第20話 騎士団合同演習会(5)

アンネマリーは軽やかに歩いていた。

もはやスキップせんばかりの勢いであった。


宮廷学校は、演習会が行われる巨大な運動場があり、隣接して騎士科棟があり、さらにそれに並ぶように各学科の棟がある。

そして、一番端には新設された淑女科があるのだ。


春休み中で空になっている校舎は、すべて遠方から来た騎士たちの滞在場所になっている。

騎士団としての格が高い順から、運動場の近くの教室に滞在できるのだ。

必然的に、運動場から一番遠い淑女科は、騎士団の中でも弱いクラスの者たちが集っている。


アンネマリーの狙いはそれだった。

巡回中にも思ったが、そういう騎士団は、得てして平和な田舎の純朴な騎士たちが多い。

大きな騎士団の精鋭たちほど演習会で結果を残そうと気を張ってもいない。


どちらかと言えば年に一度の都会旅行と言った雰囲気。

割となごやかで、和気あいあいとした空気が流れているのだ。


多分、そういう場所であれば、休憩時間はわちゃわちゃと戯れている。


つまり――いちゃついている奴らも、いるはず。


アンネマリーの心は高まり続ける。


アンネマリーは、芸術科棟の渡り廊下に出た。

ここをまっすぐ通れば、淑女科である。

アンネマリーがいたのは最上階である。この学校の渡り廊下には屋根がないため、晴れた青空が視界一杯に広がる。

頭の上を分厚い雲が流れる。

渡り廊下の柵から下には、まだ新緑を迎えない若い木の葉がきらきらと輝いていた。


アンネマリーが渡り廊下と淑女科棟をはさむ扉に触れようとした時、扉は勝手に開いて、淑女科から一人の男性が現れた。


「おや……貞淑のブッケル家の、アンネマリー嬢ではないですか」


そう言葉をかけられて、アンネマリーは眉を顰める。

貞淑と呼ばれるのは、本当は好きではない。


その男性は二十代後半くらいで、「その時」はまだ若かったので、アンネマリーはすぐには彼が誰かは気づけなかった。


だが、その瞳を、その真っ黒な瞳を見た時、アンネマリーの脳裏を走馬灯のように走る記憶があった。




それは「来世」の、子供部屋での会話であった。


『いいな、アンと、ディア姉さんは』


まだ幼いネリが不満そうに言う。


『何がいいのよ』


ディアが問いかける。


『その瞳。二人とも、お母様と同じ黄色の瞳じゃない。すごくきれい。私も、お母様の色が良かった』


そういう、ネリの瞳の色は真っ黒だった。


『でも、ネリお姉さまの髪は私たちの誰より鮮やかです。顔立ちも、お母様に一番似ていますよ』

『そうかな。それは、嬉しいんだけどさ』


ネリはベッドに寝転んで、こちらを見ている。

その瞳の色は、誰が言わずとも、父親の色だと分かった。


『鏡を見るたびに、この瞳を見るたびに、お父様を思い出すんだ。だから、私は瞳も、鏡も嫌い』


そういうと、ネリはベッドに突っ伏して、呟いた。


『どうせ受け継げたのなら、誇りたかった』



頭が真っ白に、空っぽになる。

ただ空っぽになったまま、無為にからからと回り続ける。


彼は――アメルン伯爵は、アンネマリーの来世の父は、そんなアンネマリーをどう思っているのか、にこやかに言った。


「意外だな、君が来ているなんて。騎士たちの戦いになんて興味がない子だと思っていた。大方、友達に連れてこられたんだろう。そうだろう」


何故この人は、いつも決めつけたような話し方しかしないのだろう。

アンネマリーは働かない思考の上に、そんな思いが泡のようにぷかりと浮いたのに気が付いた。


「こっちには、騎士たちの休憩場所しかないよ。君は、ここから抜け出したかったのだろう。僕もそうなんだ。一緒に行かないか」


そういうと、アメルン伯爵はアンネマリーの手首をつかみ、魔術科棟に向かって渡り廊下を歩み始める。

だが、アンネマリーの足は固まったかのように動かない。


「どうしたんだ。君はおとなしい子だね。だけど、なにも恥ずかしがることはないよ」


手首を掴んだまま、アメルン伯爵は苛立ちを隠そうとするような猫なで声で言う。


いつも、自分の見たいようにしか物事を見ない人だった。

アンネマリーはようやく思い出した。


***


騎士科棟は、宮廷学校で一番古くて大きな建物である。

というのも、もともと宮廷学校には騎士科棟しかなく、それに増設される形で各種別棟ができたのだ。

だからか、騎士科棟は他の建物に比べて格段に高さがある。


クラウディアは、その最上階に陣取って運動場を見ていた。

そんな高層の最上階からは、地面の上の運動場はよく見えない。

さらに言えば、ただでさえ広い円形の運動場を取り囲むように階段状の客席が並んでおり、騎士科棟からすらも、運動場は遠い。


