

「馬鹿ね、あなたヒルデベルト様も知らないの。ほら、魔法の天才の」


その時、文字通りアポロニアは飛び上がった。

優雅にかつ高速で人込みを風のようにかき分けると、中央に躍り出て叫んだ。


「ヒルデお兄様、いったい何をしていらっしゃいますの!」


「やべっ」とヒルデベルトは口の中でつぶやいた。


「信じられませんわ、魔術研究をするなら部屋の中で、無理ならせめて人のいないところでってあれほど申し上げたのに……あら?」


そこまで行って、アポロニアは首を傾げた。


「お兄様は、描いていませんのね……珍しいパターンですわ」


コルネリアは我関せずと魔法陣を描き続けている。


「待ってくれアポロニア、魔法陣を描いている最中なんだ。それも、コルネリアのなんだ。この魔法陣、製作途中までしか見ていないけれど、おそらくコルネリアの最高傑作になるんじゃないかと僕は予想するね」

「そんなことどうでもいいんですわ、ここをどこだと思っていますの」


アポロニアはコルネリアに近づこうとすると、ヒルデベルトが間に入ってコルネリアを背でかばう。


「駄目! 駄目だ、何にもいないったら!」

「何が『何にもいない』です、速くどきなさい!」

「いやだ、やだやだ、コルネリアの魔法陣は売れない!」

「もう、いつの間にそんなに仲良くなっていたんですの。あきらめて部屋で描きなさい!」

「分かった、分かったアポロニア。もし魔法陣作成の邪魔するんなら――」


ヒルデベルトは据わった眼をして言った。


「僕がここで魔法を展開する」


各所で悲鳴が上がる。


「ちょっと、馬鹿なこと言わないでくださいまし! そういうのを恐喝っていうんですのよ!」


しかし、ヒルデベルトはすでに詠唱を始めていた。


そして、魔法が展開された。

召還された炎の蝶、光の鳥が天井までひらひらと輝く。

ドレスが濡れない程度に調節されたミストからは、美しい虹が現れる。


観衆はおおーと声を上げながら拍手をする。


「どうだい、アポロニア。これでひとまず――」

「駄目ですわ!」


舞踏会場はまた、硬直状態に突入した。

コルネリアは相変わらず我関せずである。

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