だが、クラウディアの準備は万全だった。

クラウディアは、クラッチバックから遠眼鏡を取り出す。

オペラグラスではなく、距離調節までできる本格的でごつい遠眼鏡である。


これで運動場はベストな距離感で見れるというわけだ。


すぐに、ギルベルトの出場時間がやってきた。

ギルベルトが参加するのは、個人戦だった。

相手の騎士も勇敢だったが、やはりギルベルトの動きは違う。

冷静な駆け引きに強い膂力、ずば抜けた技術が、クラウディアにはよくわかる。


やがて、ギルベルトは勝利した。

クラウディアは会場にはいないが、その場ではきっと盛大な拍手が贈られていることであろう。


その時、ギルベルトがこちらを見た。

勘違いではない。クラウディアはギルベルトと確かに目が合った。


その時、ギルベルトはクラウディアに微笑みかけ、片手を上げて見せた。


――今なら美しい殿方を見て失神する令嬢の気持ちがわかると、クラウディアは思った。

同時に、感じた。


『ギルはやっぱり受けなのよ……』


クラウディアは清々しい気持ちでつぶやいた。

たとえ全宇宙が敵になろうとも、クラウディアだけはギルベルトは受けだと、高らかに叫び続けるであろう。


最早、クラウディアに取り繕う余地など無い。

クラウディアは変態だ。

弟にすら殿方同士ラブの余地を見てしまう、脳みそ腐った馬鹿令嬢である。

だが、認めてしまえばなんとさわやかなことか。


弟を、よこしまな目で見てしまうだろう。

ギルベルトに、いずれ知られてしまうかもしれない。

だが、クラウディアにはもう偽りの姿への尊敬などいらないのだ。


――弟よ、すまないとは思っている!


穏やかな心地で、クラウディアはアンネマリーを想った。

アンネマリーは今どうしているだろうか。殿方同士のいちゃいちゃを堪能していることだろうか。


アンネマリーが幸せだといい。

ギルベルトが幸せだといい。

何なら世界中が幸せだといい。


そんな心境で、クラウディアは空き教室に入ると、淑女科の棟を遠眼鏡で見た。

前述の通り騎士科棟はどこよりも高さがあるので、学校を一望できるのである。淑女科も見えるだろう。


別にアンネマリーが見えなくとも、クラウディアはそれで十分だった。

しかし、クラウディアは渡り廊下にいる男女二人組に気が付いた。

女の方はアンネマリーである。暗い深緑のドレスが、控えめな彼女に良く似合っていた。


もう一人の男は……


クラウディアの頭がじゅっと焼け焦げた。

クラウディアには分かった。

あの男だ。


アンネマリーは腕を掴まれて、動けないようだった。

あの男は、アンネマリーをどこかに引きずって行こうとしている。


クラウディアの脳内に、走馬灯のように記憶が走った。


あの日も、父親は嫌がる人の腕を無理やりつかんでいた。


相手は母親であった。

別邸で、アメルン侯爵はアポロニアの腕をつかみ、ひっぱたいた。

何度もひっぱたいた。


すぐに飛び出していったのは、アンネマリーだった。

本当は、クラウディアが真っ先に動くべきだったのだ。

だって、クラウディアは長女で、二人の妹のお姉さまだ。

父親から母親を守るなら、それは当然クラウディアの仕事であるし、役目であった。


だが、クラウディアは動けなかった。

アンネマリーは小さな体で父親にしがみつく。


その時、父親はアンネマリーを蹴り飛ばした!

何事かを叫んだアポロニアを、父親はまた蹴り飛ばす。

アポロニアは崩れ落ち、そばの机の角に頭をぶつけて出血した。



あのせいで、お母様の美しい額に傷が残ったのだ。



クラウディアは飛ぶように走りだした。

高いヒールの靴を履いていたからか、何度も転んだ。

足が地を踏んでいるのかすら定かでないほど、夢中で走った。


頭がまだ焼け焦げたままなのだ。

母親が蹴り飛ばされる姿が、目に焼き付いたままなのだ。

その母の姿が、少しずつぼやけて、今のアンネマリーの姿に変化する。


あの男は、女でも幼い子供でも容赦しない。

いや、女か幼い子供にしか手を上げないのだ。


魔術科棟から芸術科棟への渡り廊下に躍り出た時、向こう側の建物の中、ずっと先の扉の向こうに小さな人影が見えた。


あの二人だ。

アメルン伯爵が、向こうでアンネマリーを引きずりながら、扉を開けてこちら側に来ようとしていた。


無意識に、手がクラッチバックに伸びた。

取り出したのは、両親に持たされた自害用の懐剣だ。


クラウディアはそれを抜くと、おぼつかない手取りで構えた。

そして、アメルン伯爵めがけて走り出した。


――妹から離れろ!

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